講談社X文庫ホワイトハートシリーズの1冊として、『春の窓-安房直子ファンタジスタ』が発売になりましたが、この本、帯に「おとなの女性のための」という宣伝文句が書かれているのが、安房直子ファンの男性としては、少々気になります。安房さんの作品のような優れた創作メルヘンは、老若男女を問わず楽しめるものでしょうから、読者や批評家が「大人向き」とか「女性向き」という感想なり批評なりを書くのならともかく、出版社によって「女性のため」というレッテルを貼られてしまうことには違和感を抱かざるをえません。「童話は子どもが読むもの」と思いこんでいる人たちの先入観に対抗するために「おとなのため」と書くなら、それなりの意義はあるでしょうし、先日、このブログの中の記事
http://masahirokitamura.blog.drecom.jp/archive/54
で紹介した酒井駒子さんの『金曜日の砂糖ちゃん』などの魅力的な本が、例えば、紀伊国屋書店新宿本店の「大人向け絵本」のコーナーなどで見つかりますから、こういうコーナーはそれなりに貴重かもしれません。しかし、帯に「女性のため」とまで書かれると、やはり、「なぜ?」と思ってしまいます。いろいろな商品販売の世界では、特定の購買層に絞ったセールスが効果的であるというような話は聞いたことがありますし、本の世界でも、マンガ雑誌などは、男性向け、女性向けというはっきりとした色づけがされているものが多いようですが、児童文学の世界は、そういう商業主義的な手法がはいりこんでいない聖域のようなところだと思っていたのですが、いわゆるヤングアダルトを対象とした文庫シリーズへの進出の代償なのでしょうか?ともあれ、新しい読者を増やすことに貢献すれば、今度の本にも、それなりの価値はあるということになるのでしょう。
絵に関して言えば、カバーに、イラストレーターユニットの100%ORANGEによる絵があるだけで、本の中には、挿絵がないので、絵やデザインによって新たなイメージを得るということが出来ないのは残念で、旧来からの安房直子ファンにとっては、物足りなさがあるのも否定できないわけですが、これまた帯に「発見!」などと書かれているので、あくまでも、これまで上質の創作メルヘンに接する機会に恵まれなかった人たちのための、お手頃価格の一冊というのが、この本のねらいでしょう。
僕自身も、前に、このブログの記事
http://masahirokitamura.blog.drecom.jp/archive/57
などで書いた通り、かつて、講談社文庫の『だれにも見えないベランダ』に収録されていた「夏の夢」に感動して、それが、自ら童話を書くようになったきっかけにもなったのです。今回の本には、その「夏の夢」もはいっていませんし、「さんしょっ子」などの初期の名作もはいっていませんが、収録作品の中の「日暮れの海の物語」や「だれにも見えないベランダ」などに安房さんの魅力を感じて、他の本も読んでみようと考える人が出てくるかもしれません。
それから、まったくの私事ながら、今回の収録作品には、以下のような理由で、僕にとっては、縁のようなものを感じさせられるものがあります。
収録作品の中の「あるジャム屋の話」は、もともと、月刊「MOE」1985年4月号(当時は偕成社発行)に発表されたものですが、「MOE」のこの号の巻頭には、僕の「うさぎのおもちゃ」という詩が、飯野和好さんの絵とともに掲載されています。
もうひとつ、「北風のわすれたハンカチ」は、偕成社から1992年に発行された『わすれものをした日に読む本』というアンソロジーにも収録されていますが、この本には、僕の「遺失物係と探偵」という作品も収録されています。この本には、14人の作家の作品が1編ずつ収録されているのですが、寺山修司さんや、小沢正さんのおもしろい作品もあります。14編のうち、11番目からの作品をリストアップしておきますと、
11番目……「こぶたとうさぎのハイキング」(小沢正)
12番目……「生まれた年」(寺山修司)
13番目……「遺失物係と探偵」(北村正裕)
14番目……「北風のわすれたハンカチ」(安房直子)
と、なっています。そして、この本は、「小学中級から上級向」に、現代児童文学研究会(石井直人、藤田のぼる、宮川健郎)によって編集された「きょうはこの本読みたいな」シリーズの中の1冊です。
さて、今回の収録作品のうち、これまでにもいくつもの本に収録されてきた「日暮れの海の物語」について、改めて感じたことを少し書いておきます。ここには、初期の名作「さんしょっ子」にも匹敵するせつなさが感じられますが、「さんしょっ子」では、〈だいじなお手玉、あげたのに……。〉という胸にしみる言葉を残して、失意のうちに去っていくさんしょっ子がいとおしく描かれ、作品のタイトルにもなっているのに対して、「日暮れの海の物語」でさえに裏切られたかめは、終止、不気味に描かれているので、このかめに感情移入する人は、もしかしたら、少ないかもしれないと思いました。物語の中心は、あくまでもさえだと思っている人が多いのではないでしょうか。帯に「女性のため」と書いた出版社の人も。もちろん、さえが主人公のひとりであるのは間違いないでしょうが、さえに裏切られたかめが、この世の不条理を無言で訴えて、せつなくなります。安房直子作品の主人公の少女は、しばしば、うそをついたり、裏切ったりしますが、そのうそや裏切りが、世界の裏切りを告発しているように思えてなりません。この作品など、せつなすぎて、やりきれないという感じが残ります。でも、これが、この現実世界だとすれば、この世界の存在そのものが、間違っているんじゃないか……と、そこまで言うのは、言い過ぎでしょうか。もし、さえの最大のうそが、「正太郎が好き」ということであったなら、さえも、かめも救われるのに。さえさん、作者にもうそをつき続けていたのでしょう?そうでなかったら、悲しすぎるじゃないですか。「あたしはかめを裏切った……」というさえのラストの一言が印象に残ります。
なお、今回の『春の窓?安房直子ファンタジスタ?』(講談社X文庫ホワイトハート)収録作品は、以下の通りです。
収録作品=黄色いスカーフ/あるジャム屋の話/北風のわすれたハンカチ/日暮れの海の物語/だれにも見えないベランダ/小さい金の針/星のおはじき/海からの電話/天窓のある家/海からの贈りもの/春の窓/ゆきひらの話
この収録作品の中では、1971年に旺文社から出版された「北風のわすれたハンカチ」がいちばん古い(初期の)作品ということになると思いますが、この単行本が、2006年にブッキングにより復刊されており、これについては、ネット上にもいくつかの感想記事があります。
ひとつ紹介しておきますと、
「こどもの時間」というブログの
http://yukigahuru.blog113.fc2.com/blog-entry-47.html
の記事には、作品のていねいな紹介があります。
〔HP内の関連ページ〕
安房直子童話作品集と収録作品
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/awa.htm 続きを読む
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で紹介した酒井駒子さんの『金曜日の砂糖ちゃん』などの魅力的な本が、例えば、紀伊国屋書店新宿本店の「大人向け絵本」のコーナーなどで見つかりますから、こういうコーナーはそれなりに貴重かもしれません。しかし、帯に「女性のため」とまで書かれると、やはり、「なぜ?」と思ってしまいます。いろいろな商品販売の世界では、特定の購買層に絞ったセールスが効果的であるというような話は聞いたことがありますし、本の世界でも、マンガ雑誌などは、男性向け、女性向けというはっきりとした色づけがされているものが多いようですが、児童文学の世界は、そういう商業主義的な手法がはいりこんでいない聖域のようなところだと思っていたのですが、いわゆるヤングアダルトを対象とした文庫シリーズへの進出の代償なのでしょうか?ともあれ、新しい読者を増やすことに貢献すれば、今度の本にも、それなりの価値はあるということになるのでしょう。
絵に関して言えば、カバーに、イラストレーターユニットの100%ORANGEによる絵があるだけで、本の中には、挿絵がないので、絵やデザインによって新たなイメージを得るということが出来ないのは残念で、旧来からの安房直子ファンにとっては、物足りなさがあるのも否定できないわけですが、これまた帯に「発見!」などと書かれているので、あくまでも、これまで上質の創作メルヘンに接する機会に恵まれなかった人たちのための、お手頃価格の一冊というのが、この本のねらいでしょう。
僕自身も、前に、このブログの記事
http://masahirokitamura.blog.drecom.jp/archive/57
などで書いた通り、かつて、講談社文庫の『だれにも見えないベランダ』に収録されていた「夏の夢」に感動して、それが、自ら童話を書くようになったきっかけにもなったのです。今回の本には、その「夏の夢」もはいっていませんし、「さんしょっ子」などの初期の名作もはいっていませんが、収録作品の中の「日暮れの海の物語」や「だれにも見えないベランダ」などに安房さんの魅力を感じて、他の本も読んでみようと考える人が出てくるかもしれません。
それから、まったくの私事ながら、今回の収録作品には、以下のような理由で、僕にとっては、縁のようなものを感じさせられるものがあります。
収録作品の中の「あるジャム屋の話」は、もともと、月刊「MOE」1985年4月号(当時は偕成社発行)に発表されたものですが、「MOE」のこの号の巻頭には、僕の「うさぎのおもちゃ」という詩が、飯野和好さんの絵とともに掲載されています。
もうひとつ、「北風のわすれたハンカチ」は、偕成社から1992年に発行された『わすれものをした日に読む本』というアンソロジーにも収録されていますが、この本には、僕の「遺失物係と探偵」という作品も収録されています。この本には、14人の作家の作品が1編ずつ収録されているのですが、寺山修司さんや、小沢正さんのおもしろい作品もあります。14編のうち、11番目からの作品をリストアップしておきますと、
11番目……「こぶたとうさぎのハイキング」(小沢正)
12番目……「生まれた年」(寺山修司)
13番目……「遺失物係と探偵」(北村正裕)
14番目……「北風のわすれたハンカチ」(安房直子)
と、なっています。そして、この本は、「小学中級から上級向」に、現代児童文学研究会(石井直人、藤田のぼる、宮川健郎)によって編集された「きょうはこの本読みたいな」シリーズの中の1冊です。
さて、今回の収録作品のうち、これまでにもいくつもの本に収録されてきた「日暮れの海の物語」について、改めて感じたことを少し書いておきます。ここには、初期の名作「さんしょっ子」にも匹敵するせつなさが感じられますが、「さんしょっ子」では、〈だいじなお手玉、あげたのに……。〉という胸にしみる言葉を残して、失意のうちに去っていくさんしょっ子がいとおしく描かれ、作品のタイトルにもなっているのに対して、「日暮れの海の物語」でさえに裏切られたかめは、終止、不気味に描かれているので、このかめに感情移入する人は、もしかしたら、少ないかもしれないと思いました。物語の中心は、あくまでもさえだと思っている人が多いのではないでしょうか。帯に「女性のため」と書いた出版社の人も。もちろん、さえが主人公のひとりであるのは間違いないでしょうが、さえに裏切られたかめが、この世の不条理を無言で訴えて、せつなくなります。安房直子作品の主人公の少女は、しばしば、うそをついたり、裏切ったりしますが、そのうそや裏切りが、世界の裏切りを告発しているように思えてなりません。この作品など、せつなすぎて、やりきれないという感じが残ります。でも、これが、この現実世界だとすれば、この世界の存在そのものが、間違っているんじゃないか……と、そこまで言うのは、言い過ぎでしょうか。もし、さえの最大のうそが、「正太郎が好き」ということであったなら、さえも、かめも救われるのに。さえさん、作者にもうそをつき続けていたのでしょう?そうでなかったら、悲しすぎるじゃないですか。「あたしはかめを裏切った……」というさえのラストの一言が印象に残ります。
なお、今回の『春の窓?安房直子ファンタジスタ?』(講談社X文庫ホワイトハート)収録作品は、以下の通りです。
収録作品=黄色いスカーフ/あるジャム屋の話/北風のわすれたハンカチ/日暮れの海の物語/だれにも見えないベランダ/小さい金の針/星のおはじき/海からの電話/天窓のある家/海からの贈りもの/春の窓/ゆきひらの話
この収録作品の中では、1971年に旺文社から出版された「北風のわすれたハンカチ」がいちばん古い(初期の)作品ということになると思いますが、この単行本が、2006年にブッキングにより復刊されており、これについては、ネット上にもいくつかの感想記事があります。
ひとつ紹介しておきますと、
「こどもの時間」というブログの
http://yukigahuru.blog113.fc2.com/blog-entry-47.html
の記事には、作品のていねいな紹介があります。
〔HP内の関連ページ〕
安房直子童話作品集と収録作品
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/awa.htm 続きを読む