英国ロイヤル・オペラの2019年9月の日本公演でマクヴィカー演出の「ファウスト」(グノー作曲)がアントニオ・パッパーノの指揮で上演される予定と発表されていますが、2010年にヨーロッパで限定発売されたライブ映像(ワーナーレーベル、指揮=パッパーノ、、出演=アラーニャ、ゲオルギュー他)のDVDを見ると、この英国ロイヤル・オペラのマクヴィガー演出の「ファウスト」には、このオペラを最も多く上演しているパリ・オペラ座、そして、パリという街そのもののパロディが満載です。そして、このユニークな演出を理解するためには、それなりの予備知識が必要だと思われるので、このDVDの映像を少し紹介しながら、自分なりの解説(演出についての解釈)を書いておきます。なお、このDVDは、限定盤で、既に在庫切れの店も多いと思いますが、一部のネットショップでは、まだ、入手可能のようです。「FAUST PAPPANO DVD」で検索すると見つかると思います。英語、ドイツ語、フランス語の作品解説のブックレットがついていますが、日本語解説や字幕はついていません。

roh-faust-dvd2010-ch
英国ロイヤル・オペラ「ファウスト」(2010年発売)のDVDジャケット画像

まず、第1幕のファウスト博士の書斎の場で、左奥のカーテンが、パリ・オペラ座(ガルニエ宮)の緞帳と同じ特徴あるデザイン。悪魔メフィストフェレスがファウストにマルガレーテの幻影を見せるシーンでは、この緞帳が上がってその奥からマルガレーテが登場するという演出。マルガレーテが、パリ・オペラ座で上演される舞台の虚構の存在であることを強調するような演出です。

パリ・オペラ座(ガルニエ宮)の緞帳は、とても特徴があるため、ひと目見れば、それとわかるものですが、ご覧になったことがない方は、ネット上にある写真をご覧になっておくとよいと思います。
パリの旅行案内のウェブサイトなどに載っていることがあり、例えば、現在、USNewsというウェブサイトのパリ旅行のページ
https://travel.usnews.com/Paris_France/Things_To_Do/Palais_Garnier_Opera_National_de_Paris_24221/
で見ることができます。

第2幕の広場のシーンは、何と、「キャバレー・アンフェール(CABARET L`ENFER)」。台本では純朴なイメージのマルガレーテが、祭りの広場でファウストと会うことになっていますが、マクヴィガー演出では、マルガレーテは、このキャバレーで、客としてやって来たファウストに出逢うということになっています。「アンフェール(ENFER)」は、地獄という意味なので、このキャバレーの名を直訳すれば「キャバレー・地獄」ということになりますが、「アンフェール(ENFER)」は、パリの実在の地名です。オペラファンであれば、誰もが知っていると言ってもよいパリを舞台にしたプッチーニの名作「ラ・ボエーム」第3幕の舞台がアンフェールの税関((LA BARRIERA D`ENFER)という設定になっています。現在ではアンフェールの税関は、もう、なくなっていますが、ダンフェール広場(Place Denfert Rochereau)という名の広場があり、小瀬村幸子訳による「ラ・ボエーム」の対訳本(2006年、音楽の友社)P.123によると、この広場が、アンフェールの税関があった場所だとのことです。「

nbsnews356-1610faust
NBSの宣伝パンフ「NBS News」Vol.356の第1面に掲載されたマクヴィガー演出「ファウスト」第2幕の舞台写真

第5幕前半のワルプルギスの場では、舞台上で魔女たちがバレエの衣装で踊るシーンがありますが、この場面の演出は、舞台美術も含めて、完全に、パリ生まれの代表的ロマンティック・バレエの名作「ジゼル」(初演=1841年、作曲=アダン)第2幕のパロディ。しかも、その舞台美術の紗幕が下りてくる前、舞台の奥に見えているのは、パリ・オペラ座(ガルニエ宮)の客席側を模した舞台美術。パリ・オペラ座・ガルニエ宮は、天井のシャンデリアやシャガールによる天井画など、豪華な建築作品としても有名です。
第1幕とは逆に、客席側が舞台という演出になりますが、舞台上のダンサーは、まるで、観客のように笑い声をあげる場面が何度かあります。いつのまにか、観客が虚構の世界にいるというようにも解釈できるかもしれません。そして、このことは、ラストが、ファウストの夢落ち的な演出になっていることにもつながっているようにも思えるのですが、ワルプルギスの場の演出が、バレエ「ジゼル」第2幕のパロディになっていることの説明を少し書いておかなければいけません。
バレエ「ジゼル」のヒロイン、ジゼルは、恋人のアルブレヒト(アルベルトと呼ぶプロダクションもあります)に裏切られたショックで第1幕で命を落とし、第2幕では、ウィリという、いわば、幽霊となって、墓のある森の中に登場します。ウィリたちは、みな、結婚前に命を落とした女性たちです。そして、ミルタというウィリの長の指示で、森にやってくる男を沼に落として命を奪うのです。そして、ジゼルに想いを寄せていた森番のヒラリオン(ハンスと呼ぶプロダクションもあります)がジゼルへの想いからジゼルの墓のある森にやって来たところを捕まえて、実際に沼に落としてしまいます。
ジゼルの墓は、台本(福田一雄著「バレエの情景」-1984年、音楽の友社-に収録されたもの)では、「下手の糸杉の下に白い大理石の十字架があり、ジゼルという名前がきざんであり」とあり、舞台の左手という位置や、十字架の形という設定は、今でも多くのバレエ団が引き継いでいます。

現在、INDEPENDENTのサイトのページ
https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/reviews/giselle-royal-opera-house-marianela-nu-ez-a8172791.html
で、英国ロイヤルバレエによる「ジゼル」第2幕で十字架の形の墓の前でジゼルが踊るシーンの写真を見ることができます(写真右はアルブレヒト)。

マクヴィカー演出の「ファウスト」第5幕前半では、これを模した舞台美術の前で、ウィリのパロディと思われるダンサーたちが踊ります。
ジゼルのパロディとしてのマルガレーテが、身ごもった姿で現れ、他のウィリたちが、彼女にあざけりの笑いを浴びせ、それを見るファウストは、頭をかかえて苦悩します。また、左手には、パリ・オペラ座のバルコニー席を模したと思われる客席まで設けられていて、そこの「観客」と舞台上でダンサーに鞭をふるう男が、かつて、娼婦同然の身分だったダンサーの歴史を思わせ、それが、マルガレーテの悲劇に重ねられているように見えます。

このように見ていくと、一見、過激な演出も、決して、ただ、ふざけているだけというわけではなく、第1幕から終幕まで、一貫性があり、演出家の意図が見えてきます。しかし、パリ・オペラ座(ガルニエ宮)の緞帳や客席天井の特徴、アンフェール(ENFER)という地名、そして、バレエ「ジゼル」の舞台などについての知識がないと、この演出の面白さが理解できないと思うので、今回、日本公演が行われる年の初めにあたって、このようなブログ記事を書くことにしたという次第です。9月の日本公演をご覧になる方々の参考になればさいわいです。

operadeparisgarnier90postcard
-1990年にパリで購入したパリ・オペラ座(ガルニエ宮)の客席ホールの絵はがき-

ワルプルギスの場の演出に戻って、ウィリたちが捕えるのは、ヒラリオンではなく、何と、血まみれのバレンティン(マルガレーテの兄)。そして、ウィリたちは、前の幕でファウストとの決闘で刺されたバレンティンに決闘の剣を突き付けて、嘲笑のような笑い声を浴びせます。
ワルプルギスの場には、1868年にパリ・オペラ座での上演のために追加作曲されたバレエ音楽7曲が、パリ・オペラ座以外での上演でも挿入されることがありますが、このマクヴィガー演出もそのひとつ。2015年のパリ・オペラ座・バスティーユでのヴェスペリーニの新演出では、ここのバレエ音楽のうち、使用されたのは、第7曲だけでしたが、パリのパロディを全面に出すマクヴィカー演出では、7曲中4曲を使用しています。なお、1858年にパリのテアトル・リリックで初演された当時のオペラ「ファウスト」は、ワルプルギスのバレエ音楽がなかっただけでなく、今日上演されているものとは、かなりの違いがあったようです。これについては、「オペラ「ファウスト」(グノー作曲)の音楽改訂の経緯などについて」のページ
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/faust.htm
をご参照ください。

このようなパロディ満載のユニークな演出に引っ張られたためか、パッパーノの指揮が、気合ははいっているものの、彼本来の抒情性を欠いているように感じる演奏になってしまっていることろがあり、ラストのマルガレーテ、ファウスト、メフィストの三重唱は、テンポが速すぎて、作品の味を十分に出せていないように感じてしまうのですが、同じ演出で上演されたベニーニ指揮による演奏の録音がNHK-FMで放送されたときにも、同じ場面の演奏が淡泊な感じがしました。ですが、パッパーノは、2012年のドヴォルザークの交響曲「新世界より」のライブ録音などで、その抒情性豊かな演奏の実力は実証済みの指揮者ですから、2019年の日本公演では、2010年のライブ録音とは違った抒情性を感じさせる演奏を期待したいと思います。会場として予定されている東京文化会館大ホールにはパイプオルガンがなく、電子オルガン、PA装置を使うことになるのでしょうし、このことが、日本でのこの演目の本格上演を阻んでいる最大の要因ではないかと思うのですが、それでも、一流指揮者による貴重な日本公演になることでしょう。

ラストで、メフィストフェレスが天使に合図をして、ゆっくり地下に沈んで去っていくというシーンは、最後に現れる書斎のファウスト以外がすべて劇中劇、ファウストの夢想であることを示唆していうるように思えます。怯えたようなファウスト。それをどう解釈するかは、観客にゆだねられているのでしょう。

日本公演の前の2019年4月には、現地、英国ロイヤル・オペラ・ハウスで、同演目が、ダン・エッティンガー指揮、ファビアーノ、ダムラウ他の出演で上演されるようで、その最新映像が、6月14日から6月20日まで、シネマ上映されるようですので、2010年のDVDが手に入らないという方や、日本語字幕付きの映像で「ファウスト」のマクヴィカー演出を見ておきたいという方には、こちらのシネマ上映をご覧になるのもよいかもしれません。

いずれにしても、9月には、いよいよ、日本公演です。グリゴーロ、ヨンチェヴァ他の出演が発表されています。

なお、2015年にパリ・オペラ座・バスティーユで上演されたヴェスペリーニによる新演出の「ファウスト」については、ホームページの中のページ
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/faust-paris2015.htm
と、ブログ記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52361739.html
をご参照ください。

〔ホームページ内のバレエ・オペラコーナー〕
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/swanlake.htm

〔NBSによる日本公演チケット情報のツイート〕
https://twitter.com/NBS_opera/status/1078634775672279041

〔パッパーノ関連のツイート〕
https://twitter.com/masahirokitamra/status/987551212286369792

〔英国ロイヤル・オペラ・ハウス・シネマの公式サイト〕
http://tohotowa.co.jp/roh/

〔北村正裕ホームページ紹介サイト〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura