北村正裕BLOG

【北村正裕のナンセンスダイアリー】童話作家&シンガーソングライター、北村正裕のブログです。 執筆情報用ホームページ(童話作家・北村正裕のナンセンスの部屋) http://masahirokitamura.my.coocan.jp/ と、音楽情報用HP(北村正裕アート空間) http://masahirokitamura.art.coocan.jp/ もよろしく。 X(旧ツイッター)アカウントは「@masahirokitamra」です。

ダイアリー

スマホ(Zenfone GO)からSDカード取り出しに消しゴム

SIMフリータイプのアンドロイドスマホのひとつ、ASUS社のZenfone GoからマイクロSDカードを取り出そうとして、電源を切り、背面カバーを外した後、カードを指で引き出そうとしたものの、滑ってしまってビクともせず、消しゴムでこするようにして引き出すことを試みて、ようやく取り出しに成功しました。取り出すと言っても、こすりながら引き出さなくてはいけないので、消しゴムのように、こすったときに摩擦がある程度大きいものを利用するのがよいのだろうと思います。指では、すべってしまって引き抜けないので、摩擦の大きい消しゴムが役に立つというわけです。この、消しゴムを利用してSDカードを取り出す方法が見つかってみると、むしろ、背面カバーを取り外すことのほうが大変だったと言えそうです。一応、指をかけるための「つめ」があるものの、結構、難しいです。カバーがあまり簡単に外れてしまっても困りますが。あまり強引に力をいれてカバーが破損しないかと心配しつつ、結構、強く引きはがすようにして外さなくてはいけないみたいで、あまり、何度もやりたくはありません。
以上の手順は、電源を切ったり、「設定→ストレージ→SDカードのアンアマウント(アマウント解除)」という手順を経た後でSDカードを物理的に取り出す方法で、この方法は、スマホの機種によって様々だと思います。ネット上には、背面カバーをはずしたりせずにピンでカードを取り出すタイプのスマホの情報がたくさんあるようです。
電源をいれた状態でSDカードを取り出すのであれば、それ以前に、SDカードを安全に、つまり、故障、データの消失などが起こらないように取り出すために、「設定→ストレージ→SDカードのアンアマウント(アマウント解除)」という操作をしないといけないようです。先日、SDカードを取り出すときには、この手順を踏まず、電源を切って作業をしました。

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花やしき少女歌劇団活動終了

このブログでの度々関連記事を書いてきた花やしき少女歌劇団が活動終了だそうです。
浅草花やしきの公式サイトに、7月1日に「花やしき少女歌劇団 運営終了」のお知らせが掲載されました。
https://www.hanayashiki.net/archives/12297

花やしき少女歌劇団のステージを初めて見たのは2016年10月23日、園内の花やしき座でのステージでした。その後、その花やしき座でのショーのほか、解体されたBeeタワーの跡地に設置された「特設ステージ」でのショーも何回か見ました。最後に見たのは、2020年1月12日。Beeタワーの跡地に建設された花劇場(かげきじょう)の脇に設置されたステージでのショーでした。
その後、コロナ禍に見舞われて活動停止の状態でしたが、この度、「運営を再開しないことに決定いたしました」と、発表されました。

花やしき少女歌劇団の活動の場である遊園地、浅草花やしきを初めて訪れたのは、2016年9月30日でした。
2016年10月1日のブログ記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52402872.html
にも書いたことですが、Beeタワーの解体工事が始まるということだったので、解体される前に見ておきたいというのが大きな動機でした。
花やしき少女歌劇団については、2015年10月に18歳で亡くなるまで病気と闘いながらメンバーとして歌い続けた木村唯さんの2014年夏のステージの動画を見て、「8月のメリーランド」(織音作詞、蓮沼健介作曲)を歌う唯さんとダンスを披露するメンバーのパフォーマンス映像に感動したことで興味を持ちました。その木村唯さんのステージの動画を初めて見たときには、すでに唯さんは亡くなっていたので、唯さんの生のステージを見ることはできませんでしたが、2014年夏の動画に唯さんとともに映っている仲間たちや後輩たちのステージを見ることができたのは収穫でした。
花やしき少女歌劇団に興味を持ったことで、浅草を訪れる機会も多くなり、浅草の風景も楽しませていただきました。コロナ禍に見舞われていあらは、浅草にも行っていませんが、また、いつか、訪れる機会があるだろうと思います。
そして、花やしき少女歌劇団と上記の木村唯さんへのオマージュとして作った歌「花の少女」(北村正裕作詞・作曲)は、ライブハウスでのライブで、2017年から、ずっと、歌い続けていて、これからも、歌っていきたいと思います。

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17年1月22日、花やしき「特設ステージ」での花やしき少女歌劇団のショー

〔活動停止時のリーダーだった柳井萌花さんの20年7月3日のツイート〕
https://twitter.com/watasigamoeka/status/1543248691490082816

〔18年6月に掲載した14年夏の「8月のメリーランド」の映像分析ブログ記事〕
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52434879.html

〔「花の少女」リハーサル音源(17年2月公開)〕
https://youtu.be/KZdaKNFqk-s

【22. 7. 5追記】
22年2月16日のショーが、花やしき少女歌劇団の最後のショーになったようです。この最後のショーの動画がYouTubeで見られます。
https://youtu.be/Zy_lz1PG4e0
これまで花やしき少女歌劇団の数多くのステージを撮影して動画公開されてきたContarex Tokyoさんの動画です。
(22. 7. 5追記)

「赤い靴はいてた女の子」モデルきみちゃんもマスク姿(麻布十番)

コロナ禍の中、港区麻布十番にあるきみちゃんの像もマスクを着けています。

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マスク姿のきみちゃん像(麻布十番、22年3月12日撮影)

「きみちゃん」は、「赤い靴はいてた女の子……」と歌われる野口雨情の童謡「赤い靴」のモデルとなった少女。
像の下には、次のように記されています。
「きみちゃんは赤ちゃんの時、いろいろな事情でアメリカ人宣教師の養女に出されます。母、かよさんはきみちゃんがアメリカに行って幸せに暮らしていると信じて雨情にこのことを話し、この詩が生まれました。しかし、きみちゃんは病気のためアメリカには行けませんでした。
明治四十四年九月、当時麻布永坂町、今の十番稲荷神社のあるところにあった孤児院で、ひとり寂しく亡くなったのです。まだ、九歳でした」

歌では「横浜の埠場から船に乗って異人さんにつれられて行っちゃった」と歌われますが、その横浜にある「赤い靴はいてた女の子の像」は山下公園に座って海の方を見ているのに対して、麻布十番の像は立った姿勢で街を見ているように見えます。

麻布十番商店街振興組合の広報部長などを歴任されたという山本仁壽(きみとし)さんによる「麻布十番未知案内」というウェブサイト
https://jin3.jp/index.htm
の中の「赤い靴の女の子 きみちゃん」のページ
https://jin3.jp/kimi/kimi-1.html
に解説があり、参考書の紹介もあります。
その解説によると、1973年に北海道新聞に掲載されたきみちゃんの妹さんの投稿記事がきっかけで、北海道テレビ記者だった菊地寛さんによる調査、研究の結果、上記のようなことがわかったようです。
きみちゃんがアメリカで幸せに暮らしていて欲しいという思いも込められていたと思われる童謡「赤い靴」は、本居長世によるメロディーとあいまって、悲しい感じの歌で、誘拐をも連想させるような詩は怖いという感じさえしますが、現実はもっと悲しいものだったということなのですね。
麻布十番のきみちゃん像は1989年に作られたそうですが、「麻布十番未知案内」のウェブサイトの中の「七つのきみちゃん像」のページ
https://jin3.jp/kimi/seven-statues.html
には、1979年完成の横浜の像の他、きみちゃんの生まれ故郷の静岡県や、きみちゃんの母の移住先の北海道などにあるきみちゃん像も紹介されています。

つい先日、NHKの番組「日本人のおなまえ」で、麻布十番の地名も取り上げられ、江戸時代の工事のさいの「一番」から「十番」までの人足場のうち、古川が大きく曲がっていて荷上場に適していた「十番」付近だけが発展し、「一番」から「九番」がなくなってしまった後も「十番」だけが地名として残ったという話が紹介されていましたが、その古川の曲がり角は、地下鉄の麻布十番駅の出口に近い一ノ橋から見ることができます。

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きみちゃんが亡くなった孤児院があった場所という十番稲荷神社(麻布十番、22年3月12日撮影)

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麻布十番駅出口付近の一の橋から見える古川の曲がり角(22年3月12日撮影)

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横浜、山下公園の「赤い靴はいてた女の子」の像(19年9月22日撮影)


〔北村正裕ホームページ紹介サイト〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura

〔北村正裕ツイッター〕
https://twitter.com/masahirokitamra

C型肝炎ウイルス発見者等にノーベル賞

C型肝炎ウイルス(HCV)を最短8週の服薬で駆除できるようにした新薬、マヴィレット(一般名=グレカプレビル/ピブレンタスビル)の発売情報は、2017年11月の記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52425195.html
に書きましたが、C型肝炎が「治る」病気になるまでの研究の出発点になったウイルス発見者等のノーベル医学生理学賞受賞決定が報道されました。

NHKウェブ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201005/k10012649311000.html

サイエンスポータル
https://scienceportal.jst.go.jp/news/newsflash_review/newsflash/2020/10/20201005_01.html

サイエンスポータルの記事によると、今回の医学生理学賞の受賞者のうち、「オルター博士は既知の肝炎ウイルスとは異なるウイルスが存在することを明らかにした。ホートン博士はこのウイルスを特定。ライス博士は見つかったウイルスがC型肝炎を引き起こすことを確かめた」とのこと。

今回は、ウイルス発見者等、米国とカナダの研究者の受賞ですが、治療薬の開発にいたる過程では、C型肝炎ウイルスの培養方法を開発した脇田隆字氏等、日本の研究者の貢献も大きかったようです。

「夢ナビ」サイト内の「C型肝炎の治療法はどうやって確立されたのか?」というページ
https://yumenavi.info/lecture_sp.aspx?GNKCD=g009227&OraSeq=56&ProId=WNA002&SerKbn=Z&SearchMod=6&Page=1&KeyWord=%E8%82%9D%E8%87%93
には、
「C型肝炎ウイルスに対して効果を持つ薬を開発するには、実験に使うためのウイルスを培養して用意しなければなりませんが、このウイルスは生体外での増殖力が弱く、人工的な培養には大きな壁がありました。しかし、2000年代はじめに医学者の脇田隆字氏が開発した手法により、C型肝炎ウイルスの培養が可能になったのです。しかもその後の実験によってウイルスに対して非常に効果のある薬が発見され、副作用の強いインターフェロンを用いなくてもC型肝炎を治療できるようになりました。それはまさに、劇的な変革を医療の世界にもたらし、現在C型肝炎ウイルスによる肝硬変、肝がんを患っている人は以前より大幅に減少しています」
と書かれています。

脇田隆字さんは、今年前半に、新型コロナウイルス対策について政府に助言するための機関として設置されていた専門家会議の座長だった方ですね(現在、国立感染症研究所所長)。

厚生労働省のサイトには、脇田隆字氏等の研究「肝炎ウイルスの培養系を用いた新規肝炎治療薬の開発」の解説
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkyuujigyou/pdf/result3300.pdf
もあります。

上記の「夢ナビ」のページでは、田中篤氏(帝京大学教授)の学生向けの講演動画(2018年、夢ナビ)が見られるようになっていて、約26分の動画のうち8分~16分の部分にC型肝炎の解説があります。
動画では、日本での「HCVキャリアはおよそ100~130万人」、「HCV抗体陽性率は高年齢では2%を超えるが、若年層では極めて低い」、「感染に気付いていないHCVキャリアはおよそ80万人」といったこと、初期のインターフェロン療法は5~10%程度の治癒率で、「副作用ばっかり」、「惨たんたる成績」だったこと、新薬、グレカプレビル/ピブレンタスビルでの治癒率は100%であることなどが説明されています。

その、グレカプレビル/ピブレンタスビル(商品名=マヴィレット)を開発したアッヴィ社が運営するウェブサイト「C型肝炎サポートネット」の中の解説ページ
http://cgatakanen-support.net/before/index.html
には、「現在HCVに感染している方は過去の輸血や使い回しの注射などが原因と考えられます。また、今は日常的な生活の場でHCVに新たに感染することはほとんどないと考えられています」とある一方、「30歳以上の100人に1~3人がC型肝炎ウイルスに感染」とも記されています。

自覚症状のないまま進行して、肝臓がんに至る可能性が高い病気なので、昭和生まれの人で、まだ、検査を受けていない人は、早く、検査を受けることが大切だと思います。検査を受けないと、せっかくの治療薬も使えず、ノーベル賞級の発見の恩恵を受けることもできないことになり、それは、とてももったいないことですね。昭和生まれの人で、一度もC型肝炎の検査を受けたことがない人がいたら、是非、教えてあげてください。検査については、保健所や医療機関に相談することをおすすめします。注射器が使い捨てになっていなかった昭和の時代に生まれた人の場合は、誰がウイルスに感染していてもおかしくないでしょう。
今なら、自覚症状のないうちに発見できれば、昔と違って、ほとんど副作用もなく、簡単に治すことができるようになっています。

16年に電子出版した闘病記『歌う童話作家のC型肝炎闘病二十年: 副作用の精神症状での半年入院と社会復帰から新薬での治癒までの舞台裏』
https://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B01IJTYWYI/
に、患者の立場で体験した治療法の変遷を記してあります。
この電子書籍については、16年7月のブログ記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52398364.html
で紹介しています。


〔ホームページ内のC型肝炎治療薬情報のページ】
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/c-kan-l.htm

〔北村正裕ホームページ紹介サイト〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura


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【2020.10.15追記】
10月15日の朝日新聞科学面に、改めて、ノーベル医学生理学賞にC型肝炎ウイルスの発見者等が選ばれたことが取り上げられていて、ウイルスの遺伝子配列のほぼ全容を解明した下遠野邦忠氏など、日本人研究者の貢献についても書かれています。記事には、「肝炎は戦後、輸血の後に確認される例が相次ぎ、世界的な問題になっていた。注射の使い回しなどが原因と考えられた」、「1960~70年代にA型とB型の肝炎ウイルスが発見された。だが、その後も輸血後に原因不明の肝炎になる患者が続いた。それが新しいウイルスによるものと突き止めたのがオルター氏。89年にはマイケル・ホートン氏がウイルスの遺伝物質を特定。チャールズ・ライス氏はこのウイルスだけで肝炎が引き起こされることを証明した」と説明され、日本人研究者の貢献も大きいとしたうえで、「こうした研究が、新薬の開発につながっていった」と、書かれています。
ところで、朝日新聞に2016年に掲載された歌手の伍代夏子さんの闘病を記した記事が、現在、製薬会社、ギリアド・サイエンシスが運営するサイト「C型肝炎のない明日に」の中のページ
https://naosou-cgatakanen.jp/experience/
に、「C型肝炎と私」というタイトルで再掲載されています。伍代さんは、C型肝炎を克服した芸能人のひとりで、まだ、治癒率が5割程度だった時代のペグインターフェロンとリバビリンの併用療法でウイルス駆除に成功されたそうで、その後、厚生労働省の「知って 肝炎プロジェクト」にも参加して啓発活動をされていて、ラジオ番組に出演するなどして、まだ検査を受けていない人への検査の呼びかけをされています。
現在掲載されている記事の終わりの方には、「情報編」があり、「C型肝炎は患者の多さから「国民病」とも呼ばれている。ウイルス感染者は100万〜150万人と推計され、感染に気づいていない人が相当いるとみられる」、「ウイルスは血液を介して感染する。主な感染経路は、高感度の検査が導入される前の輸血や、ウイルスの不活化処理が十分でなかった血液製剤、かつての医療現場であった注射器の使い回しなどとされている」、「感染は血液検査でわかる。職場などの定期的な健康診断の項目に含まれていないところもあり、厚生労働省は、少なくとも一度はウイルス検査を受けるよう呼びかけている。保健所では無料で受けられる」等の情報が載っています。
先日、10月12日に朝日新聞ウェブ版に掲載された「C型肝炎の治療は大きく進歩 ウイルス発見にノーベル賞」という記事
https://www.asahi.com/articles/ASNB94GXJNB9UBQU001.html
には、「C型肝炎は症状がないことも多いです。せっかく治る病気になったのですが、感染していることに気づかないまま、肝がんが進行してはじめて診断されることもあります。これまで一度も検査を受けたことのない方はC型肝炎の検査を受けることをお勧めします。通常の生活を送っていればC型肝炎ウイルスに感染することはありませんので、一生に一度で大丈夫です」と、書かれています。ここに書かれている「通常の生活を送っていればC型肝炎ウイルスに感染することはありません」というのは、あくまでも現在の話であり、注射器が使い捨てになっていなかった昭和の時代には、誰が感染してもおかしくない状況だったわけですから、昭和生まれの人で、まだ、検査を受けていない人は、検査を受けるべきだろうと思います。

アザラシヴィリの無言歌

アザラシヴィリ作曲の「無言歌」、遠藤真理&読響ライブ盤の音源聴いているとチェロの音が日本語の歌に聞こえてきて、自分が感じたまま、詩を書いてしまい、昨日(4月9日)、ツイッターに投稿しました。
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1248160753024024576

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"Dgeebi midian"というジョージア語版の歌がすでに存在しているようですが、今回、僕が書いた詩は、その歌詞の翻訳ではなく、独自の日本語の詩です。

遠藤真理&読響ライブ盤の音源は、Spotify等の配信の他、Amazon等でのダウンロードもできます。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07FKKWLWR/

この曲については、例えば、チェロとピアノによるGeorgia Modernによる演奏の動画が18年4月にYouTubeで公開されています。
https://youtu.be/fhTTEodT5N4





遠藤真理&読響ライブ盤のほうは、チェロとチェロアンサンブルによる演奏です。楽器編成も色々で、チェロアンサンブルとピアノによる演奏の動画としては、19年11月にYouTubeのarparecordsチャンネルで公開されたサンクトペテルブルクチェロアンサンブルによる演奏の動画
https://youtu.be/RykSJ4Ymi5k
等があります。

ジョージア語の歌詞による歌"Dgeebi midian"のジャズ風の歌唱の動画の情報が、「Langsamer Satz」というブログの16年2月28日の記事
http://nailsweet.jugem.jp/?eid=1295
の中にあります。

その中に紹介されている動画のひとつ、16年にYouTubeで公開された動画「Liza Bagrationi & Nikoloz Rachveli - Dgeebi Midian」
https://youtu.be/RkoUHlZniHU
のページには、
「Composer: Vazha Azarashvili. Lyrics by Petre Bagration-Gruzinski」という記述があります。
アザラシヴィリの曲に、グルジンスキイという人が詩を書いたということでしょうか?

今回、僕が書いた詩は、この"Dgeebi midian"のようなジャズ風の歌唱ではなく、この記事の冒頭に書いたように、遠藤真理&読響ライブ盤の音源で聴けるような音楽のイメージで書いたもので、実際に歌うなら、合唱が良いかもしれません。

なお、歌唱を伴わないバージョンのタイトルは、多くの場合、日本語では「無言歌」、英語では"Song Without Words"となっていますが、18年にNAXOSレーベルから発売されたのスレイマンの演奏の音源のタイトルは"Days Go By"(日本語では「過ぎ去りし日々」)となっています。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07K38MLLT

そして、このスレイマンの音源について、naxos.comのサイトにある解説
https://www.naxos.com/mainsite/blurbs_reviews.asp?item_code=8.579030&catNum=579030&filetype=About%20this%20Recording&language=English
を見ると、この「Days Go By」について、
"The lyrics by the poet, P. Grouzinsky – ‘Days go by, melting away as a candle, we will always regret our silence’ – express the gentle regret of unconfessed love, while Vaja Azarashvili’s music proclaims the strength of pure feeling."
という記述があります。
この解説を日本語にすると、「アザラシヴィリの音楽は、純粋な感情の強さを表現し、詩人P.グルジンスキイによる『日々は過ぎ去り、キャンドルのように溶けていき、私たちは、いつも沈黙を後悔する』という歌詞は、告白されなかった愛への穏やかな後悔を表現している」といったところでしょうか?

チェロでの演奏の音源は、ト長調になっているものが多いようですが、歌唱バージョンでは、イ長調のものがあるなど、キーが違っているものがあるようです。また、キーの違い以外にも、バージョンによって編曲が色々です。複数のバージョンで、中間部、後半で、二度転調してもとのト長調に戻っているようにきこえます。チェロの演奏で、キーは同じでも、1オクターブ高い音を出して、バイオリンのようにきこえるような演奏になっているバージョンもあるようです。スレイマンの演奏は、チェロでの演奏のようですが、バイオリンのようにきこえる高い音を多用しています。本当にバイオリンで弾いている音源もあるようです。

昨日、ツイッターに、詩そのものだけでなく、関連情報もいくつかツイートしましたが、ツイートの字数制限でツイート数が多くなってしまうため、書ききれなかったこともあり、このブログ記事に、その書ききれなかった情報も含めて、まとめてみました。

〔ツイッターの関連ツイート〕
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1248161984060649472

〔北村正裕ホームページ紹介サイト〕
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【2020.4.19追記】
4月10日の記事の中で、P. Grouzinskyによるジョージア語の歌詞についての情報を記しましたが、そのジョージア語の歌詞の日本語訳の日本語による歌唱音源の情報を得ました。
許瑛子による訳詞、米良美一による歌唱で、「無言歌」というタイトルで、発売されていて、AmazonやSpotifyの配信で聴くことができます。
「うたまっぷ/com」のページ
https://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-170405-031
には、訳詞が載っていて、そのページには「作詞 許瑛子」と書かれていますが、
「Mkiki」というサイトに載っている米良美一のインタビュー記事
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/14144
を見ると、「グルジア(ジョージア)の作曲家ヴァージャ・アザラシヴィリの楽曲で本国では愛唱歌として親しまれている。日本語訳詞は作詞家の許瑛子」と書かれており、原詩の作詞者のグルジンスキーの名は記されていませんが、ジョージア語の歌詞の日本語訳であることが明記されています。
"dgeebi midian"という原詩の一部はジョージア語のまま日本語の訳詞の中にはいっています。ジョージア語の歌のタイトルでもあるこの言葉、「時は過ぎる」というような意味のようですが、米良美一の歌唱では「ダハビ ミディアン」というようにきこえます。YuTubeにあるLiza Bagrationiの歌唱では「ドゥレービ ミディアン」というようにきこえます。また、米良美一のバージョンは、キーが原曲と違っています。
そして、このGrouzinskyの詩は、僕の感覚では、アザラシヴィリの曲の美しさを十分に表現できていないように感じるのですが、いかがでしょう?
僕は、先日の記事の中にも画像を載せた僕自身の詩で、女声または混声合唱で歌っていただきたいと思います。合唱団や、歌手、関係者の方などで、興味お持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ、ご連絡ください。
ホームページ
http://masahirokitamura.art.coocan.jp/
に掲載しているアドレス宛にメールで連絡いただければありがたいです。
YouTubeで聴けるジョージア語の歌は、チェロで奏でられる音楽のイメージとはかなり違ったイメージで、ジャズ風のアレンジでの歌唱になっていますが、僕が書いた詩は、先日の記事にも書いた通り、遠藤真理さんのチェロの音色からイメージして書いたものです。遠藤さんのチェロの演奏を聴いていると、先日の記事の中にある詩のようにきこえたので、自分で書いたその詩での歌唱を、ぜひ、聴きたいと思っています。
(2020.4.19追記)

〔関連ツイート〕
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1248512913721053185

ブラウザEdgeの日本語表示への変更と検索設定等

PCのブラウザ(インターネット閲覧ソフト)、Microsoft EdgeがWindows8.1でも使えるようになったので、Windows8.1のPCにEdgeを
https://support.microsoft.com/ja-jp/help/4501095/download-the-new-microsoft-edge-based-on-chromium
からダウンロードし、エクスプローラのお気に入りのインポートや検索エンジンの変更設定などをしたのですが、Edgeが英語表示になっていたので、日本語表示に変更してみました。
ネット上のいくつかの情報も参考にしながら、日本語設定への変更を試してみましたが、もしかすると、同じような状況の人が結構多いかもしれないので、自分が試した手順を書いておきます。
まず、Edgeの右上の「…」の部分をクリックして、表示されるメニューから設定(setting)を選択し、現れた設定画面の左上の「setting」の文字の左隣りの三本線の表示をクリックして、現れるメニューから言語(Langage)を選択。画面右の方に現れる言語の追加(add)をクリックして、選択肢の中から「日本語」を選んで追加(add)。次に、優先する言語の中の最上位に日本語を移動させるために、「日本語(Japanese)」の右にある「…」をクリックして、トップに移動に移動させるための選択肢を選びます。そうすると、優先する言語のトップに日本語が表示され、その右に再起動ボタンが表示されたので、これをクリックして、Edgeを再起動すると、設定が切り替わりました。
この作業を先にやっておけば、エクスプローラのお気に入りのインポートや、検索エンジンの切り替えも、多少、やりやすいかもしれません。
例えば、検索バーの検索エンジンをbingからgoogleに切り替えたい場合は、まず、EdgeでGoogleのトップページ
https://www.google.com/
を表示して、Edgeの右上の「…」の部分をクリックして、表示されるメニューからアプリ(app)を選択し、現れたメニューから、「このサイトをアプリとしてインストール」を選択し、その後、Edgeを再起動すれば、検索バーの検索エンジンがgoogleに切り替わると思います。

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日本語設定に直した後のEdgeの言語設定画面


〔北村正裕ホームページ紹介サイト〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura

〔北村正裕ツイッター〕
https://twitter.com/masahirokitamra


【2020. 2.20追記】2月6日の記事で、Windows8.1PCでのEdgeのアドレスバーの検索エンジン設定について書きましたが、Wondows10PCでEdgeを使ってみたところ、先日記したWindows8.1のときと状況が違ったので、Windows10PCでアドレスバーの検索エンジンの切り替えについて試した手順についても記しておきます。Edheの画面の右上の「・・・」をクリックして出てくるメニューから「設定」→「詳細設定」と進み、画面を下のほうにスクロールしていくと、画面右下に「アドレスバー検索」という項目が現れ、「検索エンジンの変更」というボタンが現れ、それをクリックすると、BingかGoogleのどちらかを「既定として設定」できるようになっていました。
(2020. 2.20追記)

学習支援(無料学習会)最新情報(19年5月)

 経済事情等で塾に通うのが難しい小中高校生等を対象とした無料学習支援のボランティア活動について、最近の活動の紹介をします。
東京豊島区で開いている小中学生対象の学習支援会「クローバー」のボランティア募集については、昨年4月のブログ記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52432037.html
にも書きましたが、今年も、大学新入生を主な対象に、ボランティア募集活動の強化時期になり、月末、5/29(水)と5/30(木)に、ボランティア説明会を開きます。興味お持ちの方は、是非、ご利用ください。

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自分は、一昨年からの参加ですが、クローバーを開いているボランティア団体「子どもサポーターズとしま」は、2010年に活動を開始した団体で、最近、全国に活動の輪が広がってきている無料学習支援ボランティア活動の老舗的な存在だと思います。東京都内だけでなく、近郊の大学生もボランティアとして参加しています。
詳しくは、クローバーのホームぺ―ジ
https://clovertoshima.wixsite.com/toshimaku-clover
をご覧ください。
北村正裕ホームページの中の教育・子ども学習支援情報リンクのページ
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/edu-l.htm
からもアクセスできます。

もうひとつ。これは、北村正裕個人での活動ですが、高校生を対象にした学習支援動画「高校数学プラス10題-2019-」全10本を、現在、制作中で、6月~8月にYouTubeの新しいチャンネル(2019年登録)
https://www.youtube.com/channel/UCqxFebRfIZMXCZ3FcqPY3ag
で順次公開予定です。
6月公開予定の「第1回」のタイトルは「それって、同様に確からしい?」。
7月公開予定の「第2回」のタイトルは「逆向きの矢は的に当たる?」。
その後、第3回~第10回は、7月~8月に、順次、制作、公開予定です。
上記の教育・子ども学習支援情報リンクのページ
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/edu-l.htm
からもアクセスできるようにする予定です。
また、第1回の動画公開時には、ツイッター( @masahirokitamra )
https://twitter.com/masahirokitamra
でのツイートでお知らせする予定です。

上記のクローバーは、勉強を教えるだけでなく、地域の子ども達の「居場所」としての意義もあり、ボランティアにとってもとても勉強になり、また、バーベキュー大会などのイベントもあって、楽しい活動です。それに対して、学習支援動画は、いわば片道通行なので、これだけでは、学習会のような楽しさにはつながりませんが、高校数学の場合、高校の教科書を読んだだけでは理解しにくいだろうと感じる点も少なくないため、学習会のような活動を補完する意味でも、解説動画を制作、公開する意味は、それなりにあるのではないかと思います。もちろん、一人で多数の動画を作ることはできませんが、多くのボランティアが少しずつでもできることをやれば、全体としては、大きな力になるかもしれないと思います。そして、解説動画を制作、公開することで、新たに、無料学習支援ボランティア活動に興味を持っていただける人が増えるということにつながれば、さらに、意味があるということになると思います。そんなことも、少し、期待しています。それから、今回、各回のエンディングに、アルバム「宝石の作り方」の音源から、北村正裕作詞・作曲・歌による「全然オッケー」の一部を使用しますが、自分の歌を、新たな視聴者の方に聴いていただく機会にもなるという自分にとってのプレミアもついて、制作やってみることにしました。というわけで、エンディングテーマもお楽しみに。
なお、音楽動画は、2012年登録の音楽用の北村正裕チャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCtsFGii6IOR0L_0sFGHmLYQ
で公開しています。
音楽情報用ホームページ
http://masahirokitamura.art.coocan.jp/
には、CDや楽曲配信(Apple、Amazon、LINEミュージック等)の情報もありますので、こちらもよろしく。
また、音楽情報配信専用のLINE公式アカウント(ID= @lgz4605z )で、ライブ関連情報等、音楽情報を配信していますので、こちらも、是非、よろしく。

なお、ホームページ紹介サイト
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura
から、ホームページ、ツイッター、YouTubeチャンネル等にアクセスできるようになっています。


【追記】
学習支援動画「高校数学プラス10題-2019-」公開予告映像を公開しました。
https://youtu.be/ByFbqGGHECc
https://youtu.be/ByFbqGGHECc

BGMには、各回のエンディングテーマとなる「全然オッケー」(北村正裕作詞・作曲・歌)の音源を使用しています。

C型肝炎「自分には関係ない」とお考えの方へ(未治療百万人、早期治療なら完治)

2018年秋、がん治療薬、オプジーボは、その基礎となる研究がノーベル賞の対象になったことで、かつて、その高い薬価が国会での薬価論争の契機となったとき以上に有名になりましたが、そのノーベル賞受賞の直後の11月に発表された2018年7~9月の国内医療用医薬品の売り上げランキングでは、そのオプジーボを上回るトップにランキングされたのは、2017年11月に発売されたアッヴィ社のC型肝炎治療薬「マヴィレット」(299億5200万円)でした。Answer Newsの11月7日の記事
https://answers.ten-navi.com/pharmanews/15067/
によると、「同薬は18年1~3月に334億9600万円、4~6月に423億8600万円を売り上げており、18年の売上高は早くも1000億円を突破した」とのこと。さらに、これを受けて、「年間販売額が1000億円超1500億円以下かつ、基準年間販売額の1.5倍超」の条件に該当するとして、厚労省が、19年2月からのマヴィレットの薬価の引き下げ方針を決めたということが、ミクスオンラインの18年11月14日記事
https://www.mixonline.jp/Article/tabid/55/artid/65611/Default.aspx
などで報道されています。同記事には、「同剤はすべての主要なジェノタイプに効果を示すほか、直接作用型抗ウイルス薬(DAA)既治療の患者や腎機能障害患者にも投与できるなどの特長がある。投与期間を既存薬の12週間から8週間に短縮することも可能にした」との記述もあります。「市場拡大特例」の適用という、いわば、売れすぎによる値下げ第1号がマヴィレットだったということです。

注射器が使い捨てになっていなかった時代の注射などで感染が広がり、気づかぬ間に進行して多くの患者の命を奪ってきたC型肝炎も、ついに、克服のための準備が整いつつあるようです。しかし、マヴィレット(一般名=グレカプレビル+ピブレンタスビル)の薬価などをもとに計算すると、この間、この新薬で治療を受けた患者は、およそ2万人にすぎないことになります。日本肝臓学会編『C型肝炎治療ガイドライン』の2018年10月に改訂された第6.2版には、日本のC型肝炎ウイルス感染者は「100万~150万人存在すると推定されている」と記されていて、マヴィレットによるC型慢性肝炎患者の8週服用による初回治療でのウイルス駆除率が99%という治験結果から、現在、早期に治療すれば、ほぼ全員が完治することや、かつてのインターフェロン療法のような大きな副作用もないことを考えると、治療を受けたのが1年間で2万人程度というのは、あまりに少ないと思います。もちろん、治療薬はマヴィレットだけでなく、僕が、かつて、20年以上の闘病を経た末に2015年に治験に参加してウイルス駆除に成功した治療薬、エレルサ+グラジナ(一般名=エルバスビル+グラゾプレビル、2016年発売)や、2015年秋に発売されたハーボニー(一般名=ソホスブビル+レジパスビル)も、条件次第では、現在でも「ガイドライン」で推奨薬になっていて、マヴィレット以外の治療薬で治療している人もいるでしょうが、それを考慮しても、治療を受ける人が少なすぎるように思われます。「NHKきょうの健康」2016年5月号テキストの記述では、実際に医療機関にかかっているのは約37万人となっていて、「多くの人が感染に気づかずに生活していると考えられます」とあります(P.58)。ここ数年での治療薬の開発の成果も、感染者の多くが感染に気づかず、医療機関を受診しなければ、生かされないのです。
17年12月1日のブログ記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52425410.html
では、「日本のC型肝炎未治療感染者数は百万超!?」と書きましたが、今でも、未治療感染者数が百万人近くいる可能性が高いように思います。

アッヴィ社が運営するウェブサイト「C型肝炎サポートネット」の中の解説ページ
http://cgatakanen-support.net/before/index.html
には、「現在HCVに感染している方は過去の輸血や使い回しの注射などが原因と考えられます。また、今は日常的な生活の場でHCVに新たに感染することはほとんどないと考えられています」とある一方、「30歳以上の100人に1~3人がC型肝炎ウイルスに感染」とも記され、昭和生まれの人なら、誰がウイルスを持っていてもおかしくないということになり、検査を受けたことがない人は、必ず、一度、保健所や医療機関で検査を受けるべきだと思われます。注射器の使い捨てが徹底されるようになった現在では、ピアスの穴開けなどの特殊なケースを除けば、新たな感染はほとんど起こっていないため、検査は一度で済むわけで、通常の健診には組み込まれていないため、自主的に検査を受けることが必要です(HCVとはC型肝炎ウイルスのことです)。そして、重要なことは、自覚症状が出ないうちに発見することです。というのは、マヴィレットなど、最近登場したC型肝炎治療薬の多くは、副作用も少なく、ウイルス駆除率が90%台後半という高率ですが、「非代償性肝硬変」と呼ばれる自覚症状が出るレベルにまで進行した状態の患者に対しては、安全性が認められておらず、使用が認められていないからです。また、進行した状態では、ウイルスを駆除した後でも、発がんリスクが高い状態が続いてしまうため、少しでも早く発見して、ウイルス駆除をすることが、とても重要になるわけです。非代償性肝硬変に進行しても使える新薬、エプクルーサも、まもなく発売されようですが、重症化する前に治療できれば、治療の選択肢も多く、それぞれの患者に合った治療法が見つかる可能性が高いわけです。

僕の場合、92年の年末に、たまたま感染性胃腸炎のような症状で近所の病院に入院したのをきっかけに、その病院の担当医の先生の判断で検査を受けることになり、C型肝炎に感染していることが判明したため、早期に治療を開始することができたのですが、そういう機会でもなければ、発見が遅れていたと思います。僕の母も、同じC型肝炎にかかっていたのですが、僕の感染が判明するまで自分の感染に気づかず、僕のすすめで検査を受けて、初めて病名が判明したのです。その母の場合、体質、体力などから、当時の強い副作用を伴うインターフェロン療法はすすめられることもなく、肝庇護療法と呼ばれる対症療法にとどめざるを得ませんでしたが、結果的に、肝臓がんを二度発症し、二度目の発症のさいには、がんが多発している状態で、とうとう、命を落とす結果になりました。そのころは、まだ、現在のマヴィレットのような治療薬がなかったのです。そうした経緯の詳細などは、2016年に電子出版した『歌う童話作家のC型肝炎闘病二十年~副作用の精神症状での半年入院と社会復帰から新薬での治癒までの舞台裏~』(Amazon Kindle版、以下「闘病二十年」と略記)に書いてあるので、興味お持ちの方はそちらをご覧ください。
16年7月17日の記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52398364.html
でも紹介していますが、Amazon Kindleストア
https://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B01IJTYWYI/
で購入できます。
ただし、この電子書籍は、闘病中の方に向けて書いたものではなく、むしろ、病気とは縁のないような方に、「闘病」という「別世界」の体験をお話しして、こんな世界もあるのだということを感じていただきたいという思いのほうが強いです。
そういう意味では、例えば、16年7月17日の西村能一さんのツイート
https://twitter.com/no_ichi_/status/754672087315255296
で、「病気を持っている人の希望になれば良いですね」という一言で片づけられてしまっているのは、残念な反応の例です。おそらく、西村さんは、本を(少なくともきちんとは)読んでもいないのでしょう。「自分には関係ない」と思われたのでしょう。中途半端な説明でわかったような気になってほしくないから、エッセイを書いて電子出版するまでは闘病を公表しませんでしたが、電子出版しても、きちんと読んでくれる人は少ないのかもしれません。

さて、今回の記事の本題に戻って、C型肝炎は、注射器の使い捨てが徹底されていなかった昭和の時代の注射を受けた回数が多い人ほど感染している可能性が高いようで、昭和生まれの人で、まだ、C型肝炎の検査を受けていない人は、早急に検査を受けたほうがよいと思います。僕の母のように、すでに亡くなってしまった人が多いなかで、昭和の時代に、いつのまにか注射で感染していながら、これまで気づかなかった人で、未だに自覚症状が出ないレベルにとどまっている人は、ある意味では幸運です。今なら、自覚症状が出ないうちに発見できれば、最短8週の服薬で、病気を治すことができるからです。まだ検査を受けていない昭和生まれの方には、是非、明日にでも、、保健所に電話をして、C型肝炎の検査の予約をされるよう、オススメします。
「今日」ではなく「明日」と言うことにはわけがあります。この文章を含めて、様々な情報の信ぴょう性を評価するには、一定の時間がかかるわけで、考える余裕も与えずに「今日、今、すぐ」等と言うのはオレオレ詐欺のようなものでしょう。津波からの避難でもないし、また、C型肝炎は進行性の病気であるとはいえ、心臓発作などと違って、1日の遅れが致命的という病気でもないのです。ですから、情報をよく検討し、最終的にはご自身の責任で、冷静に判断してください。
もし、あなたが昭和生まれで、まだ、C型肝炎の検査を受けていなければ、「今日」でなく、「明日」(明日が休日なら休日明けに)検査の予約をするようにオススメしますと書きましたが、そうしなかった場合、将来、「手遅れ」になってから病気が発見される可能性は数パーセントです。つまり、なにもしなくても問題ない確率は9割以上です。一方、検査に出かけるために半日を費やすことにともなうあなたの「損失」について、僕は、一切、責任をとることはできません。そういうことも考えた上で、結局、あなたの行動は、当然、あなた自身の責任で決めていただかなければならないのです。

副作用の強いインターフェロン療法しかなかった時代なら、こんな苦しい治療を受けるくらいなら、悪化して死んだほうがマシと考える人も少なくなかったわけで、それも、ひとつの選択肢です。実際、体質、体力的に副作用に耐えられない人は少なくなかったわけで、僕の母も、体質、体力等を考えると、とてもインターフェロン療法を受けられるような状況ではなく、対症療法にとどめざるを得ず、結果的に病気が悪化して亡くなってしまいました。
また、インターフェロンを使わずにウイルス駆除を目指す、インターフェロンフリー療法についても、当初は、ウイルスの耐性変異を引き起こすことなどへの懸念も指摘されていました。
一例をあげると、2014年発売のダクルインザとスンベプラ(一般名=ダクラタスビルとアスナプレビル)について、「週刊東洋経済」2014年9月13日号には、「この組み合わせでウイルス駆除に失敗すると、次の薬剤選択ができない」(P.77)とまで書かれていました。
しかし、2017年発売の新薬マヴィレットは、ダクラタスビルとアスナプレビルでの治療で失敗した人の再治療でも効果を発揮しています。
肝臓学会の「ガイドライン」(第6.2版)には、ダクラタスビルとアスナプレビルによる治療不成功例30例に対するマヴィレットの治験で、30人中28人がウイルス駆除に成功したことが記されており、「ダクラタスビル+アスナプレビル併用治療の不成功例に対する再治療においては、グレカプレビル/ピブレンタスビル配合錠が第一選択である」と明記されています(P.62、「グレカプレビル/ピブレンタスビル配合錠」はマヴィレットの一般名)。今後、ウイルスの変異の状況などによっては、2019年1月に承認されたばかりの新薬、エプクルーサ(一般名=ソホスブビル/ベルパタスビル)も、非常に有力な選択肢になると思います。
マヴィレットの治験でもウイルス駆除が出来なかった2例は、いずれも、ウイルスにP32欠失(欠損)という特殊な変異がおこっていた例だったことも「ガイドライン」に記されていますが、つい最近、2019年1月、C型肝炎ウイルス(HCV)に、このP32欠損という特殊な耐性変異がある場合にも効果を発揮する新薬、エプクルーサが承認され、まもなく、発売されるようです。
さらに、このエプクルーサは、非代償性肝硬変という重症の段階に進行してしまった場合にも使えるという点で、これまでの治療薬にない特徴を持っています。
今後は、おそらく、C型肝炎患者の治療のうち、初回治療の慢性肝炎の場合はマヴィレット8週投与、初回治療の代償性肝硬変の場合はマヴィレット12週投与、非代償性肝硬変の場合はエプクルーサ12週投与、そして、DAA(直接作用型抗ウイルス剤)再治療の場合は、P32欠損変異が起こっているかどうかなどを調べて、マヴィレット12週投与か、エプクルーサ+リバビリン併用24週投与のどちらかを選択するという治療が行われることになるのでしょう。
いずれにしても、今では、インターフェロン療法しかなかった時代とは状況が全く違っているし、インターフェロンフリー療法についても、当初懸念されていた薬剤耐性の問題にこたえる新薬が開発されていて、治療をためらわなければならない状況ではありません。もちろん、特殊な条件で、どの治療薬も合わないというケースもあり得るので注意は必要ですが、ここ数年で、状況は大きく変わってきているということは確かなことです。
これだけ、治療薬の開発が進んでいるというのに、治療せずに悪化してしまうというのは、もったいないと思います。
エプクルーサについては、ミクスオンラインの2019年1月30日の記事
https://www.mixonline.jp/Article/tabid/55/artid/66941/Default.aspx
をご覧ください。

なお、、長い間、治療を受けてきた患者の多くは、最近の新薬で治癒しているようで、かつて、治療情報をブログ等で発信していた元患者の方々の多くが、発信をやめてしまっていますが、そんな中、miyaさんという元患者の方は、「いい日でありますように」というブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/miya_808jp
で、今でも、新薬などの情報発信を続けておられます。
また、芸能人では、例えば、インターフェロン療法で治療成功した元患者の演歌歌手、伍代夏子さんが、厚生労働省の「知って!肝炎プロジェクト」に参加して、啓もう活動に積極的に取り組んでおられます。

〔ホームページ内の関連ページ〕
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/c-kan-l.htm

〔北村正裕ホームページの紹介サイト〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura


【2019. 2.14追記】
メディマーケプラスの19年2月8日の記事
https://medimarkeplus.jp/scoop/2019/02/08/1007/
に虎の門病院の熊田博光顧問のセミナーの内容が紹介されています。
「マヴィレットとエプクルーサとがあれば、全症例の治癒が近づいて、感染症として克服の日は近い」
「大部分はマヴィレットで十分。p32だけは避けた方が良い」
「非代償性肝硬変の患者や、マヴィレットが効かないNS5A-p32欠損がある患者に対しては、エプクルーサを使用する」
「一生に一度で良いからC型肝炎の検査を受けてくださいと言うのが良いのだが」
等と書かれています。

木村唯&花やしき少女歌劇団「8月のメリーゴーランド」映像分析

  2017年夏の「木村唯生誕20年」の20回連載ツイートで、2014年の動画を中心に、花やしき少女歌劇団の動画の紹介をし、それらのツイートへのリンクを、2017年8月13日のブログ記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52419821.html
を載せていますが、まもなく、また、夏がやってくるこの時期に、あらためて、2014年夏の花やしき少女歌劇団による「8月のメリーゴーランド」(織音作詞・蓮沼健介作曲)の4つの動画(7/13、7/20、8/10、8/24)を、少し、詳しく見てみたいと思います。
いずれも、上記ブログ記事にリンクがある連載ツイートで紹介したもので、それぞれ、第①回、第⑦回、第⑯回、第⑰回のツイートに動画へのリンクがあります。
7/13と8/10の動画は、Contarex tokyoチャンネルの動画、7/20と8/24の動画は、hanayashikimusicチャンネルの動画で、いずれもYouTubeに投稿されたものです。

入場シーン
画面右から登場するメンバーの先頭は小坂衣純さん(当時高校1年生)。同時に、画面左からは、椅子に座った木村唯さん(当時高校2年生)と、唯さんの椅子を押す柳井萌花さん(当時中学1年生)が登場しますが、萌花さんが、唯さんの椅子を押しながらゆっくりと舞台中央に進んで中央で、椅子の車輪のストッパーをかけるのに対して、右から入場する衣純さんは、まっすぐ舞台前方に進み、一番先に、ダンスのポーズに入ります。ひとつの曲をまるごと一人の歌手が歌うのは、花やしき少女歌劇団では、この夏の唯さんが歌う「8月のメリーゴーランド」が初めてでしょうから、唯さんにとっては、気合のはいる晴れの舞台であると同時に、重圧もあって当然ですし、右足の義足をつけて椅子に座って歌う唯さんの椅子を舞台中央にセッティングする重責を担う萌花さんにも、かなりの重圧がかかるはずです。この入場シーンでは、少し先に舞台前方に進んでダンスのポーズにはいる衣純さんが、唯さんと萌花さんに重圧をかける観客の視線の一部を自らに向けさせて、萌花さんたちにかかる重圧を少しでも軽減する役割をになっているように見えます。この前年のステージでも唯さんをサポートする重要な役割を担ってきた衣純さんの、ここでの重要な役割に、まず、注目したいところです。この入場シーンは、7/20のライブ映像が、とても見やすいアングルになっています。この動画は、17年7月20日のツイート
https://twitter.com/masahirokitamra/status/887968350885695488
で紹介したものです。曲が始まるときのメンバーのポジションは、画面左から、塩田怜里さん、酒井美紅さん、柳井萌花さん、木村唯さん、村岡桃香さん、大橋妃菜さん、小坂衣純さんです。ただし、8/24のステージでは、村岡桃香さんがお休みで、柳井萌花さんのポジションが、唯さんの真後ろにシフトしています。なお、7/20と8/24の映像には、入場シーンの前の場内アナウンスも収録されています。「お待たせしました。ただいまより花やしき少女歌劇団のショーをスタートいたします。それでは、どうぞ!」という唯さんの声。これは、あらかじめ録音されたものと思われます。中学3年だった2012年秋に右足の筋肉にできたがんが見つかり、翌2013年夏ごろまで抗がん剤治療を受けている間、花やしきのステージに出られない状態だった唯さんになんとかステージに参加してもらおうと、場内アナウンスで参加してもらおうと考えた歌劇団のスタッフが、自宅にお見舞いに行ったときに録音したということが、『生きて、もっと歌いたい』(芳垣文子著、2017年10月)第2章(P.44)に書かれています。僕には、「ショーを」というところが「ショーの」と言っているように聞こえるのですが、日本語としては「ショーを」が正しいわけですよね。

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最初にダンスのポーズにはいる小坂衣純さん(右端)

唯さんと萌花さんが交わした一瞬のアイコンタクト(7/13)
唯さんの椅子を舞台中央に固定した萌花さんは、唯さんから見て右隣りの自分のポジションに移動してダンスのポーズにはいらなければいけないのですが、7/13の動画に限り、ここで、とても興味深いシーンが見られます。ダンスのポーズに入りかけた萌花さんが、一瞬、唯さんの方を振り返っています。重要な役割、うまくいったのか、もう一度、確かめたくなったのでしょう。「唯ちゃん大丈夫かな?」、そんな一瞬の心配が動画から読み取れます。そして、その動作と同時に、唯さんが、右隣りの萌花さんのほうを振り向いたため、ここで、一瞬、ふたりの目が合っています。ふたりとも、ヘッドセットのマイクがついているので、ここで、声を出すことはありませんが、まるで、お互いに声をかけたかのように同時に顔を向け合う二人。唯さんは、萌花さんが自分のポジションにつくタイミングを確かめたかったのかもしれませんが、一瞬、見つめ合う二人のシーンを見ると、もしかすると、唯さんにも、大役を務める直前の不安な気持ちが隠せなかったのかもしれないとも思えます。萌花さんの姿を確認することで、自分の気持ちを落ち着かせようとした一瞬の行動だったのかもしれないとも見えます。結果的に、ここで、二人が一瞬のアイコンタクトを交わすことになり、「大丈夫だよね」「がんばろう」という合図が交わされているように見えて、このシーン、とても好きなシーンです。奇蹟とも言えるような「8月のメリーゴーランド」の名演は、この直後に誕生するのです。この7/13の「8月のメリーゴーランド」の動画は、17年7月13日のツイート
https://twitter.com/masahirokitamra/status/885441501051867136
で紹介し、「唯さんの多数のネット動画の中で、一番のお気に入りの動画」と書きましたが、今でも、この日の歌唱は、唯さんの最高のパフォーマンスだと感じています。7/20の冒頭では、萌花さんは、唯さんの椅子を固定した後、すぐに自分のポジションにはいりますが、唯さんは、7/20にも、萌花さんの姿を確かめるように、一瞬、右側を向く動作をしています。さらに興味深いのは、8/24の映像。この日は、村岡桃香さんが休んでいるため、萌花さんのポジションが、少しずれて、唯さんの真うしろになるのですが、この日も、唯さんは、スタート直前、一瞬、萌花さんの定位置の方を見る動作をしています。そこには、萌花さんの姿は見えないはずなのですが。後ろから入場する酒井美紅さんがポジションにはいるタイミングを確認しているのでしょうか?それとも、萌花さんが、見えない位置にまわっていることを間接的に確認しているのでしょうか?あるいは、7/13の萌花さんとの「アイコンタクト」の記憶がそうさせるのでしょうか?

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「8月のメリーゴーランド」スタート直前に一瞬見つめ合う柳井萌花さん(左)と木村唯さん

「キミのまわりを まるで8月のメリーゴーランド」
「シャツの袖をつかんでちょこちょこ歩き 急に止まるから」という歌詞から想像されるこの歌の中の子どもは2歳くらいでしょうか?これに続く「私思わず キミのまわりをくるくる まるで8月のメリーゴーランド」という歌詞に合わせ、6人(8/24は5人)のダンスメンバーが中央で歌う唯さんを囲んで輪を作り、花やしきのメリーゴーランドと同じ半時計まわりに回ります。そして、最初に内側を向いて輪を作っ後、続いて、外側を向いて輪を作っての回転も見せてくれます。これは、かなりの練習をしないとできない技でしょう。そして、メンバー全員の息が合っていないとできない演技でしょう。村岡桃香さんがお休みしている8/24のステージでは、代役をいれず、メンバーの間隔を少し詰めることで乗り切っています。

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♪まるで8月のメリーゴーランド


「思い出いっぱい作りましょう」(1回目)
2回登場する「思い出いっぱい作りましょう」という歌詞。1回目ではダンサー6人が、「思い出」で手を前で交差、そして、「いっぱい」という歌詞に合わせて、両腕を大きく広げて上にあげて回転しますが、7/20の公演では、こ動きに合わせて、唯さんも「思い出」で手を胸に、「いっぱい」で手を上にあげて見せます。唯さんのこの演技は、8/24の公演では、2回目に同じ歌詞が登場するところで演じられ、そのときには、中央付近でお手玉を披露する柳井萌花さん以外のダンスメンバ―4人の振りに合わせた動きになっています。「思い出いっぱい作りましょう」という楽しい歌詞と演技。でも、その歌詞には、いつか、これが、「思い出」になってしまうという寂しさの予感も漂い、そういうところが、この歌詞をより魅力的なものにしていると思います。そして、その後、7/20の公演で、また、唯さんが、7/13の公演で見せなかった演技を見せてくれます。

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♪思い出


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♪いっぱい

「ショーウィンドウに映るキミ」
7/13の木村唯さんの歌唱が最高だと感じさせる部分の例として、07年7/13のツイートにも書いたことですが、「逮捕しちゃうぞ」という織音さんの詩を甘く優しい声で歌う唯さんの美しい歌声!「た」は唯さんの声の甘味が特によく出るeに近い音で強めに歌い、「ぞ」は揺らしながら優しく響くaに近い音への変化。まさに一音入魂の歌唱だと思います。歌唱に全力を挙げているこの日の唯さんの手の演技は控えめで、予定の振りをこなしているだけですが、翌週の7/20の公演では、7/13には見られなかった演技が加わっています。曲の後半にはいるとき、メンバーの左右の位置が逆転しますが、その後、後半にはいって、「ショーウィンドウに映るキミ」と歌われる部分で、7/13には見られなかった演技が始まります。「キミ」という歌詞に合わせて、唯さんが右手人差し指を出して、「キミ」を指さすような演出。これは、7/13にはなかった演出です。唯さん本人が考えた振りなのかもしれません。唯さんのこのジェスチャーは、8/10では封印されますが、8/24には再び登場します。メンバー全体の振りは、この部分、唯さん以外のダンサー6人全員が後ろ向きになってステップを踏むという大胆なものですが、そう言えば、「ショーウィンドウに映る」姿は、前後が逆になるわけですね。それにしても、「また少し背が伸びたようですね」と、子どもの成長を喜ぶ母親目線の歌詞の後、「私を置いて大人になるのは ルール違反で逮捕しちゃうぞ」という歌詞のなんと素晴らしいことか!いつか巣立ってしまう日の寂しさを予感させながら、今の幸せを歌うこの歌詞の最大のポイントで、唯さんの歌唱力が最大限に発揮されているとい思います。

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♪ショーウィンドウに映るキミ


「思い出いっぱい作りましょう」(2回目)
この歌詞の中に、二度登場する「思い出いっぱい作りましょう」という歌詞。二度目にこの歌詞が現れる場面。ダンスメンバー6人のうち、唯さんに近い位置の柳井萌花さん(画面右)と村岡桃香さん(画面左)の二人がお手玉のパフォーマンスを見せますが、この二人のうち、村岡桃香さんは、8/24の公演では出演しておらず、その日は、全体のフォーメーションを微修正して、柳井萌花さんが、唯さんの真うしろでお手玉のパフォーマンスを見せます。そして、8/24の公演では、7/20の公演の1回目のこの歌詞の登場場面で演じられていた唯さんも加わるこの振りが、ここで、お手玉を披露する柳井萌花さん以外の4人のダンスメンバーと、中央で歌う唯さんの5人で演じられます。そして、その後、歌のラストに近づいたところで、7/20の公演で、唯さんが、またしても、7/13の公演で見せなかった演技を見せてくれます。

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♪思い出


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♪いっぱい


「キミと私の二人の夏が」
この歌詞の中の母親は、冒頭から、かなり若く、おしゃれなイメージで描かれていますが、ラストに近づいたとき、歌詞の中の母親は、子どもに「キミと私の二人の夏が」という言葉を使います。これは、この親子の家庭に父親がいないことをうかがわせる歌詞ですが、まるで、子どもを恋人のようにひたすら愛する母性愛が歌われるこの歌詞に合わせて、7/20の公演で、唯さんは、7/13の公演では見せなかった演技を見せてくれます。「キミ」で、右手人差し指を挙げ、「私」で、両手を胸に当て、「二人の夏」という歌詞に合わせて、右手の二本の指で「二人」を表現します。この一連の演技のうち、「キミ」の部分の演技は8/10には封印されますが、8/24には復活。「私」の部分の演技は、8/10でも8/24でも見せてくれます。そして、「二人の夏」の部分の演技は、8/10は同じで、8/24には、右手だけでなく、両手で演技して見せます。結果的に、4つの公演の中に、同じ演技のものは全くないのです。一期一会の演技を唯さんが意識していたかどうかはわかりませんが、少なくとも、結果はそうなっています。

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♪夏が来ました 夏が来ました


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♪キミと


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♪私の


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♪二人の夏が


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♪二人の夏が


「二人は8月のメリーゴーランド」
歌のラスト、「二人は8月のメリーゴーランド」という歌詞に合わせて、前半の「キミのまわりを まるで8月のメリーゴーランド」のところと同じように、6人(8/24は5人)のダンスメンバーが中央で歌う唯さんを囲んで輪を作り、花やしきのメリーゴーランドと同じ半時計まわりに回ります。そして、最初に内側を向いて輪を作っ後、続いて、外側を向いて輪を作っての回転も見せてくれます。そして、ラストシーン。全員が、笑顔で、バレエ「コッペリア」や「くるみ割り人形」に登場する人形たちを思わせる可愛らしいポーズをとりますが、スタート時とは左右が入れ替わっていて、画面左から、小坂衣純さん、大橋妃菜さん、村岡桃香さん、木村唯さん、柳井萌花さん、酒井美紅さん、塩田怜里さん。ただし、村岡桃香さんがお休みの8/24は、柳井萌花さんが、木村唯さんの後ろにシフト、さらに、この日は、7月のステージで両サイドのポジションだった小坂衣純さんと塩田怜里さんのラストポジションが、前方中央寄りにシフトし、大橋妃菜さんと酒井美紅さんがサイドにシフトして、5人が唯さんを囲むようなフォーメーションになっています。

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♪二人は8月のメリーゴーランド

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内側向きの後は外側を向いての輪で回転


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「8月のメリーゴーランド」のラストシーン
左から小坂衣純さん、大橋妃菜さん、村岡桃香さん、木村唯さん、柳井萌花さん、酒井美紅さん、塩田怜里さん


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「8月のメリーゴーランド」(8/24)のラストシーン
左から大橋妃菜さん、小坂衣純さん、柳井萌花さん(後方)と木村唯さん、塩田怜里さん、酒井美紅さん


歌詞について
すでに記したとおり、いつか巣立ってしまう日の寂しさを予感させながら、子どもの成長を喜ぶ母親目線の母性愛と幸福感を歌う歌詞。そして、母親は、冒頭から、かなり若く、おしゃれなイメージで描かれ、この親子の家庭に父親がいないことをうかがわせる表現もありますが、僕には、この歌詞に描かれている親子のシーンは、作詞者の想像する西暦2000年の7月下旬か8月上旬ごろ、描かれている子どもは、まもなく3歳になる女の子なのではないかとも思えます。そして、母親が若いイメージで描かれていることが、女の子に、やがて新しいお父さんができることを暗示しているようにも思えます。お母さんの愛情を一身に受けて育った少女は、花やしきのアイドルとなり、病気と闘いながらも、再び、花やしきのステージに戻ってきて、お母さんからもらった愛情を、感謝を込めて生き生きと歌う。これが、作詞者が考えたストーリーなのではないかと想像してしまいます。2015年に唯さんが亡くなった後、関係者への取材を重ねて書かれて2017年10月に出版された芳垣文子さんによる唯さんの伝記本「生きて、もっと歌いたい」には、唯さんのお母さんが、唯さんが1歳のときに離婚していること、唯さんは、3歳のときから新しいお父さん(唯さんは「父ちゃん」と呼んでいたとのこと)と3人で暮らしていたことが記されています。そして、「8月のメリーゴーランド」の作詞者の織音(おりおん)さんは、花やしき社長の弘田昭彦さんのペンネーム。唯さんの誕生日は8月13日です。だから、この歌は「8月のメリーゴーランド」なのだ、というのは、少し、考えすぎでしょうか。しかし、右足の切断手術にもかかわらず、がんが全身に転移してしまったことを、本人も、周囲の大人たちも知っていた2014年の春から夏にかけて、義足で立ち上がるためのリハビリを始め、とうとう、短時間なら立ち上がって歌えるようになった唯さんに、夏、新曲「8月のメリーゴーランド」を一人で全曲歌うステージが用意され、花やしきの音楽制作を担当していた作曲者の蓮沼健介さんも、ダンスの振付、指導を担当していた足立美幸さんも、歌劇団のダンスメンバーも、全員が全力を挙げて、最高のパフォーマンスでステージを作っているのは、残されたライブ映像に記録されている通りです。「私を置いて大人になるのは ルール違反で逮捕しちゃうぞ」という歌詞のすばらしさについては、すでに書きましたが、「私を置いて大人になる」というのは、直接的には自立して巣立つという意味ですが、別の世界に旅立つという意味でもあり、そこに隠された悲しみの予感が、この歌詞を決定的に感動的なものにしているのだと思います。

もうひとつの名曲『空へ』について
「8月のメリーゴーランド」と同じ時期に、花やしき少女歌劇団のもうひとつの名曲「空へ」が登場します。「8月のメリーゴーランド」が仲間たちに囲まれた唯さんが一人で歌う曲であるのに対して、少し先に披露された「空へ」は、義足で立ち上がった唯さんを中心にして、メンバー全員で歌う歌です。立ち上がって仲間たち(大橋妃菜さん、柳井萌花さん)と手をつないで唯さんが仲間たちと一緒にこの歌を歌ったのは2014年6月29日ですが、翌週には、唯さんは、手を離して、仲間たちと一緒に、両手で手話の振りを演じながら歌っています。この曲は、MCで「花やしきの花たちの歌」と紹介されますが、この「花やしきの花」というのは、花やしき少女歌劇団の少女たちのことなのだろうと思いますが、とりわけ、その輪の中心にいる木村唯さんのことなのでないかと思います。。花たちに「ありがとう」という歌詞が繰り返されるこの曲は、ハ長調で始まりますが、少し長めの間奏の後、ホ短調に転調し、寂しさを感じさせる曲調に変化します。そこでは、「その歌声 宝物だよ 笑顔の涙 忘れない」と歌われ、その後、曲は、再び転調してハ長調の明るい曲調に戻るのです。14年6月29日の映像を見ると、この日は、唯さんがMCを担当し、唯さんの左手を握っている柳井萌花さんは、マイクをつけずに歌っています。ここでの萌花さんの最大の役割は、ステージで義足で立ち上がって歌う唯さんのサポートなのでしょう。場合によっては、声を出して仲間に合図を送る司令塔の役割も想定されていたように思えます。これは、13年6月に、唯さんが右足の切断手術の前に一時復帰して、初めて椅子に座ってステージに登場したときに、サポート役の小坂衣純さんがマイクをつけずに唯さんの隣に座って歌っていた映像を思い起こさせます。「空へ」の前奏と間奏では、唯さんを中心に少女たちが作る花がゆっくりと開花していき、開いた「花」の中から唯さんが現れます。「8月のメリーゴーランド」のダンサーが大きな動きを見せていたのと対照的に、唯さんと一緒に全員が演技するこの曲の振りが手話であるということにも注目です。手話を採用するというアイデアには、ハンディを乗り越えてがんばるメンバーへのエールという意味もあるのかもしれないと思うこともあります。
この14年6月29日の動画は、昨年8/12のツイート
https://twitter.com/masahirokitamra/status/896282019730120704
で紹介していますが、YouTubeのContarex tokyoチャンネルの動画です。14年6月29日に唯さんが義足で立ち上がって「空へ」を歌ったことは、翌月の「8月のメリーゴーランド」の名演にもつながったように思われてなりません。
唯さんは、2015年10月14日に亡くなってしまいましたが、その後、「空へ」での花の開花を現す演出もなくなり、ヘッドセットからハンドマイクに変わって、少人数で歌われるようになってからも、原典版の手話の振りは受け継がれていきます。2017年3月の小坂衣純さんの卒業公演は、会場の花やしき座で見ましたが、その公演の最後にこの曲が歌われたときには、曲の最後、ボーカルを後輩のメンバーにまかせた小坂衣純さん、柳井萌花さんら4人が、目を閉じ、黙とうするような姿勢をとってからゆっくりと、空へ向かって顔をあげるという演出が実行され、当時、別の曲のボーカルを担当していた大橋妃菜さんも、この曲でマイクを持たずに舞台右手に登場し、両手での手話の演技を見せてくれました。
2017年2月に、この曲のメインボーカルを担当した柳井萌花さんは、重圧からか、曲の終盤、上手く声が出なくなってしまうというハプニングがあり、そのときの映像もネットで公開されていますが、2018年4月に再びこの曲のメインボーカルを担当した萌花さんは、最後までしっかりと歌いきり、現在、花やしき少女歌劇団の中心メンバーとして活動を続けています。
16年10月8日の朝日新聞の記事には、15年10月に唯さんが亡くなった直後のことが、次のように記されています。「訃報は、歌劇団の仲間に伝えられた。柳井萌花さんは、記憶がなくなるくらい泣いた。翌日、同じ中学校に通う村岡桃香さんと抱き合った。(中略)告別式の日。歌劇団の少女たちはひつぎを囲んで、歌劇団の代表曲『空へ』を、振りの手話をつけて歌い、唯さんを送り出した」(朝日新聞16年10月8日記事より)

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木村唯さんを中心に少女たちが作る花がゆっくりと開いていく間奏シーン


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♪その歌声


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♪宝物だよ


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♪笑顔の

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♪涙

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♪忘れない


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♪空へ 空へと伸びる
(中央で手を結ぶ3人は、画面左から大橋妃菜さん、木村唯さん、柳井萌花さん)


長く花やしき少女歌劇団で振付、ダンス指導を担当され、17年11月に歌劇団を離れられた足立美幸さんは、17年12月11日のインスタグラムへの投稿
https://www.instagram.com/p/BchvOIaFed5/
で、「『花やしき少女歌劇団』を語る上で欠かせない唯の存在、私が担当し始めた頃から切磋琢磨し共にステージを作り上げた大切な生徒であり仲間。たくさんの事に気付かせてくれ教えてくれた。三回忌を迎えた今も、唯がこの場にいない事は本当に悔しい」と書かれています。

14年夏の「8月のメリーゴーランド」の7人の出演メンバーのうち、現在、ただ一人、歌劇団に残っている柳井萌花さんは、17年5月のツイート
https://twitter.com/MoekaYanai/status/863548491443748864
で、「今日唯ちゃんのお下がり着てる 自分から唯ちゃんの匂いがする とてつもなく嬉しい 今日のステージも頑張れる気がする」と書いています。

〔関連ツイート〕
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1007061703584931840
https://twitter.com/masahirokitamra/status/994871148855820289
https://twitter.com/masahirokitamra/status/831449748934496257

〔HP内の関連ページ〕
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/merrygoround-l.htm





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花やしきの花壇(2017.8.20撮影)

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花やしきのメリーゴーランド(2017.8.20撮影)

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現在の花やしき少女歌劇団のメンバーの一部(18.3.18、終演後、花やしき通りで撮影)
左から百々香さん、カレンさん、萌花さん、咲彩(さあや)さん、結花さん

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https://youtu.be/KZdaKNFqk-s
https://youtu.be/KZdaKNFqk-s
*「花の少女」(北村正裕作詞・作曲)は、花やしき少女歌劇団で活躍した木村唯さんへのオマージュとして作った曲です。

【追記】
ブログ記事掲載のお知らせツイートしました。
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1012593014756106240
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1012599984284422145

【18. 7.26追記】
「8月のメリーゴーランド」(織音作詞、蓮沼健介作曲)には、僕の上記のような解釈とは全く別の解釈をしている人も多数いるようです。
それについては、ツイッターの
https://twitter.com/_398_SAKUYA/status/1015986889042509829
から始まるスレッドと、
https://twitter.com/_105_TOKO/status/1017793961451089920
から始まるスレッドをご参照ください。
(18. 7.26追記)



「花劇場」建設工事開始、浅草花やしき

先月は、浅草凌雲閣の遺構が見つかったという工事現場(花やしきからひさご通りをはさんで西側)を見に行ってきましたが、今日は、Beeタワーの跡地に新ホール「花劇場(かげきじょう)」の建設工事が始まった花やしきで花やしき少女歌劇団のショーを見てきました。

終演後に、園内を散歩してから、園外に出てみたら、花やしき通りで歌劇団のメンバーのうちの5人を発見。写真撮らせていただきました。

hsk180318-0538
花やしき少女歌劇団のメンバー(18年3月18日、花やしき座でのショーの後、花やしき通りで撮影)

今回、撮影させていただいた写真の中央に写っているのは、昨年7月28日のツイート
https://twitter.com/masahirokitamra/status/890892531977797632
で紹介した柳井萌花さんです。萌花さんは、昨年7月13日のツイート
https://twitter.com/masahirokitamra/status/885441501051867136
で紹介した動画の中で、冒頭、木村唯さんの椅子を押しながら登場しているメンバーです。
これらの、昨年夏の一連のツイートは、昨年8月13日のブログ記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52419821.html
からリンクをはってあり、また、同じ日のツイート
https://twitter.com/masahirokitamra/status/896627668187086849
にリンクをいれてあります。
その、昨年のツイートで紹介した動画の多くが、一昨年夏まで花やしきのシンボル的存在と言われていたBeeタワーの下にあったフラワーステージでの花やしき少女歌劇団のショーの映像ですが、Beeタワーは16年10月に解体され、現在、花やしき少女歌劇団のショーは、園内の劇場、花やしき座で行われています。
16年10月1日のブログ記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52402872.html
に、解体直前の16年9月30日に撮影したBeeタワーとフラワーステージの写真を掲載しています。
花やしき少女歌劇団は、一時は、Beeタワーの跡地に設置された仮設の「特設ステージ」でショーを行っていましたが、花やしきのホームページなどによると、Beeタワーの跡地には、来年、新しい多目的ホール「花劇場(かげきじょう)」が作られるということです。
Beeタワーの跡地は、また工事用のフェンスで囲まれていました。

hanayashiki180318-0534
Beeタワー跡地が工事用フェンスで囲まれた浅草花やしき(18.3.18、園内の建物屋上から撮影)

〔北村正裕ホームページ内の関連ページ〕
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/merrygoround-l.htm

【2018.5.11追記】
先月更新された花やしきのウェブサイト内の花やしき少女歌劇団紹介のページ
https://www.hanayashiki.net/stage/stage-c
を見ると、2014年夏に「8月のメリーゴーランド」の名演を披露した塩田怜里さん、酒井美紅さん、柳井萌花さん、木村唯さん、村岡桃香さん、大橋妃菜さん、小坂衣純さんの7人のうち、残っているのは、柳井萌花さん一人だけになってしまったようです。
指導者の方も、例えば、昨年出版された芳垣文子さんによる木村唯さんの伝記本「生きて、もっと歌いたい」の中で、いくつもの重要な証言をされていた足立美幸さんが、昨年、退団されたようです。
足立さんは、昨年12月に、インスタグラムへの写真の投稿
https://www.instagram.com/p/BchvOIaFed5/
のさいに、
『花やしき少女歌劇団』を語る上で欠かせない唯の存在、私が担当し始めた頃から切磋琢磨し共にステージを作り上げた大切な生徒であり仲間。
たくさんの事に気付かせてくれ教えてくれた。
三回忌を迎えた今も、唯がこの場にいない事は本当に悔しい」
と書きこんでいて、同時に、
「私がみんなの元を離れなければならなくなった理由もはっきり口に出せて良かった」
と書かれています。
花やしき少女歌劇団に残る人たちにも、離れる人たちにも、これからの活躍を期待したいと思います。
(2018.5.11追記)

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