北村正裕BLOG

【北村正裕のナンセンスダイアリー】童話作家&シンガーソングライター、北村正裕のブログです。 執筆情報用ホームページ(童話作家・北村正裕のナンセンスの部屋) http://masahirokitamura.my.coocan.jp/ と、音楽情報用HP(北村正裕アート空間) http://masahirokitamura.art.coocan.jp/ もよろしく。 X(旧ツイッター)アカウントは「@masahirokitamra」です。

文学

『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』刊行

小説『かがみの孤城』(辻村深月作)について論じる作品論、『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生―源流「エヴァンゲリオン」「まどかマギカと虚構と現実の芸術論』(北村正裕著、彩流社、2023年1月刊行)、一般書店での販売は今月中旬ごろからということです。
出版社からの情報では、川崎の映画館、チネチッタなど、一部の映画館では一般書店より早く販売されているそうです。
映画『かがみの孤城』鑑賞後または原作読了後にお読みください。

彩流社の情報ページ
https://www.sairyusha.co.jp/book/b10025211.html

版元ドットコムのページ
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784779128769

紀伊国屋書店のページ
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784779128769

hontoのページ
https://honto.jp/netstore/pd-book_32090684.html

amazonのページ
https://www.amazon.co.jp/dp/4779128765


『かがみの孤城』は、映画と原作小説とでは、ラストシーンとその直前シーンとの順番が逆になっていますが、『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』で言う「奇跡のラスト」のラストとは、もちろん、原作小説、2017年版のラストのことです。『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』の出版は、映画公開より後になりましたが、執筆は、ずっと前、『かがみの孤城』の映画化が発表されるよりも前のことで、22年1月に『夢の中の第3村』のタイトルで電子出版したものを再構成し、加筆修正を加えたものです。22年1月の電子本は、『かがみの孤城』との比較対象として取り上げたアニメ作品『エヴァンゲリオン』シリーズの完結編の映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』に登場する村の名前に由来するタイトルにしましたが、今回は、メインとなる『かがみの孤城』の名を書名にいれました。実際、この本は、小説『かがみの孤城』読了かまたは映画鑑賞を前提としていますが、比較の対象として取り上げているアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』と『エヴァンゲリオン』については視聴も予備知識も、一切、前提としないように書かれています。

小説『かがみの孤城』(辻村深月作)は、2013~14年に雑誌「asta*」に連載されたものの、物語の途中で連載終了となり、その後、大改作を経て完成した形で2017年に単行本として生まれ変わったものです。そして、その17年版の衝撃のラストシーンは、連載開始時には想定されておらず、むしろ、連載版とは矛盾するものでした。新しいアイデアに基づく物語を完成させるために、作者が最初から書き換える決断をし、その書き換えを実行したことが、この傑作誕生につながったのであり、その大改作の努力は高く評価されるべきものだろうと思います。そして、その大改作の検証が、『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』第1章の内容です。そして、新しい結末誕生の背景を探るのが第2章以降の内容です。第2章では、日本のフリースクール誕生のころの教育の世界の状況からその後の教育の歴史にも触れ、『かがみの孤城』の訴えの特徴を考えます。また、第3章では、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』と『かがみの孤城』の親和性と対称性について考え、そして、第4章では、『魔法少女まどか☆マギカ』の源流とも言えるアニメ『エヴァンゲリオン』シリーズのうち、新劇場版シリーズの完結編『シン・エヴァンゲリオン劇場版』について論じています。第4章だけは、『かがみの孤城』未読、未鑑賞のエヴァファンの方が読んでもよいように書かれていますが、第1~第3章は、必ず、小説『かがみの孤城』を読み終えるか、または、映画『かがみの孤城』鑑賞後にお読みになるようにお願いします。

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一部の映画館ではすでに販売されているようですが、amzaon、hontoなどでは予約受付中です。
https://twitter.com/a_ranking_news/status/1610335977477926912

〔北村正裕HP内の「かがみの孤城」関連リンクページ〕
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/kagaminokojo-l.htm

〔北村正裕ツイッター〕
https://twitter.com/masahirokitamra

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【追記】
出版お知らせツイート(23年1月16日)
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1614910263576399876


【23. 4. 2追記】
先月、23年3月に出版された『Another side of 辻村深月』(辻村深月著、KADOKAWA刊)に収録された「辻村深月の人生を変えたアニメ5選」という記事(17年の「anan」の記事の再録)に、辻村さんご本人が『新世紀エヴァンゲリオン』を「人生を変えたアニメ」として挙げられているのを読みました。『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』では、アニメ『エヴァンゲリオン』(『新世紀エヴァンゲリオン』と新劇場版)を『かがみの孤城』のひとつの源流と位置づけ、第4章では、新劇場版の完結編である『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を中心に『エヴァンゲリオン』を『かがみの孤城』との比較という観点から論じましたが、辻村さんご本人が『かがみの孤城』出版年である17年当時に『エヴァ』を「人生を変えたアニメ」として挙げられていたことは、今回の再録で初めて知りました。
(23. 4. 2追記)

【23. 5.27追記】
「ハヤカワ ミステリマガジン」23年7月号の「BOOOK REVIEW(ミステリ・サイドウェイ)」のページ(嵩平何さん執筆)のページに、『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』(北村正裕著、彩流社刊)が紹介されています。
「後半では同作と『まどか☆マギカ』や『エヴァンゲリオン』との比較というフックがあり、興味深く読み通せた」(同誌P.208)等々。
エヴァファンの方は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』などを論じている第四章を先に読まれるのもよいと思いますが、第一~第三章は、『かがみの孤城』原作小説読了後か映画鑑賞後にお読みください。

情報ツイート
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1662317760456835074

(23. 5.27追記)

関連ツイート
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1662319895240114176

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『かがみの孤城』単行本、文庫、キミノベル版の違い

12月のアニメ映画公開も迫ってきた辻村深月さんの小説『かがみの孤城』。これから購入しようという人の中には、単行本にしようか、ポプラ文庫版にしようか、それとも児童向けシリーズのキミノベル版にしようかと迷っている人もいるかもしれませんね。そこで、そういう人達の参考にしていただくために、これら3つのバージョンの違いについて簡単に記しておきます。
本文そのものの違いはわずかで、単行本出版前の2013~2014年の雑誌「asta*」連載版から単行本(17年版)への大改作に比べれば、その後の文庫本出版時の修正はわずかです。
しかし、一応、単行本からの文庫化のさいの修正点を挙げておきますと、文庫版では、単行本の16ページの9行目の「それ以降、会話が途切れた」という一文が削除され、「はい」というこころの台詞の後、すぐに、「喜多嶋先生はキレイな人で」という地の文に続いていくようになっていて、キミノベル版もポプラ文庫版と同様です(ポプラ文庫版上巻22ページ、キミノベル版上巻22ページ)。
喜多嶋先生の秘密については、いわばトップシークレットで、小説未読の方には絶対に教えてはいけないことですから、ここには書けませんが、その重大な秘密は、2013年の「asta*」連載当初は、全く想定されていなかったことであり、それどころか、後の単行本で示された喜多嶋先生の秘密とは矛盾する内容でさえありました。そして、単行本でのこのあたりの記述は、喜多嶋先生がこころの味方なのかどうかも確定していなかったころの連載版の文章がそのまま使われていた部分ですが、ポプラ文庫版では、上記の一文が削除されたことで、いわば、連載版の痕跡が見えなくなっていると言ってもよいと思います。
連載版から単行本への『かがみの孤城』の大改作については、来月、彩流社から出版予定の『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』の第一章で詳しく紹介しますので、興味お感じの方には、小説をお読みになってからお読みいただければさいわいです。
キミノベル版は、ポプラ文庫版のテキストにルビをふり、村山竜大さんの絵がはいっています。そうなると、キミノベル版が一番お得というようにも思えますが、ポプラ文庫版には、キミノベル版よりも文字が大きいので、大きめの文字で読みやすいというところがポプラ文庫版の長所だと思います。

来月、12月23日には、アニメ映画が公開されるので、映画を先に見る人もいると思いますが、小説も未読で映画も未視聴という人は、小説を読み終えるか映画を見るまでは、ネタバレ情報に触れないようにご注意ください。

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〔北村正裕HP内の「かがみの孤城」関連リンクページ〕
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〔北村正裕ウェブサイト紹介ページ〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura

〔北村正裕ツイッター〕
https://twitter.com/masahirokitamra

〔『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』についての彩流社の情報ページ〕
https://www.sairyusha.co.jp/book/b10025211.html



【22.12. 8追記】『かがみの孤城』文庫版に、アニメ映画仕様の新しいカバー(全面カバー帯)がついたようです。
丸善ジュンク堂のツイート
https://twitter.com/maruzeninfo/status/1594544889076883456
に情報が出ています。
(22.12. 8追記)

『かがみの孤城』作品論、彩流社からの出版決定

来月、12月に、彩流社から新しい本『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』(北村正裕著)が出版されることになりました。
辻村深月さんの小説『かがみの孤城』の雑誌連載版から単行本への大改作を検証し、新しいラストが生まれた背景を探り、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』と『エヴァンゲリオン』シリーズとの比較などを通してその特徴を考える内容で、今年1月に『夢の中の第3村』のタイトルで電子出版したものを再構成、改題の上、加筆、修正を加えたものです。

第一章では、『かがみの孤城』17年版の衝撃のラストが、連載版からの大改作でどのように生まれたのかを検証する内容ですが、『かがみの孤城』ほど、ラストの衝撃の大きい小説は無いかもしれません。そして、本書は、その衝撃の読書体験の感動ををさらに深めるための本だとも言えるもので、したがって、まずは、ネタバレ情報に触れないうちに小説『かがみの孤城』を最後まで読み切ることが前提です。来月、12月23日には、アニメ映画が公開されるので、映画を先に見る人もいると思いますが、『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』は、小説『かがみの孤城』を読み終えた人と映画『かがみの孤城』を見た人のための本ですので、小説も未で映画も未視聴という人は、決して『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』を先に読んでしまうことがないよう、ご注意ください。くれぐれもネタバレにご注意ください。

『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』の目次は次の通りです。
序章 孤独な少年少女たちの居場所としての「かがみの孤城」
第1章 連載版から17年版への大改作
第2章 「かがみの孤城」が示した類型化への抵抗
第3章 「かがみの孤城」と「魔法少女まどか☆マギカ」
第4章 虚構の中の創造主―「エヴァンゲリオン」と円環の物語 

〔彩流社の情報ページ〕
https://www.sairyusha.co.jp/book/b10025211.html

〔北村正裕HP内の「かがみの孤城」関連リンクページ〕
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〔北村正裕ウェブサイト紹介ページ〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura

〔北村正裕ツイッター〕
https://twitter.com/masahirokitamra


〔当ブログの「かがみの孤城」関連記事より〕

「読了までネタバレ回避を!」
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52490534.html

スバルの記憶「血が出なかった…」の違和感
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52488812.html

舞台「かがみの孤城」、舞台ならではの演出も
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52472208.html

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【22.12. 8追記】『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』(北村正裕著、彩流社)、刊行は、23年1月になりそうです。先月、彩流社が書店向けに作成したチラシでは「12月刊行}となっていましたが、その後の作業が遅れているようです。もう少しお待ちください。
(22.12. 8追記)

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映画鑑賞または原作小説読了までネタバレ回避を!「かがみの孤城」おすすめコメント

先日、6月20日のERIさんという方のツイート
https://twitter.com/e11y0/status/1538888586438725634
に、読み終えた小説『かがみの孤城』(辻村深月作)について、
「これまでネタバレ回避できてたことに感謝!これに尽きる!」
と、ありました。
ERIさん、よかったですね。
そうです。
この小説は、読む前にネタバレ情報に触れてしまったら、大損してしまいます。
自分の場合は、読んだのは4年前くらいのことで、やはり、ネタバレ回避できていたので、ラストでの驚きを伴った稀有な感動を味わうことができました。
年末ごろに映画が公開されるようなので、そうなると、ネタバレ情報に触れてしまう危険も高まるかもしれません。原作小説未読の方は、ネタバレ情報に触れてしまう前に、読んでいただくよう、オススメします。

ホームページに、単行本、文庫版の公式ページや、映画の公式サイトなどのURLを掲載した「『かがみの孤城』リンクページ」
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/kagaminokojo-l.htm
を設けました。

自分が『かがみの孤城』を紹介するときには、以前、「ネタバレ」を含まないようにと考えた次の紹介文を掲載しています。

【かがみの孤城 オススメコメント】
学校に居場所を失くした少女の前で鏡が光る。
通り抜けると謎の城。
集められた七人に見つかる共通点。
しかし、新たな謎が解けないまま事件は起こる……
衝撃のラスト読了までネタバレ情報に注意!

〔 ホームページ内の「『かがみの孤城』リンクページ〕
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/kagaminokojo-l.htm

〔北村正裕ホームページ紹介サイト〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura

〔北村正裕ツイッター〕
https://twitter.com/masahirokitamra


【追記】「かがみの孤城」オススメコメントツイート
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1541692057797787648


『かがみの孤城』、スバルの記憶、「血が出なかった…」の違和感

夢の中の第3村: 「エヴァンゲリオン」「まどかマギカ」と「かがみの孤城」の芸術論』(Kindle版電子書籍)
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PMMW9HS/
では、『かがみの孤城』(辻村深月作)、17年版について、その優れた点を取り上げていて、特に、その第三章(「かがみの孤城」が示した類型化への抵抗)では、不登校の子どもたちなどへのレッテル貼り、類型化への反発を貫く姿勢が成功している部分について取り上げましたが、すべてが成功しているわけでなく、例えば、登場人物のひとり、スバルについては、実質的なレッテル貼り、類型化に基づく記述によって、唐突で違和感を与える結果になってしまっている部分がああると感じています。
その違和感を感じさせる部分というのは、「三月」の章の、スバルの記憶がこころに流入する場面の、
「兄ちゃんの彼女の友達が、初めてセックスすると女は血が出るんだよ、と言っていたことを思い出して、少し笑う。あの子が血が出なかったのは、きっと初めてじゃなかったからだ」
という部分(17年版単行本P444の16~17行目、21年文庫版では下巻P212の14~16行目)です。
スバルの記憶がこころに流入するこの場面、「あの子が血が出なかったのは……」の部分について、「Yahoo!知恵袋」に、
「この作品がすごく好きで既に何回も読み直しているのですが唯一ここだけがいつも『??』となってしまいます」
と書かれた質問があるのを見つけましたが、自分も好きでないこの部分について、少し、書いておきます。たしかに、この部分、唐突な印象を与える部分だと思います。

「兄ちゃんの彼女の友達が」という記述があることから、スバルには、兄の「彼女」やその友達とつきあいがあるということになるので、「あの子」も、スバルの兄の「彼女」の友達か、あるいは、そのまた友達など、いずれにしてもスバルの兄につながる誰かという可能性はあるのではないかと思いますが、それが誰であっても、鏡の城のメンバーにとっては、どうでもよいことでしょう。
「八月」の章では、スバルがピアスをつけたことが、「兄ちゃんと、その彼女」から半ば強制的にさせられたことだというようなスバルの台詞がありますが、スバルは、兄とその「彼女」の影響をかなり受けている、というより、彼らに逆らえない状況にあったということだと思います。
スバルは祖父母と暮らしていて、親とはたまにしか会えないという境遇で、それゆえ、兄との関係を切り捨てることは、スバルには難しかったのかもしれません。少なくとも、作者は、スバルを、そのように描こうとしているように思います。
スバルの「兄ちゃんと、その彼女」という言葉に対して、こころの心理描写の中で、
「それは、こころが苦手に思うような人たちだという気がした。こころがスクールの喜多嶋先生やお母さんに、そういう子たちと同じに思われたくないと感じたような種類の子たち。日中、学校に行かず、ゲームセンターやショッピングセンターで平然と遊ぶような、派手な子」
(17年版単行本P176、21年文庫版では上巻P245)
と、表現されていますが、作者は、そのように、スバルに、こころとは異質な中学生のイメージを与えることで、鏡の城のメンバーに多様性を与えることを狙っているように思えます。しかし、スバルに関するご指摘の部分については、それが成功しているかどうかは、また、別の問題です。はっきり言ってしまうと、僕は、スバルに関する「あの子が……」の部分は好きではありません。
作者は、学校に行けない子どもに、例えば、「大規模な中学校になじめない子」などなどのレッテル貼りですますようなことに強く反発していて、「今目の前にいる子たちの抱える事情はそれぞれ違う。一人として同じことはない」(「エピローグ」での晶子の心情描写より)ということを強調しようとしていると思いますが、スバルに関しては、親と一緒に暮らせない子、寂しさから出会った友達との関係が途絶えることを恐れて「友達」に逆らえない子、というようなありがちなレッテル貼りをしてしまったことにならないか、とういうように批判的に見てしまいます。鏡の城での場面で丁寧に描いて作り上げたスバルのイメージが、このレッテル貼りの行きつく先にあった問題の「あの子が……」の記述で傷つけられてしまったように思えて、これは、残念なことだと、僕は感じています。作者は、過去のスバルに「問題児」のレッテルを張った大人たちに反発しながら、自ら、スバルに実質的に類型化に基づくレッテル貼りをしてしまうという失敗をしているように思います。スバルと兄の「彼女」の友達との関係が具体的に描けない以上、安易な類型化を連想させるような記述はすべきではなかったのではないかと、僕は、思っています。問題の部分(17年単行本では2行、21年文庫版では3行)は、余計な記述だと感じます。

この、問題の記述は、無いほうがよかったと思うのですが、あるいは、
「兄ちゃんと、その彼女に言われて、ピアスを着けたまま寝て、寝返りを打った時に深く刺さって、マクラに血がついてしまったことを思い出した」
という文に差し替えたほうがよかったとも思います。あるいは、もともと、作者は、このような文を書こうとして、その直前に、タオルについていたうっすらとした汚れを見て「血みたい」と書いたことで、余計な連想をして、いわば思い付きで予定を変えてしまったのかもしれないとも思ったりします。

スバルに関して、兄やその「彼女」や友達に逆らえずに、彼らとの「つきあい」のために学校に行けないという事情は、城の他の中学生とは違ったスバルに特有の事情であり、このようなスバルが学校に行けない理由を示唆する記述は必要なものだと思いますが、「親と一緒に暮らせない子、寂しさから出会った友達との関係が途絶えることを恐れて「友達」に逆らえない子」に加えて、「セックスをする中学生はそういう寂しい子」というような類型化、レッテル貼りを前提にしなければ理解できないような問題の記述は残念な記述だと思います。作者は、自らが嫌っていたはずのレッテル貼りに基づく記述をしてしまい、そういうレッテル貼りから自由である読者が違和感を感じるような一文になってしまっているのではないでしょうか? Yahii!知恵袋に投稿された
「この作品がすごく好きで既に何回も読み直しているのですが唯一ここだけがいつも『??』となってしまいます」
という「質問」も、読者の自然な感想ではないかと思います。

作品について、批判的なことも書いてしまいましたが、学校に行けない子どもたちへのレッテル貼りに反発する姿勢を貫こうとして成功している部分のほうがはるかに多いと思うし、『かがみの孤城』は注目すべき傑作だとも思っています。
「レッテル貼り」、つまり、「類型化」への反発については、
『夢の中の第3村: 「エヴァンゲリオン」「まどかマギカ」と「かがみの孤城」の芸術論』(Kindle版電子書籍)
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PMMW9HS/
の第三章(「かがみの孤城」が示した類型化への抵抗)をお読みいただければさいわいです。
ただし、『かがみの孤城』のネタバレ防止のなめ、小説未読の方は、決して、『夢の中の第3村』の第二章~第四章をお読みになることがないよう、ご注意ください。『かがみの孤城』は、まもなくアニメ映画化され、22年冬に公開されるということなので、そうなれば、映画を見た人も、夢の中の第3村』の第二章~第四章を読んでよいということになりますが、現在は、まだ、小説既読者のための章ですので、ご了承ください。

なお、「Yahoo!知恵袋」の中の
「この作品がすごく好きで既に何回も読み直しているのですが唯一ここだけがいつも『??』となってしまいます」
と書かれた質問は、22年4月17日の質問
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12260429192
です。


〔北村正裕ホームページ紹介サイト〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura

〔北村正裕ツイッター〕
https://twitter.com/masahirokitamra


【22. 8.16追記】
『夢の中の第3村: 「エヴァンゲリオン」「まどかマギカ」と「かがみの孤城」の芸術論』(Kindle版電子書籍)の内容を再構成の上、加筆、改題して新刊本として出版するための準備中です。発売時期など、詳しい情報については、後日、ツイッター
https://twitter.com/masahirokitamra
でお知らせできると思います。
(22. 8.16追記)


【22年11月7日追記】
小説『かがみの孤城』(辻村深月作)について論じる作品論
『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』(北村正裕著)、
彩流社からの12月の出版が決まりました。

情報記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52493986.html

(22年11月7日追記)


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『かがみの孤城』アニメ映画化の発表

先日、「『かがみの孤城』は正当に評価されていない?」というブログ記事の中で、「紹介のされ方が偏っている」と書いたばかりの小説『かがみの孤城』(辻村深月作)のアニメ映画化(劇場アニメ化)が発表されました。2022年冬公開とのこと。
その公式サイト
https://movies.shochiku.co.jp/kagaminokojo/
に掲載された紹介文を見ると、小説の紹介文のうち、先日、「余計な一言」と書いた「生きづらさを感じているすべての人に贈る物語」という部分が削除され、
「学校での居場所をなくし閉じこもっていたこころの目の前で、ある日突然部屋の鏡が光り始めた。輝く鏡をくぐりぬけた先にあったのは、不思議な建物。そこにはちょうどこころと似た境遇の7人が集められていた― なぜこの7人が、なぜこの場所に。すべてが明らかになるとき、驚きとともに大きな感動に包まれる」
という部分が、少し加筆された形で掲載されていて、小説の紹介としても、このほうがよいように思います。映画の紹介文では、「こころ」という主人公の名前の前に「中学生」という一言がはいって、わかりやすくなっているのもよいと思います。
また、新たに、
「城の中には秘密の「鍵」が隠されており、その鍵を見つけた者は、何でも願いが叶うという―」
という一文も加わっています。

先月電子出版した『夢の中の第3村:「エヴァンゲリオン」「まどかマギカ」と「かがみの孤城」の芸術論』(北村正裕著、Kindle版)
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PMMW9HS/
の書名の「第3村」は、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』に出てくる村の名前ですが、この作品論の中身は、「エヴァンゲリオン」よりも、「かがみの孤城」についての記述のほうに多くのページを費やしていて、もし、『かがみの孤城』の鏡の城に印象的な固有名でもあればそちらを使ってもよいところだったくらいです。第二章では、『かがみの孤城』連載版から十七年版への大改作を検証して評価していますが、もともと、この紹介を書かなければということで書き始め、さらに、自分自身も立ち会うことになった日本の現実のフリースクールのスタートのころのことや、小説『かがみの孤城』とアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』との比較などを書き、その時点では、まだ、『エヴァンゲリオン』について触れることは避けるつもりでいたくらいです。というのも、『エヴァンゲリオン』シリーズは、95年に放送が始まったテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に始まり、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズの完結に至るまで、非常に頂戴なアニメであり、かつては、『新世紀エヴァンゲリオン』について論じた『エヴァンゲリオン解読』(北村正裕著、2001年、三一書房)を出版しましたが、新劇場版シリーズまで論じるとなると大変なことになってしまいそうだし、そうなると、原稿を読んでくれる出版社がないかもしれないという懸念も感じたからです。それでも、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズの完結編である『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021年3月)を見て、『かがみの孤城』を論じるのに『シン・エヴァンゲリオン劇場版』に触れないわけにはいかないと感じ、計画を変更したという経緯があります。その結果、出版社に持ち込んで企画を採用してもらうことは当面難しいと判断し、とりあえず、電子版のみ個人で出版することにしたわけです。
執筆のきっかけを考えれば、仮に、今後、紙の本としての出版もできる可能性があれば、例えば、書名は、『「かがみの孤城」、奇跡のラストの誕生」などという書名も悪くないかなあなどとも思ったりしていますが、どうでしょう? しかし、出版社への売り込みというのは、簡単ではないので、やはり、難しいかもしれません。『エヴァンゲリオン解読』(三一書房)のときは、『エヴァンゲリオン』論に興味を持っている編集者を探せばよかったわけで、それは、当時の出版物を読むことで可能だったのに対して、3作品を論じるとなると、読んでくれる人を探すのは、多分、簡単ではないでしょう。一般読者であれば、3作品のすべてを見ていなくても、『かがみの孤城』だけを読んでいるか、または、来年以降なら、その映画を見ていればそれだけでもよいわけですが、編集者の立場では、『エヴァンゲリオン』も『まどかマギカ』も全然見ていないという場合には、その部分の作品論の原稿などなかなか読む気になれないでしょうからね。
『かがみの孤城』について論じている『夢の中の第3村』の第二章~第四章が小説『かがみの孤城』の既読者のための章ということは、本の序章にも書いた通りですが、アニメ映画化された後は、小説未読でも映画鑑賞を終えた人なら読める章ということになると思います。
『かがみの孤城』のアニメ映画により、小説『かがみの孤城』の読者でこれまでアニメにはあまり興味がなかったという人で、『エヴァンゲリオン』や『まどかマギカ』というアニメにも興味持って、『夢の中の第3村』を読んでみようと思ってくれる人も出てくるかもしれませんね。是非、そうしてください。

〔『夢の中の第3村』電子出版のお知らせブログ記事〕
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52485925.html

〔ホームページ内の『夢の中の第3村』電子出版情報リンクのページ〕
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/villege3-l.htm


【22年11月12日追記】
22年1月に電子出版した『夢の中の第3村』の内容を再構成したものが、『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』の書名で、12月に彩流社から出版されることになりました。
小説『かがみの孤城』(辻村深月作)を読み終えた方で、その奇跡のようなラストの誕生の背景について興味持たれた方には、是非、お読みいただきたいと思います。

彩流社の情報ページ
https://www.sairyusha.co.jp/book/b10025211.html

情報記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52493986.html

(22年11月12日追記)

『かがみの孤城』は正当に評価されていない?

17年に単行本が発行された小説『かがみの孤城』(辻村深月作)は、昨年3月のポプラ文庫版発行の時点で、すでに「100万部突破!」と宣伝され、さらに、今年3月にはキミノベル版も出るということですが、その紹介のされ方が偏っているように思います。
以前ツイートしたことなのですが、「生きづらさを感じているすべての人に贈る物語」という宣伝文句を反復しているだけのような紹介文ばかりが目だってしまって、まだ、文学として正当に評価されていないように感じてしまいます。
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1443876814259032072

先月電子出版した『夢の中の第3村:「エヴァンゲリオン」「まどかマギカ」と「かがみの孤城」の芸術論』(Kindle版)
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PMMW9HS/
の第二章では、『かがみの孤城』連載版から十七年版への大改作を検証して評価していますが、これまで、このようなことが評価されていなかったと思います。

今回、『夢の中の第3村』で論じたようなことが、これまで語られてこなかったのには、それなりの理由があると思います。連載版を入手しようにも、今では、ほとんど入手不可能になっているということが、その理由の一つでしょう。そこで、『夢の中の第3村』第二章では、連載版について、十七年版の内容を確認しながら、ひとつひとつ連載版との違いを解説して、連載版から必要な引用もしています。
タイムファンタジーの要素など、連載開始時には全く想定されておらず、連載終了時に作者が得たアイデアと矛盾する記述が、連載版には多数見られ、これらを、最初から書き直そうという決断こそ、あの十七年版誕生の最大の原動力であるし、連載期間以上の時間をかけての大改作の作業を編集者と共同でやり通したことは評価されてよいだろうと思います。『七ひきの子やぎ』を謎解きの鍵にするというアイデアについても、十七年版には伏線として早い段階から書かれていますが、それらは、連載版になかったものです。大改訂によって何がもたらされたか、それは、とても興味深いことで、結果として、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』などとの比較にも値するスケールの大きい作品になったと言えると思います。そのことは、『夢の中の第3村』第四章などに書いてあります。
また、十七年版の『かがみの孤城』(十七年版の単行本と二十一年文庫版との違いはわずかです)は、連載版とは矛盾するその結末が命と言ってもよいくらい秀逸で、そこでの驚きの感動体験は稀有なものなので、ネット上には決定的な「ネタバレ」になってしまうような文章は載せたくないため、自分も、本一冊分のボリュームのある『夢の中の第3村』は、一定の手続きを経なけれな読めない「電子書籍」という形にしましたが、もっと短い文章でも、多くの人が、ネット上の誰でもが無料で見られるようなところにはネタバレ記事を掲載したくないと考えるなずで、結局、具体的な内容に触れることが出来ず、似たり寄ったりの紹介文ばかりが目だってしまうのかもしれません。

版元のポプラ社の公式ページ
https://www.poplar.co.jp/pr/kagami/
には、
「学校での居場所をなくし閉じこもっていたこころの目の前で、ある日突然部屋の鏡が光り始めた。輝く鏡をくぐりぬけた先にあったのは、不思議な建物。そこにはちょうどこころと似た境遇の7人が集められていた― なぜこの7人が、なぜこの場所に。すべてが明らかになるとき、驚きとともに大きな感動に包まれる。生きづらさを感じているすべての人に贈る物語」
という紹介文が掲載されていますが、最後の「生きづらさを感じている」というところ以外は、よく書けている紹介文だと思い、最後のいわば余計な一言が、多くの紹介文で反復されているのは残念なことだと感じています。

「生きづらさを感じているすべての人に」というところばかりが繰り返されると、まるで、そういうことを自覚している人だけのための本というように誤解されてしまうのではないかと心配してしまいます。
先日、「そのような境遇の子達にすすめてくる周囲のささやかな善意は悪意に似ています」というツイート
https://twitter.com/fQ84TYjpnRgSkTQ/status/1482564563576897536
を見つけましたが、そのようないわば違和感を感じる人がいてもおかしくないと感じるほど、これまでの『かがみの孤城』の紹介のされ方は偏っていたと思います。

偏った「おすすめ」コメントよりは、むしろ、
「学校での居場所をなくし閉じこもっていたこころの目の前で、ある日突然部屋の鏡が光り始めた。輝く鏡をくぐりぬけた先にあったのは、不思議な建物。そこにはちょうどこころと似た境遇の7人が集められていた― なぜこの7人が、なぜこの場所に。すべてが明らかになるとき、驚きとともに大きな感動に包まれる」
という部分だけの方がよいのでは? この部分だけでも充分、読んでみたいという気持ちを引き起こせると思うし、少なくとも、自分の場合はそうでした。そして、「すべてが明らかになるとき、驚きとともに大きな感動に包まれる」という部分、たしかにその通りです。

これまで、この感動的なラストを生むための、連載版からの大改作の努力などが正当に評価されてこなかった……。
「生きづらさを感じているすべての人に贈る物語」という紹介では、何だか重苦しい雰囲気が連想されてしまいますが、それは、連載版にのみ当てはまることであって、大改作を経て生まれた十七年版は、エンターテインメントとして充分に評価されてよい傑作だと思います。特に、SFやファンタジーが好きな人なら、ほぼ誰でも楽しめるような作品だと思います(序盤は、やや重苦しいですが)。
ネタバレ回避の配慮をしながらの紹介では、たしかに、限界がありますね。

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googleの検索画面より

〔『夢の中の第3村』電子出版のお知らせブログ記事〕
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52485925.html

〔ホームページ内の『夢の中の第3村』電子出版情報リンクのページ〕
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/villege3-l.htm


【22. 2. 5追記】
『かがみの孤城』の紹介のされ方が偏っていると書いたので、自分で紹介文を考えて、先日、2月3日のツイートに書きました。
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1489181774211330048

【22. 2. 3ツイートに書いた『かがみの孤城』の紹介】
学校に居場所を失くした少女の前で鏡が光る。通り抜けると謎の城。集められた七人に見つかる共通点。しかし、新たな謎が解けないまま事件は起こる…… 衝撃のラスト読了までネタバレ情報に注意!

【22.2.24追記】
『かがみの孤城』アニメ映画化が発表されました。22年冬公開ということです。
https://twitter.com/Kagami2017Tea/status/1496681293668564997

【22年11月12日追記】
22年1月に電子出版した『夢の中の第3村』の内容を再構成したものが、『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』の書名で、12月に彩流社から出版されることになりました。
小説『かがみの孤城』(辻村深月作)を読み終えた方で、その奇跡のようなラストの誕生の背景について興味持たれた方には、是非、お読みいただきたいと思います。

彩流社の情報ページ
https://www.sairyusha.co.jp/book/b10025211.html

情報記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52493986.html

(22年11月12日追記)

『まどかマギカ』『かがみの孤城』と『シンエヴァンゲリオン』の考察研究解説本を電子出版

『夢の中の第3村:「エヴァンゲリオン」「まどかマギカ」と「かがみの孤城」の芸術論』(北村正裕著)を電子出版しました(Amazon Kindle版)。KDP(キンドルダイレクトパブリッシング)のシステムを利用した電子出版です。
この電子本は、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を含むアニメ『エヴァンゲリオン』シリーズと『エヴァンゲリオン』の強い影響を受けて生まれたアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』、そして、『まどかマギカ』によって定着したパラレルワールドの考え方を土台にし、『エヴァンゲリオン』と同様に、居場所を求める孤独な少年少女の物語でもある小説『かがみの孤城』(辻村深月作)の三作品をジャンル横断的に論じる作品論(あるいは、研究解説本)です。
三作品のつながりを、現実の相対化という観点にも注目して、『エヴァ』について従来言われてきた現実回帰という読み方と真逆な読み方を提示するなどし、『かがみの孤城』については、連載版から単行本への大改作の詳細な検証も行い、連載版になかった衝撃のラストの誕生の背景、歴史的意義を探り、必要なあらすじ解説もしながらそのそれぞれの作品の特徴について論じています。
アニメ『エヴァンゲリオン』シリーズのうち、『新世紀エヴァンゲリオン』については、2021年に『エヴァンゲリオン解読 そして夢の続き』(北村正裕著、三一書房)を出版していて、これは、現在では、『完本 エヴァンゲリオン解読』のタイトルで静山社文庫の一冊になっていますが、今回は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズについての考察を含む作品論であり、現在のところ、紙の本の出版の予定はありませんが、KDP(キンドルダイレクトパブリッシング)のシステムを利用して電子出版しました。
『エヴァンゲリオン』に興味をお持ちの方、『魔法少女まどか☆マギカ』のファンの方、そして、『かがみの孤城』のファンの方には、是非、お読みいただきたく、お知らせいたします。
ただし、第二章~第四章は、小説『かがみの孤城』のネタバレになってしまうため、これらの章は、小説『かがみの孤城』を読み終えてからお読みいただくようにおすすめします。『かがみの孤城』は、初読時のラストでの驚きと感動の体験がかけがえのないものになるはずなので、先にネタバレ情報に触れないようにご注意ください。

目次
序章 孤独な少年少女の居場所としての「エヴァンゲリオン」と「かがみの孤城」
第一章「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が見せた第3村の夢 ― もうひとりのレイが見つけた新しい居場所―
第二章「かがみの孤城」連載版から十七年版への大改作 ― 当初の予定になかった衝撃のラスト―
第三章「かがみの孤城」が示した類型化への抵抗 ― 学校で傷つけられた子どもとフリースクールの時間軸―
第四章「かがみの孤城」と「魔法少女まどか☆マギカ」 ― 因果律と現実世界の相対化―
第五章虚構の中の創造主 ― 「エヴァンゲリオン」と円環の物語

『夢の中の第3村:「エヴァンゲリオン」「まどかマギカ」と「かがみの孤城」の芸術論』(北村正裕著、Amazon Kindle版電子書籍、2022年1月)商品ページ(Amazon)のURLは
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PMMW9HS/
です。

「note」(https://note.com/ )に、「『かがみの孤城』連載版から十七年版への大改作を検証」というエッセイを掲載しました。こちらは、『かがみの孤城』の決定的なネタバレを避けながら大改作を概観するエッセイです。
https://note.com/kitamuramasahiro/n/nf18cdc4141da

また、「『まどマギ』『かがみの孤城』と『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を比較(考察本紹介)というエッセイも掲載し、こちらは、 『夢の中の第3村』(北村正裕著、Amazon Kindle版電子書籍)の序章と第一章の一部の内容を紹介する内容です。
https://note.com/kitamuramasahiro/n/n6b8efc75c4f6

【追記】
1カ月以内に、Kindleストアで、 『夢の中の第3村』(北村正裕著、Amazon Kindle版電子書籍)の24時間限定無料キャンペーン実施の可能性があります。その場合、その24時間前までに、北村正裕ツイッター
https://twitter.com/masahirokitamra
でお知らせする予定です。

【22. 1. 6追記】
『夢の中の第3村』のタイトルにもなった「第3村」が登場するアニメ映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、Amazonプライムビデオでサブスク配信されています。
https://www.amazon.co.jp/dp/B098T4QYZ3/
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズ4部作の完結編で、ロボットアニメの映画としては初めて興行収入100億円を突破するというすごい記録も達成した作品(「エヴァ」は一応、ロボットアニメにはいるようです)。「第3村」は、この映画の前半に登場する架空の村です。
(22. 1. 6追記)

〔北村正裕ホームページ内の『夢の中の第3村』情報リンクページ〕
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/villege3-l.htm

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【21. 1.22追記】ツイッターでお知らせしていた24時間限定無料キャンペーンは
1月22日16:59終了予定です。17時以降は有料になりますが購入できます。
また、kindleunlimitedの会員の方は購入していなくても無料で読むことができます。

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22年1月22日、無料キャンペーン実施時のamazonのランキング画面

〔関連ツイート】
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1484792953092849667

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【22. 1.27追記】
1月24日、新しいブログ記事「『シン・エヴァンゲリオン劇場版』第3村の教室のモデル、天竜二俣駅運転区会議室」掲載しました。
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52486501.html
天竜浜名湖鉄道公式インスタグラムの投稿や松井宜正社長のツイートを紹介しています。
(22. 1.27追記)

【22. 8.16追記】
『夢の中の第3村: 「エヴァンゲリオン」「まどかマギカ」と「かがみの孤城」の芸術論』(Kindle版電子書籍)の内容を再構成の上、加筆、改題して新刊本として出版するための準備中です。発売時期など、詳しい情報については、後日、ツイッター
https://twitter.com/masahirokitamra
でお知らせできると思います。
(22. 8.16追記)

【22年11月12日追記】
22年1月に電子出版した『夢の中の第3村』の内容を再構成したものが、『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』の書名で、12月に彩流社から出版されることになりました。
小説『かがみの孤城』(辻村深月作)を読み終えた方で、その奇跡のようなラストの誕生の背景について興味持たれた方には、是非、お読みいただきたいと思います。
『エヴァンゲリオン』について論じている第4章と序章以外は、『かがみの孤城』のネタバレになってしまうため、第1~第3章は、小説『かがみの孤城』を読み終えるか、または、22年12月公開予定のアニメ映画『かがみの孤城』を見てから読んでいただけるようお願いします。

彩流社の情報ページ
https://www.sairyusha.co.jp/book/b10025211.html

情報記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52493986.html

(22年11月12日追記)

萩原慎一郎歌集「滑走路」映画化

映画「滑走路」(大庭功睦監督、桑村さや香脚本、萩原慎一郎原作)、テアトル新宿で、11月20日の公開初日に見てきました。
「萩原慎一郎原作」となっていますが、その萩原さんの著書「滑走路」(2017年、角川文化振興財団発行)は歌集であり、今回の映画は、その歌集をモチーフにしたオリジナルストーリーで、最後に、歌集のタイトルの元にもなった短歌のテロップが現れるほか、物語の途中では、中学時代の須羽隼介(すわしゅんすけ)への同級生の天野翠(みどり)の雨の日の台詞に、萩原さんの「空だって泣きたいときもあるだろう……」という短歌からとられたと思われる台詞がありました。
萩原さんは、僕の高校の後輩にあたる人で、今年9月発行の武蔵高校の同窓会会報に掲載された僕の文章(5月に執筆した原稿の一部が脱落して変な文章になってしまったのですが)の中に萩原さんの著書への言及があったこともあり、どのような映画化がされるのか気になっていて、公開初日に見てきました。萩原さんの母校は中高一貫校ですが、僕は、高校から編入学したので、中学は別です。
原作者のイメージが反映されていると思われる役が須羽隼介で、寄川歌太が演じています。
中学生の天野翠を演じる木下渓が、物語の中の唯一の過去の光のような輝き。切り絵作家となった大人の翠を演じる水川あさみが、キャストの筆頭に記されていますが、翠の場合、大人の翠よりも、中学時代の翠のほうが、映画の中での比重が高いように感じました。
萩原さんの出身中学は男子校なので、天野翠は、もちろん、全くの架空の人物です。他の登場人物についても、原作者のイメージが反映されていると思われる隼介を除けば、特定のモデルがいるというわけではないと思います。
隼介の幼馴染で隼介に助けられながら、隼介に対する「いじめ」の加害者になることを強要されてしまう鷹野裕翔(ゆうと)の中学時代を池田優斗、大人になった鷹野を浅香航大が演じていて、以上の5人がメインキャストということになると思います。
官僚となり、非正規労働者の自殺の実態を調査していた鷹野は、かつて、自分が心ならずも「いじめ」に加担してしまった相手の隼介が「いじめ」の後遺症から抜け出せずに自殺してしまったことを知り、苦悩します。
隼介、裕翔、翠の中学時代と、裕翔たちが大人になった時代とが並行して描かれ、時代が何度も切り替わります。
翠の作品として登場する絵画、影絵(それぞれ、すぎやまたくや、河野里美制作、両者のコラボ作品もあり)は見ごたえがあります。特に、隼介によって一度切り裂かれ、修復された絵は、作品の中で大きな位置を占めていると感じました。この絵の下のほうに描かれた後ろ姿の女性について、隼介が翠に「女の人が悲しんでいるように感じた」と語る場面は印象的で、この女性は、翠自身を表現しているのだろうと思います。隼介がこの翠の絵を切り裂くことを強要されたときににも、画面下の女性が描かれた部分だけは切らなかったのも印象的でした。

映画『滑走路』公式サイト (kassouro-movie.jp)
等で、キャッチコピーのように使われている「非正規」、「いじめ」という言葉のうち、「非正規」のほうは、原作短歌の中にも使われていますが、「いじめ」のほうは、原作短歌の中には使われていません。著者の「あとがき」の中には、「中学に入学してぼくを待っていたのは、試練の日々だった」、「苦しい高校時代であった」という表現はありますが、著者自身は「いじめ」という言葉は使っていません。一方、著者が亡くなった後にご両親によって書かれて歌集の最後に収録されている「きっとどこかで」という文章には、「中学受験をして私立の中高一貫校に入り、数人からいじめを受けてしまった」、「精神的な不調が出てきて、自宅療養と通院で、時間をかけて大学を卒業しました。本人も頑張って、なんとか少しずつアルバイト、契約社員として働けるようになってきたところでした」と書かれていて、映画の中の須羽隼介の置かれた立場は、この記述が元になっているように思います。ただし、隼介は、萩原さんと違って、私立の中高一貫校の生徒ではなく、地域の公立の中学校の生徒として描かれています。

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【追記】
武蔵高等学校同窓会会報第63号(2020年9月発行)に掲載された「元公立中生徒会長の武蔵デビュー」という僕の文章の前半は、原稿の一部が脱落してしまって、変な文章になってしまったのですが、後半に、萩原さんの歌集「滑走路」の巻末のご両親の文章に触れています。前半部は、高校に「編入学」したばかりのころのホームルームで、クラスの代表委員への立候補者が足りなかったために、「編入生」だった自分が立候補して選出された記憶についてですが、「やりたくない」と言っていた同級生に押し付けようとする空気になっていたことに関して、当時の学校への批判的問題提起を込めています。たまたま、僕は、公立中学校で生徒会長も経験していて、その種の活動にはそれなりに興味があったので、やり手がいないなら、というわけで、立候補して一年間、代表委員をやらせていただいたというわけです。その原稿は5月に執筆したものだったのですが、この会報への執筆をしたこともあって、今回の映画、公開初日に見てきました。

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〔北村正裕ホームページ紹介サイト〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura


【2020.11.23追記】
本日(11月23日)の朝日新聞1面のコラム「天声人語」で、歌集と映画「滑走路」が紹介されています。
(2020.11.23追記)

舞台『かがみの孤城』観劇、舞台ならではの演出も【ネタバレ注意】

成井豊脚本・演出の舞台『かがみの孤城』(辻村深月原作)、8月29日(土)13:00開演のサンシャイン劇場での公演、見てきました。
500ページを超える小説を2時間の舞台で表現しようというのですから、大幅な省略は当然ですが、特に、この原作には場面転換が非常に多いので、そこをどうするのか注目していましたが、大きな舞台装置としては、クライマックスシーンで重要な背景の大時計が固定され、これがクライマックスシーンで前にずれて、役割を終えた後はもとの位置に戻るだけで、いわゆる舞台転換は一切なし。脇には、城をイメージしたセットがあるほか、床の上には、二つのテーブル以外には、七人分の大きな鏡の枠があるだけで、安西こころ(生駒里奈)用の鏡の枠は、玄関の役割も果たすなど、最小限の装置での簡潔な表現に徹した舞台でした。こころの家でのシーンや、学校でのシーンなどは、背景の城のセットを暗くして、舞台前景で演じられ、ナレーション役を喜多嶋先生(原田樹里)、伊田先生(多田直人)、真田美織(澤田美紀)などが舞台脇で演じていて、最後のほうでは、オオカミさままでナレーションをやってしまうという総動員体制でした。

演劇ならではと感じたのは、ダンスシーン。特に、喜多嶋先生が左奥、こころの母(今回の劇では「望美」、渡邉安里)が右奥の椅子に座ったまま踊るシーンが、なぜか印象的で、その直後に、リオンが右手前に現れ、左奥にオオカミさまが現れるシーンは、照明の効果もあって、さらに、印象的でした。照明と言えば、鏡が光るシーンも、すべて照明で表現されていました。

*以下、ネタバレ注意!

原作小説の「三月」の章の怒涛の展開の中では、六人が狼に食われた場所が『七ひきの子やぎ』の物語に忠実でしたが、今回の劇では、『七ひきの子やぎ』の場所と一致せず、また、一匹目、二匹目、という数え方は、こころが記憶を読み取る順番につけられていました。例えば、小説では、アキ(稲田ひかる)が隠れたのはクローゼットの中でしたが、今回の劇では、クローゼットが登場しておらず、マサムネ(山本沙羅)が狼に食われたことになっていた台所の戸棚も、今回は登場していないので、仕方がないということかもしれませんが、階段の下とか、手すりのかげと言った場所で代用されていました。
「エピローグ」は、アキ、井上晶子が、中学3年留年後を語り始め、その脇に、左奥から登場した喜多嶋先生が並んで立ち、「苗字が井上から喜多嶋に変わって」というあたりから喜多嶋先生が語りを引き継ぐという形でした。
ラストシーンの、喜多嶋先生と安西こころの対面シーンでは、背景のアキのかがみの枠の中に、アキが登場し、「大丈夫だよ」という声は、アキが、こころにかけていました。小説では、喜多嶋晶子の胸の中で安西こころの声がするというイメージでしたが、舞台となると、今回のような演出も面白いと思いました。
こころの願いが「真田美織が、この世から消えますように」というものであることがこころ自身によって語られる場面のナレーションが真田美織であったり、その真田美織と同様、的外れな認識しか持てずにかわいそうな感じもする伊田先生も、ナレーションで活躍し、原作にない要素として、伊田先生のクラスで給食の余りの分け方を決めるのにドッジボールをすることにいなってしまったことを伊田先生がこころに報告する場面があり、それで、クラスのドッジボールの実力が上がったという笑えるような話が出たときには、本当に、客席から笑いが起こっていました(全員、マスク着用ですが)。
フウカの母親(白い面をつけた俳優のひとりが演じる役)のイメージが、十七年版単行本のイメージに比べると、やや冷たい感じになってしまっていたと思いますが、短い時間でフウカの家庭の事情を表現するのは難しいのでしょう。
スバルの「ナガヒサ」という苗字が判明したとき、小説では、マサムネは、特に、反応していませんが、今回の劇では、「ナガヒサ?」と、反応していました。「プロフェッサー・ナガヒサ」は、マサムネの憧れのゲームクリエーターですから、反応して当然でしょう。しかも、スバルは、「ゲーム作る人になる」と言っているわけですから。小説で登場する「ナガヒサロクレン」という名は、今回の劇では出ませんでしたが、「プロフェッサー・ナガヒサ」は、スバルの未来の姿なのかもしれないという想像がふくらむ場面です。
オオカミさまが、アキを、義父からの暴力にさらられるピンチのときに手鏡でアキを救出するシーンは、アキの方を向いて手鏡を高く掲げ、そこに照明があたり、暗転の後、再び明るくなった場面に、アキとオオカミさまの二人が城にいるシーンが現れるという演出でした。この場面、小説では、義父による性的暴力の危機を強く示唆する描写になっていましたが、今回の劇では、義父がアキに、「酒、買ってこい!」などと発言するなど、小説ほど切迫した描写にはなっていませんでした。
クリスマス会でのリオン(溝口琢也)からオオカミさまへのプレゼントは、小説の通り、「小さな包み」。手で握れるくらいの大きさでした。その中身、リオンの贈り物は何だったのでしょうか? 小説では、オオカミさまの衣装が変わるタイミングについて詳しい記述があり、オオカミさまの衣装は、リオンの姉の実生がかつて遊んでいたドールハウスの人形用のドレスかモデルになっていたようなので、リオンの贈り物がミオのドールハウスの人形用の衣装なのではないかという想像が働きますが、今回の演出は、オオカミさまの衣装を強調するものではなかったので、この演出では、リオンの贈り物がドレスだったのではないかとい想像は働きにくいですね。今回、ミオを演じたのは石森美咲。プログラムでは、「ミオ」役となっていて、「オオカミさま」役の記載がないのは、小説を読んでいない人もいることを想定しての、ネタバレ回避のための配慮でしょう。
オオカミさまの声は、ややリバーブがかかったように聞こえていたので、もしかすると、個別の小型マイクで拾った声にPA装置でリバーブをかけていたのかもしれません。面をつけているし、他の役とは違うかなり特殊な役ですから、音声処理も特別扱いになるのは妥当なところだと思いました。
小説では、城が閉まるシーンで、「こっちを向いた”オオカミさま”が、最後に自分の狼面をゆっくりと外し、理音に向けて微笑んだ―ように見えた」となっていますが、今回の劇では、リオンが、鏡を通って消えて行くときに、オオカミさまが、無言で、リオンの鏡に走り寄るという演出でした。いい演出だと思いました。

一方、惜しいなあと思ってしまうところもありました。
例えば、序盤の、こころのスクール見学の場面。小説では、責任者らしい人(鮫島先生ではないと思いますが…)の声が「中学校に入ったことで急に溶けこめなくなる子は、珍しくないですよ。特に、第五中は学校再編の合併のあおりを受けて大きくなった中学校ですからで」と母親に言うのが部屋の中から聞こえ、こころは、「私は、だから、”溶け込めなかった”わけじゃない。そんな、生ぬるい理由で、行けなくなったわけじゃない」、「この人は、私が何をされたか知らないんだ」と思うのに対して、こころを連れた喜多嶋先生が、毅然と「失礼します」とドアを開けることになっていて、喜多嶋先生が、他の先生と一味違うことが、すでに、この場面でも出ているのですが、今回の劇では、「責任者らしい先生」の役が省略されているためか、「中学校に入ったことで急に溶けこめなくなる子は、珍しくないですよ」という台詞が、何と喜多嶋先生の台詞になってしまっていました。そもそも、この小説では、「類型化」に対する徹底的な拒否の姿勢が、ひとつの重要なポイントになっているので、こういう台詞のつけかえには慎重であってほしかったと思いました。
また、マサムネたちがゲームをするときに使っているディスプレイが、十七年版の小説では、マサムネが自宅の倉庫から持ってきたという古いブラウン管のテレビになっているのに対して、今回の劇では、液晶ディスプレイになっていて、これでは、液晶ディスプレイを知らないはずのスバルが疑問を持つはずで、そうなれば、そこで時間のズレが発覚してしまいます。二〇一三年に雑誌連載が始まったころは、まだ、時間のズレの設定がなかったため、連載版では、今回の劇と同じように液晶画面が使われていますが、時間のズレの設定と結末が決まった時点で、連載版の序盤との整合性がとれなくなり、そのため、連載を終了して、最初から書き直して完成させたのが十七年版単行本の『かがみの孤城』であり、テレビ画面が液晶からブラウン管に変わったのも、連載を終了して行った書き換えのひとつですが、結果的に、今回の劇では、年代のズレが考慮されていなかった連載版の画面に戻ってしまっていました。もちろん、スバルやアキが、液晶画面に興味を示さなかったと考えればよいと言えばそれまでですが、ブラウン管のテレビの模型を作ることは、今回の舞台のセットを作る技術があれば、さほど難しいことではないだろうと思うし、マサムネに、「古いテレビを持ってきた」と一言言わせることも難しくはないはずだと思うので、ここも、ちょっと惜しいと思いました。
オオカミさまが、アキを、義父からの暴力の危機から救出した後、「私―、ここに住んじゃダメかな」と言うアキに対して、オオカミさまが「無理だ」と言う場面は、小説では、「アキを手を振りほどかず、”オオカミさま”が、手を握っていてくれる。そのことがとてもうれしかった」というアキの心情描写がありますが、今回の劇では、オオカミさまは、「無理だ」と言ったとき、すでに、アキから手を離してしまっていて、すぐに舞台右手に退場してしまい、ここは、もう少し、アキの手を握っていてほしかったと思いました。
リオンの記憶の場面の後に、小説では、神様とミオの会話と思われるミオの記憶がはいってきて、僕は、結構、好きなところなのですが、こうした、いわば細かい場面が、今回のような時間の制約のある舞台では削除されてしまうのはやむを得ないことなのかもしれませんね。同じく、小説の地の文には、「名言」というより「名文」と言えそうな好きな分が結構あって、例えば、こころが東条萌と最後に別れた直後の一文、「私がその分、覚えている。萌ちゃんと今日、友達だったことを」(十七年版430ページ1行目)は、偶数ページの一行目に置かれて、さらに効果が出ていて、これは、特に、好きな分のひとつなのですが、劇では、直前のこころと萌の台詞は出ても、この地の文はでませんでしたね。
今回、出演者がマウスシールド(透明マスク)を着用して演技をするという異例の舞台。最前列を空席にして、そこに透明シートを設置し、2列目以降も、前後左右を空け、通常の半分しか入場できないという制限のある公演でした。ぎりぎりまで公演ができるのかどうか危ぶまれる情勢でしたが、そういう中でもなんとか公演を実現させようという関係者の熱意を感じました。急な代役となったマサムネ役の山本沙羅も、代役とは思えない活躍ぶりで、速い台詞の多い役をしっかりとこなしていました。

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2020年8月29日、サンシャイン劇場

〔舞台『かがみの孤城』公式ホームページ】
http://napposunited.com/kagaminokojo/

〔北村正裕ホームページ紹介サイト】
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura

【2020. 9. 8追記】
制作会社、NAPPOS UNITREDのツイート
https://twitter.com/NapposUnited/status/1302503873920135171
に、舞台写真が載っています。

【2020.12.22追記】劇場で予約しておいた舞台映像DVD(9月2日の公演の映像、発売元=NAPPOS UNITED)が届きました。8月29日の舞台での伊田先生のドッジボールネタが、自画像ネタ(先生がこころの代わりに自分の自画像を提出しておいたが「1」評価だったというネタ)に代わっていて、公演日によってネタが変わっていたことがわかりました。映像では、色々なアングルから見られるので、特に、照明の効果が楽しめます。
(2020.12.22追記)


【22. 1. 4追記】
『かがみの孤城』とアニメ『エヴァンゲリオン』『魔法少女まどか☆マギカ』について論じる作品論『夢の中の第3村:「エヴァンゲリオン」「まどかマギカ」と「かがみの孤城」の芸術論』(北村正裕著、Amazon Kindle版電子書籍、2022年1月)を電子出版しました。『かがみの孤城』については、連載版から単行本への大改作の詳細な検証も行い、連載版になかった衝撃のラストの誕生の背景、歴史的意義を探り、必要なあらすじ解説もしながらそのそれぞれの作品の特徴について論じていますが、第二章~第四章は、小説『かがみの孤城』のネタバレになってしまうため、これらの章は、小説『かがみの孤城』を読み終えてからお読みください。『かがみの孤城』は、初読時のラストでの驚きと感動の体験がかけがえのないものになるはずなので、先にネタバレ情報に触れないようにお注意ください。
『夢の中の第3村:「エヴァンゲリオン」「まどかマギカ」と「かがみの孤城」の芸術論』(北村正裕著、Amazon Kindle版電子書籍、2022年1月)商品ページ(Amazon)のURLは
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PMMW9HS/
です。
また、nite(https://note.com/ )に、「『かがみの孤城』連載版から十七年版への大改作を検証」というエッセイを掲載しました。こちらは、『かがみの孤城』の決定的なネタバレを避けながら大改作を概観するエッセイです。
https://note.com/kitamuramasahiro/n/nf18cdc4141da
(22. 1. 4追記)

【22. 8.16追記】
『夢の中の第3村: 「エヴァンゲリオン」「まどかマギカ」と「かがみの孤城」の芸術論』(Kindle版電子書籍)の内容を再構成の上、加筆、改題して新刊本として出版するための準備中です。発売時期など、詳しい情報については、後日、ツイッター
https://twitter.com/masahirokitamra
でお知らせできると思います。
(22. 8.16追記)

【22年11月7日追記】
小説『かがみの孤城』(辻村深月作)について論じる作品論
『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』(北村正裕著)、
彩流社からの12月の出版が決まりました。

情報記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52493986.html

(22年11月7日追記)

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