「安房直子記念 ライラック通りの会」の発足については、昨年4月6日の記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52362408.html
に書きましたが、その記事でも、特に気に入っている作品としてあげた「夏の夢」「ほたる」「ひぐれのひまわり」の3作品のうち、「ひぐれのひまわり」の朗読や挿絵展示などが、明日、17日の「ライラック通りの会」であるそうです。会のブログ記事
http://lilac-dori.hatenablog.com/entries/2015/11/23
に詳細が載っています。こちらのブログでの紹介が遅れてしまいましたが、本日16日までメールでの参加申し込みを受け付けるそうです。

「ひぐれのひまわり」は、安房さんの作品の中でも、特に、せつなさがきわだっている名作だと思います。物語は、「ひまわりは、ひぐれに夢をみるのです」という書き出しで始まります。「夢落ち」という言葉がありますが、この作品では、最初に「夢」だと書かれているのに、それが、だんだん、リアリティを感じさせるものになり、最後には、
「このできごとが、ひぐれの夢の中の事なのか、本当の事なのか、それとも
夢と現実のまじりあったものなのか、ひまわりには、わかりません。
わからないままに、ひまわりはその夏をすごし、
夏のおわりに、小さくしおれて枯れました」
と結ばれるのです。

川沿いを走る少年の夢を見続けるうち、物語の中で、ひまわりは、ひとりの生きた娘となり、少年といっしょに「あの町まで行けたらいいのに」と思うようになります。少年は、劇場の踊り子のところに通うために毎日走っていたのでしたが、ある日、踊り子を刺して逃げて来る少年を、ひまわりの娘はボートの中にかくまい、追ってきた人たちには別の方角を示して、少年を逃がすのです。そして、
「娘の心に、
言いようのないよろこびが、ゆっくりとわきあがって来ました」
と語られます。
これが、この世でのたったひとつの喜びだとでも言うようなひまわりの娘。不条理とでも言えるくらいにせつないこの物語には、比類のない不思議な美しさがあります。
安房さんが目を向けるのは、決して、社会とか価値観ではありません。むしろ、価値を認められないもの、あるいは、価値観でゆがめられる以前の世界なのかもしれません。あるいは、世界という概念にさえ、疑いを持っているようにも思えます。この世は、すべて、夢かもしれない。そんな思いが素直に表れている作品だと思います。

この「ひぐれのひまわり」は、
『安房直子 十七の物語 夢の果て』(2005年、瑞雲舎)
http://www.amazon.co.jp/dp/4916016580/
に収録されています。『夢の果て』というタイトルの安房さんの作品集は、ほかにもあるのでお間違いにならないよう、ご注意ください。現在、絶版になっていない作品集で、この作品が収録されているのは、多分、この瑞雲舎の本だけだと思います。また、この本には、名作「ほたる」も収録されています。絵は、味戸ケイコさんです。

ところで、先にも書いた、安房さんの作品の中でも特に気に入っている「夏の夢」「ほたる」「ひぐれのひまわり」の3作品は、いずれも夕暮れの物語ですね。実は、まもなく、シンガーソングライターとしての北村正裕ライブアルバム「宝石の作り方」がiTunes、Amazonデジタルミュージック等で配信発売となる予定なのですが、僕のこのアルバムの収録曲7曲のうち、4曲の歌詞の中に「夕暮れ」または「夕焼け」という言葉が出てくるので、アルバムジャケット画像には、自分で昨年撮影した夕暮れの風景写真を使うことにしたのですが、今回、改めて、安房さんの作品を振り返って、自分の「夕暮れ」好みに気付かされました。北村正裕ライブアルバム「宝石の作り方」の配信発売については、音楽用ホームページ(北村正裕アート空間)
http://masahirokitamura.art.coocan.jp/
に掲載します。