先日、7月31日、東京・渋谷のオーチャドホールで、パリ国立オペラ(パリオペラ座)初来日公演最終日の「トリスタンとイゾルデ」(セラーズ演出、ヴィオラ映像、インガルス照明、ビシュコフ指揮)の公演を見てきました。
この公演は、映像を使った斬新な演出ということで話題になっていて、その映像については、すでに、紹介記事がネット上にもでているようなので、ここでは、あえて、それ以外の部分で注目に値すると感じた点を中心に、いくつか、気づいたことを書いておきます。
まず、演出で、一番、注目に値すると感じたのは、第1幕のラストで、トリスタンが、「欺まんに満ちた栄光よ!」と歌う場面で、客席がうっすらと明るくなり、幕切れとともに、その明かりが、舞台の明かりとともに消えるという演出です。ここでは、一瞬、客席そのものが、舞台の一部となり、「欺まんに満ちた栄光よ!」というトリスタンの台詞が観客に向けられるという、いわば、挑戦的な演出になっていました。映像が目立ちすぎて、こういう演出があまり注目されていないもしれませんが、僕は、この演出を、映像以上に挑戦的な演出だと感じました。
次に、第2幕でブランゲーネが歌う警告の歌ですが、通常、舞台裏や物陰で歌われるこの歌を、今回、ブランゲーネ役のグバノヴァは、オーチャードホールの客席側の左の壁の上方にあるバルコニーでこれを歌っていました。このため、この美しい歌が、客席全体に響き渡り、音響の面でとてもよい効果を上げていたと思います。歌手のグバノヴァも、気品のある美しい声で、今回の歌手陣の中で、一番よい出来だったのではないかと思います。そして、この場面、舞台背景には、森の木々の上に輝く月が映し出されていましたが、舞台の上では、照明が暗くなり、横たわるトリスタンとイゾルデの左手から、ふたりの男(マルケ王とメロートか)が近づいてきて、ふたりをのぞき込むという演出になっているのですが、これは、ブランゲーネの心の中の世界なのかもしれません。オーチャードホールの客席上方のバルコニーのような造形物は、これまで、単なる飾りだと思っていたのですが、こんな使い方があったとは!パリのバスッティーユ劇場で上演するときには、どのようにしているのでしょうか?僕は、パリ・ガルニエ宮(旧オペラ座)では、バレエ公演を見たことがありますが、新オペラ座(バスティーユ劇場)での観劇経験がないので、バスティーユ劇場の客席部分の構造がわかりませんが、もしかしたら、オーチャードホールの方が、本拠地よりも、今回の演出に向いていたのではないでしょうか?その他、水夫や舵取りが2階席で歌ったり、管楽器の一部が2階席や3階席で演奏して、立体音を出していましたが、これらは、特に驚くような仕掛けではないでしょう。かつて、東京文化会館でティーレマンが「ローエングリン」を指揮したときには、第3幕での国王出陣の音楽のときに、金管楽器が、4階席で演奏していましたが、こうした客席での演奏は、珍しくはないようです。
音楽面では、ブランゲーネ役のグバノヴァがよかったということは、今、書いた通りですが、それに対して、トリスタン役のフォービスは、声量不足が否めず、余裕のない歌唱になってしまって、音楽の味を充分に出し切れていなかったと感じました。イゾルデ役のウルマーナは、特に悪いところはないと思いましたが、ラストの「愛の死」では、充分に音楽の味を出し切れていなかったと感じました。しかし、その原因は、ウルマーナの歌唱ではなく、ビシュコフの指揮にあるように感じました。というのは、この「愛の死」の場面で、ビシュコフのテンポが速くなり、また、オーケストラの音量をかなり上げてしまったのです。これでは、歌手がじっくりと歌おうとしても、無理ではないかと感じました。というわけで、ここは、昨年のバレンボイム指揮による公演でのマイヤーの歌唱などには及ばなかったというのが、僕の感想です。

なお、東京公演より先に行われた兵庫公演の感想記事が、
「無弦庵」というブログの
http://mu-gen-an.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_5152.html
や、
「オペラの夜」というブログの
http://blog.goo.ne.jp/operanoyoru/e/97b4344f36afce263b263c05dcd344bf
にあります。