柴山昌彦文科相が就任早々、教育勅語について「道徳などに使うことができる分野は十分にある」と発言したことが、4日の朝日新聞などで報道されていますが、柴山文科相の出身高校である武蔵高校は、戦前の教育勅語・天皇中心教育に抵抗した気骨ある学校であったことを考えると、さらに情けない発言だと感じてしまうのは僕だけでしょうか?

「96条改変国民投票の前に」というタイトルのフェイスブックページの17年6月28日の朝日新聞記事を引用した投稿
https://www.facebook.com/96tiaoGaiBianGuoMinTouPiaonoQianni/posts/844990462306411
を見ると、
「教育勅語発布の翌年(1891年)、文部省は全国の小学校で紀元節(2月11日)や天長節(天皇誕生日)などの祭日に御真影を掲げて最敬礼し、教育勅語を「奉読」する儀式を行うよう定めた」
と、ある一方、
「私立の7年制旧制高校だった東京の武蔵高校(現武蔵高等学校中学校)は、文部省の問い合わせに「本校にはいまだ奉安所の設置がないので、報告する事項がありません」と答えた。武蔵高ではついに御真影を受け取らず、奉安殿も作られなかったのだ」
とあり、武蔵高校が、戦前の教育勅語・天皇中心教育に抵抗した気骨ある学校であったことが書かれています。

同様の記事は、「ちきゅう座」というブログの17年6月30日の記事
http://chikyuza.net/archives/74224
にもあります。

もちろん、出身校の歴史や教育方針に忠実である必要など毛頭ありませんが、気骨ある出身校の歴史とは裏腹に、大臣就任早々、現政権の中心人物たちにすり寄るような発言が出てくるのは、何とも皮肉。

この武蔵高校は、今では、武蔵中学校とともに、完全な中高一貫校になっているようですが、一時期は、高校進学時に40人の追加募集枠を設けていて、僕は、その40人枠で高校進学時にこの高校に入学した同校卒業生です。ちなみに、かつて、僕が、初めてギターを買ったときに楽器店まで同行してくれた旧友について、14年6月18日のブログ記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52334379.html
に書きましたが、そこで紹介した旧友(五神真君)も、同じ40人枠で高校進学時に武蔵高校に入学した同期生(2~3年時の同級生)です。

実は、武蔵高校が、戦前から教育勅語支配に抵抗していたことは、僕が、この高校を進学先にに選んだ動機のひとつでした。中学生だった当時は、親が学校で聴いてきた説明を聞いただけでしたが、今、それに触れた記事を読むと、改めて、たいしたものだと感心してしまいます。もちろん、それだけが、入学先に決めた動機ではありません。もっと、感心したのは、この高校が、選抜に内申書(調査書)を決して使わないことの証として、入学試験の合格発表まで中学校の調査書を受け取らないという方針であったことでした。当時は、「カッコイイ!」という程度の認識でしたが、今では、調査書(内申書)による選抜は、思想統制につながる危険なものだと考えています。僕の創作『何もない遊園地』には、特に、その第1話に、そういう思想が色濃く反映されていると思うので、興味持っていただける方には、是非、お読みいただきたいと思います。『何もない遊園地』は、96年に執筆し、2013年に一度、電子出版した後、2017年に加筆して、「2017年版」として、Amazon Kindle版を電子出版しています。Kindleストア
https://www.amazon.co.jp/dp/B074RGSR8Y/
で購入できます。

話を柴山文科相の発言に戻しますが、「同胞を大切にするとか、国際的な協調を重んじる」といったことを言うのに、わざわざ教育勅語を持ちだす必要などないはずだと思います。上記の17年6月の朝日新聞記事の引用記事などを見ても、教育勅語というのは、天皇中心教育の象徴的存在だったと言えるだろうと思います。

もとより、出身学校で人物を判断するなど、全くバカげたことですが、今回の柴山氏の発言は、皮肉にも、そういう話をするのにうってつけの例を提供する結果になったように思います。
この高校のOBの中には、これまでも宮沢元首相など、政府の責任ある仕事を務めた人たちはいますが、このような責任ある役職への就任早々、これほど「情けない」と感じさせる発言をしたOBは、過去に記憶にありません。

〔北村正裕ホームページ等の案内サイト〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura