コロナ禍の中、港区麻布十番にあるきみちゃんの像もマスクを着けています。

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マスク姿のきみちゃん像(麻布十番、22年3月12日撮影)

「きみちゃん」は、「赤い靴はいてた女の子……」と歌われる野口雨情の童謡「赤い靴」のモデルとなった少女。
像の下には、次のように記されています。
「きみちゃんは赤ちゃんの時、いろいろな事情でアメリカ人宣教師の養女に出されます。母、かよさんはきみちゃんがアメリカに行って幸せに暮らしていると信じて雨情にこのことを話し、この詩が生まれました。しかし、きみちゃんは病気のためアメリカには行けませんでした。
明治四十四年九月、当時麻布永坂町、今の十番稲荷神社のあるところにあった孤児院で、ひとり寂しく亡くなったのです。まだ、九歳でした」

歌では「横浜の埠場から船に乗って異人さんにつれられて行っちゃった」と歌われますが、その横浜にある「赤い靴はいてた女の子の像」は山下公園に座って海の方を見ているのに対して、麻布十番の像は立った姿勢で街を見ているように見えます。

麻布十番商店街振興組合の広報部長などを歴任されたという山本仁壽(きみとし)さんによる「麻布十番未知案内」というウェブサイト
https://jin3.jp/index.htm
の中の「赤い靴の女の子 きみちゃん」のページ
https://jin3.jp/kimi/kimi-1.html
に解説があり、参考書の紹介もあります。
その解説によると、1973年に北海道新聞に掲載されたきみちゃんの妹さんの投稿記事がきっかけで、北海道テレビ記者だった菊地寛さんによる調査、研究の結果、上記のようなことがわかったようです。
きみちゃんがアメリカで幸せに暮らしていて欲しいという思いも込められていたと思われる童謡「赤い靴」は、本居長世によるメロディーとあいまって、悲しい感じの歌で、誘拐をも連想させるような詩は怖いという感じさえしますが、現実はもっと悲しいものだったということなのですね。
麻布十番のきみちゃん像は1989年に作られたそうですが、「麻布十番未知案内」のウェブサイトの中の「七つのきみちゃん像」のページ
https://jin3.jp/kimi/seven-statues.html
には、1979年完成の横浜の像の他、きみちゃんの生まれ故郷の静岡県や、きみちゃんの母の移住先の北海道などにあるきみちゃん像も紹介されています。

つい先日、NHKの番組「日本人のおなまえ」で、麻布十番の地名も取り上げられ、江戸時代の工事のさいの「一番」から「十番」までの人足場のうち、古川が大きく曲がっていて荷上場に適していた「十番」付近だけが発展し、「一番」から「九番」がなくなってしまった後も「十番」だけが地名として残ったという話が紹介されていましたが、その古川の曲がり角は、地下鉄の麻布十番駅の出口に近い一ノ橋から見ることができます。

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きみちゃんが亡くなった孤児院があった場所という十番稲荷神社(麻布十番、22年3月12日撮影)

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麻布十番駅出口付近の一の橋から見える古川の曲がり角(22年3月12日撮影)

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横浜、山下公園の「赤い靴はいてた女の子」の像(19年9月22日撮影)


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