当ブログでは、今年にはいってからも、
http://masahirokitamura.blog.drecom.jp/archive/43
http://masahirokitamura.blog.drecom.jp/archive/47
の記事で、安房直子さんの童話について触れ、他のブログの関連記事の紹介もしましたが、その後、また、あらたに、関連記事が登場しているようなので、ふたつほど、紹介します。

ひとつは、
「epi の十年千冊」というブログの
http://epi-w.at.webry.info/200808/article_5.html
の記事で、ここには、偕成社文庫版の『風と木の歌』が紹介されています。

もうひとつは、
「++薫風日記++」というブログの
http://plaza.rakuten.co.jp/nana16/diary/200804190000
の記事で、ここには、講談社文庫の『南の島の魔法の話』が紹介されています。

これらの記事で紹介されている2冊の本には、いずれも、「きつねの窓」「さんしょっ子」「鳥」「夕日の国」といった初期の名作が収められていて、郷愁に満ちあふれた安房さんの作品世界を味わうことができる本です。上記記事にも、それぞれの方の感想が書かれていますが、「淋しさ」あるいは「物悲しさ」という言葉がひとつのキーワードになっていて、たしかに、安房さんの魅力の重要なポイントがそこにあると、僕も思います。
そして、とくに、安房さんの初期の作品では、"夢"の世界を覗いた主人公が、最後には、"現実"に戻って来ることで、幻想世界への郷愁が増幅されるような作りになっていて、「きつねの窓」の「ぼく」も、きつねの窓の中の世界にはいってしまうわけではありません。
それに対して、先日、
http://masahirokitamura.blog.drecom.jp/archive/52
http://masahirokitamura.blog.drecom.jp/archive/51
の記事などで紹介した、僕の新作絵本『ガラスの中のマリー』のマリーは、物語冒頭で、いきなり「ガラスの中のセピア色の町」にはいってしまい、ずっと、その中をさまよいながら、とうとう、そこから戻ってくることはありません。
安房さんであれば、「夢の果て」がそうであったように、そんな主人公には、破滅という結末を用意するのでしょうが、僕の『ガラスの中のマリー』のマリーには、そもそも、結末と呼べるようなものは、なにも与えられていません。ラストのページは、一枚の風景写真をおくだけにしました。
これは、いわば、きつねの窓の中にはいりこんで、その中をさまよい続ける選択をした主人公の幻想世界ということになるかもしれません。もう30年近く前に安房さんの「夏の夢」(講談社文庫版『だれにも見えないベランダ』所収)に感銘を受けて童話を書き始めたひとりの書き手の現在、と言ってもよいかもしれません。
その『ガラスの中のマリー』について、大阪の芦田書店という本屋さんのブログの
http://asida-books.blogspot.com/2008/08/blog-post_19.html
の記事の中に、「ふわふわと… 漂うような本」というコメントがありますが、"現実"に帰ることもなく幻想世界をさまよい続ける姿を表現したものなら、おもしろい表現かもしれません。「ふわふわ本」という記事のタイトルだけ見ると、明るい感じの本を連想される方も多いかもしれませんが、実際には、僕自身は、本の中に、さびしさを込めたつもりです。もちろん、読者の方には、ご自由に、ご自身のイメージを重ねていただければさいわいです。

〔Amazonのサイト内の情報ページ〕
「風と木の歌」(安房直子著、偕成社文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/4036526200/

「南の島の魔法の話」(安房直子著、講談社文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/4061381105/

「夢の果て」(安房直子著、瑞雲舎)
http://www.amazon.co.jp/dp/4916016580/

「だれにも見えないベランダ」(安房直子著、講談社文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/4061381288/

「ガラスの中のマリー」(北村正裕著、三一書房)
http://www.amazon.co.jp/dp/4380082091


〔HP内の関連ページ〕
安房直子童話作品集と収録作品
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/awa.htm

絵本『ガラスの中のマリー』出版情報
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/marie-e.htm