映像作品『新世界交響曲の幻影-Dream in Dvorak"From The New World"』を制作し、YouTubeで公開しました。
https://youtu.be/kohMN_iNxEo

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これは、ドヴォルザーク作曲交響曲第9番「新世界より」第2楽章の自分自身の解釈を自分で書いた絵を組み合わせて作った映像で表現したものですが、使用した音源は、カラヤン指揮、ベルリンフィルによる1964年の録音(ドイツグラモフォンレーベルの音源)です。この曲の音源としては、このカラヤンの1964年の録音以外にも、クーベリック指揮ベルリンフィルによる1973年録音の名盤があり、この両者は、どちらも甲乙つけがたい名演だと思い、特に、ゆったりとしたテンポでじっくりと聴かせてくれるという点では、むしろ、クーベリック盤のほうがさらに秀逸と言ってもよいくらいだと思いますが、今回、1964年録音のカラヤン盤の音源を使用したのは、これが、録音から50年経過して著作隣接権が切れているのに対して、1973年録音のクーベリック盤の音源については、まだ、録音から50年が経過していないという理由からです。
そのクーベリック盤と、今回の動画で使用した1964年カラヤン盤や、その他の録音との比較(聴き比べ)について、少し書いておきます。なお、時間表示は、今回の動画『新世界交響曲の幻影-Dream in Dvorak"From The New World"』の時間表示を記します。これは、冒頭に3~4秒程度のタイトル画面の時間があるため、CDの時間表示との間に数秒程度の誤差があることにご注意ください。
「新世界より」第2楽章の色々な録音を聴いてみると、まず、今回の動画の2分50秒くらいのところに現れるティンパニを伴った音の音量に大きな違いがあり、ここのところで好みが分かれてしまいます。具体的に言うと、この部分、確かに、楽譜にはフォルテシモの記号がありますが、あまり大きな音を出すと、郷愁を奏でるこの音楽の美しさがそがれてしまうように感じ、したがって、僕は、この部分の音があまり強くなりすぎないような演奏が好きです。今回の動画で使用した1964年録音のカラヤン盤と、1973年録音のクーベリック盤は、いずれも、この点で、多くの他の指揮者の録音に比べて、とてもうまい演奏をしているように感じます。特に、クーベリック盤では、まるで、遠くから雷の音が静かに聞こえてくるような響きで、美しく不気味な感じさえするので、今回の動画で表現したような解釈にはとても相性がよいわけですが、今回使用した1964年カラヤン盤も、他の多くの録音と比べて、ここの音が大きく聞こえすぎないようにきれいに演奏されています。同じカラヤン盤でも1985年のウィーンフィルとの録音では、ここの音が、少し大きく聞こえてしまい、僕の場合は、カラヤン盤に関しては、ベルリンフィルを指揮した1964年の録音のほうが好きです。
次に、今回の動画の5分ちょうどくらいから始まる中間部の前半の短調の部分ですが、まるで秋風が郷愁を連れて吹いてくるようなこの部分の演奏は、1964年カラヤン盤の最も美しいところだと思います。もちろん、いくぶんおとなしめのクーベリック盤や、さらにひかえめで、まるで悟りの境地を示すかのような1985年のカラヤン盤も十分美しいのですが、1964年のカラヤン盤のこの部分には、おおげさに言えば心を揺さぶられるような美しさがあるような感じがします。一方、カラヤン、クーベリック以外の録音は、名盤と言われるものでも、その多くで、この部分の演奏のテンポが速すぎて、僕には、少し不満の残るものになってしまっています。
次に、長調に転調してまるでバレエシーンが始まるような中間部の後半、今回の動画の8分52秒くらいのところから始まる部分は、カラヤン盤、クーベリック盤ともに名演。クーベリック盤は、曲全体をゆったりと演奏しているので、どちらかと言えば、カラヤン盤のほうがバレエ的なイメージを連想しやすいかもしれません。
そして、第1の部分でコールアングレによる演奏で始まった主題が、第3の部分で再び現れ弦に引き継がれて、今回の動画の10分37秒と10分44秒の2度途切れる部分。ここの休止符は、1964年カラヤン盤では、とてもよく表現されていると思います。これは劇の登場人物の「居眠り」だな、と思いましたが、「意識の途切れ」と考えれば、別世界への旅立ちという解釈もできるでしょう。今回の動画のラストシーンでは、そういう解釈の可能性も表現したかったわけです。しかし、郷愁たっぷりの曲全体が夢のようなもの。そして、我々が「現実」と呼んでいる世界も、また、ひとつの夢かもしれない。優れた芸術作品は、しばしば、そんなことを示唆してくれているように思います。
今回は、第2楽章のみですが、1964年カラヤン盤と1973年クーベリック盤は、その他の各章に関しても、名演だと思います。中学生のころは、第1、第3楽章が好きでしたが、最近になって、第2楽章がとても好きになってきました。この楽章は、前後の楽章と比べると調の違いもあり、昔は、多少の違和感も感じていて、あたかも「番外編」のようにも聞こえていたのですが、最近では、むしろ、この楽章だけ取り出しても独立して味わえる名作になっているように感じています。特に、中間部の美しさは格別だと感じます。
なお、1973年クーベリック(Kubelik)盤、1985年カラヤン(Karajan)盤(ウィーンフィル)は、いずれも、例えば、Spotify
https://www.spotify.com/jp/
でも配信されています。

〔北村正裕ホームページ(音楽用)〕
http://masahirokitamura.art.coocan.jp/

【18. 2.13追記】
上記のカラヤン盤も、クーベリック盤も、そして、その他の多くの演奏でも、楽譜にある第1楽章の序盤の主題の提示部のリピート(くり返し)は省略されていますが、この繰り返しを省略せずに演奏している録音としては、ケルテス指揮、ロンドン交響楽団による1966年録音盤やショルティ指揮、シカゴ交響楽団による1983年の録音などがあります。こうした楽譜通りのリピートのある演奏は、少数派ゆえの新鮮さを感じさせる一方、「くどい」とも感じてしまいますが、これも人によって好みがあるでしょう。ケルテス指揮、ロンドン交響楽団による1966年録音盤は、第2楽章については、先日書いた動画の2分50秒くらいの部分の音量が、やはり大きすぎると感じてしまいます。ショルティ盤は、そこの大きさはそれほどではないにしても、音のバランスということで言うと、ティンパニは抑えていても金管の音量が大きいので、僕の好みの演奏ではないです。ショルティ盤は、第2楽章のテンポがゆったりしていて、それはよいと思うのですが、カラヤンの1964年盤やクーベリックの1973年盤のほうが、やはり、深みのある演奏だと感じます。好みはひとそれぞれだと思うので、色々聴いてみるとよいと思います。ケルテス(Kertesz)指揮、ロンドン交響楽団による1966年録音盤も、ショルティ(Solti)指揮、シカゴ交響楽団による1983年録音盤もSpotifyで配信されていて、このふたつは、Spotifyで聴けるもので第1楽章の序盤の主題提示部のリピート(繰り返し)を省略せずに演奏しているものの中では、それなりに名演の部類にはいるものかもしれません。他にも、第1楽章の序盤の主題提示部のリピート(繰り返し)を省略せずに演奏している録音はありますが、これまでに見つけたものでは、例えば、ドラティ(Dorati)盤は第1楽章、第2楽章ともにテンポが速すぎると感じるし、また、他に、音のバランスが好みでないものもありました。
(18. 2.13記)