北村正裕BLOG

【北村正裕のナンセンスダイアリー】童話作家&シンガーソングライター、北村正裕のブログです。 執筆情報用ホームページ(童話作家・北村正裕のナンセンスの部屋) http://masahirokitamura.my.coocan.jp/ と、音楽情報用HP(北村正裕アート空間) http://masahirokitamura.art.coocan.jp/ もよろしく。 X(旧ツイッター)アカウントは「@masahirokitamra」です。

バレエ

誤解に基づく「白鳥の湖」衣装替え演出

バレエ史上最も有名なバージョンと言ってよいと思われるプティパ・イワノフ版「白鳥の湖」では、魔法で白鳥の姿にされてしまい夜の間だけ少女の姿に戻れるというオデットが、夜の湖畔で王子ジークフリートと出会う物語ですが、ブルメイステル版などには白鳥の模型が受け継がれているのに対して、模型の白鳥が登場しないバージョンの場合、ダンサーによって演じられる人間の姿に戻っている白鳥たちを、時に、白鳥の姿のままで踊っている姿だと誤解している人も多いのかもしれません。「白鳥たちの踊り」という曲のタイトルもさることながら、今日では定番となっている白鳥の姿をイメージした衣装も、その誤解の大きな原因になっているのでしょう。しかし、注意深く見ていれば、イワノフによって振付られた湖畔での王子とオデットとの出会いの場面、舞台左手から右手奥に向けて弓を構えた王子が、人間の姿に変身するオデットを見て驚き、弓を構えるの止めて左奥に退き、変わって、人間の姿に戻ったばかりのオデットが右手から登場するという演出になっていて、プティパ・イワノフ版の原典版では、湖面の白鳥の模型が省略されなければ、わかりやすいオデットの登場場面になるはずです。


Wileyの"Tchaikovsky's Ballets" という本に掲載されている1895年に出版されたプティパ・イワノフ版台本を出典とする英訳文を見ると、王子とオデットとの出会いの場面は、次のようになっています。
「ベンノが、王子の従者の中の何人かの友人たちとともに入って来る。白鳥たちに気づいて、彼らは、射ようとするが、白鳥たちは泳ぎ去る。ベンノは、群れを見つけた事を王子に知らせるために仲間達を使いに出して、ひとり、残る。白鳥たちは、美しい、若い少女たちの姿に変わり、ベンノを取り囲む。彼は、魔法の現象に驚き、彼女たちの魅力に無力になる。彼の仲間たちが、王子の先に立って戻ってくる。彼らが到着すると、白鳥たちは後退する。若者たちは、それを射ようとする。王子が入ってきて、やはり、狙いを定める。しかし、この時、廃墟が魔法の光に照らされ、オデットが現れ、慈悲を嘆願する」
この台本で示されている「狙いを定める」その先は、人間の少女たちではなく、まだ、人間の姿に戻っていない白鳥たちであり、その白鳥たちは、実際には、(現在でもブルメイステル版などに受け継がれている)模型で表現されて湖面を泳いでいたのだろうと思います。模型が省略されているバージョンでは、時に、王子の友人のベンノたちの弓が人間のダンサーに向けられてしまっているため、人間のダンサーが白鳥を演じているかのような誤解を与えかねない状況になっているし、おまけに、白鳥をイメージしたあの衣装ですが、ダンサーが演じているのは、あくまで人間の姿に戻っているときの娘たちであり、白鳥の呪いをかけられた娘たちが夜の間だけ人間の姿に戻れることになっているのは、王子と踊るためだと言ってもよいでしょう。
今日の白鳥のイメージのチュチュは、呪いの象徴であり、決して、白鳥の姿そのものを意味しているのではないわけですし、「白鳥たちの踊り」という曲のタイトルにしたって、「白鳥の呪いをかけられた娘たちの踊り」などというタイトルでは長すぎるからこのようになっていると考えるべきでしょう。また、上記の1895年版台本で、王子のオデットへの愛の誓いの後の場面には、「夜が明けかかっている。オデットは、最愛の人にいとまごいをして、友達と一緒に廃墟の中に消える。夜明けの光が明るくなる。湖面を、再び、白鳥の群れが泳いで行く。そして、その上を、大きなふくろうが、羽を重々しく揺り動かしながら、飛ぶ」と、書かれ、夜明けとともに白鳥の姿に戻らなければならずに王子と別れるオデットの運命が明記されています。

最近、日本で上演された舞台でも、例えば、昨年(2021年)10月~11月に新国立劇場で上演されたピーター・ライト版「白鳥の湖」の場合、プログラムの「あらすじ」のページには、王子とオデットとの出会いの場面について、次のように書かれています。
「湖岸に着いたジークフリート王子は、ベンノに白鳥を探しに行かせる。一人残った王子は、そこに魔術師ロットバルト男爵の邪悪な存在を感じとる。突然一羽の白鳥が舞い降りてくる。そして王子が驚き見つめるなか、美しい乙女に姿を変える。その若い娘こそオデット姫であった。オデットと彼女の仲間たちはロットバルトによって白鳥の姿に変えられ、夜の間だけは人間の姿に戻れるのだ」
また、王子とオデットたちとの踊りの後については、
「やがて夜明けが訪れ、オデットと仲間たちは白鳥の姿に戻り、湖へと帰っていく」
と、書かれていて、ダンサーによって演じられているのが人間の姿に戻っている夜の娘であることが明記されているのですが、それを、白鳥の姿のオデットたちだと誤解している人が多いのかもしれません。

10月30日に東京文化会館で見たヒューストン・バレエの昼の公演、ウェルチ版「白鳥の湖」の舞台は、そんな誤解が広がっている状況を思い知らされるものでした。

第1幕は、城ではなく、狩りの野営地。乾杯の場面の後、パドトロワの第1バリアシオンの曲が演奏されます。この曲がこの位置で演奏されることは珍しくありませんが、そのほとんどは、王子の孤独を表現するソロであるのに対して、ウェルチ版では、この曲で、オデットが王子と出会います。この時、オデットの衣装は、伝統的な白鳥の衣装ではなく、普通の人間のようなナイトドレス姿。その後、白鳥の主題が現れる9番の曲では王子とオデットが踊り、続く10番の曲で朝となり、オデットは一旦姿を消します。そして、11番の曲で再登場したオデットは、今度は、定番の白鳥のイメージの衣装になっています。つまり、11番の曲から後は、朝になって白鳥の姿になったオデットを表しているつもりのようなのです。何ということでしょう! 白鳥の姿に変えられてしまいながら、夜の間という制約つきでも王子ジークフリートと出会って踊れるように工夫されたルールなのに、あの「白鳥たちの踊り」の場面を朝の場面だと改変してしまうとは! 白鳥の衣装が紛らわしいというのであれば、衣装を改めればよいわけだし、さらに、白鳥の模型を復活させればもっとわかりやすくなるはずです。それなのに、誤解に合わせた曲解をしてしまうとは! これは、もはや、制作者自身が、どっぷりと、完全な誤解に陥っているのではないかと疑わざるを得ない演出だと思いました。そして、王子の裏切りの後の湖畔の場面では、またまた、ドレス姿の娘たちが登場し、再び朝を向かえるラストシーンで、白鳥たちは、また、白鳥のイメージの衣装に変わるのです。そして、オデットと王子の投身の後、白鳥の姿のまま残された娘たちが統制された動きを続ける中で幕となりましたが、白鳥の衣装が白鳥の姿の表現であることを示し続けてしまったため、ラストが解放どころか永遠の呪いのように見えてしまっているのも皮肉です。ここでもう一度衣装替えをしたいのかと思って見ていたのですが、そうはなりませんでした。そもそも、朝が来て白鳥の姿に戻るタイミングのオデットなら、湖に身を投げても死んだりしないはずなので、投身自殺が成立しないはずなのですが、制作者たちは変だと思わなかったのでしょうか?

このように、疑問を禁じ得ない演出ではありましたが、それでも、面白いと感じる部分はありました。そのひとつが、ほかならぬドレス姿の「白鳥の娘」たちです。王子の裏切りの後の終幕で、ドレス姿で踊られる白鳥たちの踊り(27番の曲)は新鮮でした(27番の後、28番の前に、19番の第2ヴァリアシオンの曲が挿入されていました)。もう、従来の白鳥のイメージのチュチュはやめてもいいのではないか? 少なくとも、普通のドレスか、それに近いチュチュで踊る白鳥たちがあってもよいように思いました。
また、今回、舞踏会の場面で、通常、大幅に短縮されてファンファーレが1回だけになる17番の曲が、長々と演奏され、ファンファーレの回数が、原曲の3回を上回る4回も鳴らされていたのには驚きました。原曲は、花嫁候補6人が2人づつ、3回に分けて入場することを想定し、そのたびにファンファーレが鳴るように作られていますが、プティパ・イワノフ版では、花嫁候補全員が一度に入場し、ファンファーレは1回だけになっています。この曲のファンファーレを原曲通り3回鳴らすバージョンとしては、原曲尊重の姿勢が強いバレエ・アム・ラインのシュレップァー版がありますが、原曲を上回る4回のファンファーレを鳴らすバージョンなど、前代未聞で、そんなバージョンの存在を初めて知りました。しかも、やってみると、それほどしつこいという感じでもないので、やればできるものだなあと思うと同時に、これでは新たな改変になってしまうではないか、という感想も禁じえませんでした。ウェルチ版では、花嫁候補が4人で、それぞれ、ロシア、ハンガリー、スペイン、ナポリの姫となっていて、民族舞踊は花嫁候補たちの踊りになっていました(チャルダッシュは削除)。
その他、変わったところとしては、例えば、第1幕で、通常、パドトロワが踊られるところ、ウェルチ版では王子の友達2人に王妃の娘2人も登場し、パドトロワの曲だけでなく、第3幕のパドシスの曲なども混ざっていました。そして、その前のワルツが無かったような……。
オデットと王子との出会いが通常よりも前倒しになっているのは、通常の出会いのシーンを朝だとしていて、その前の夜のうちに森で出会う場面を作るためであり、そのために、通常は城の場面となる第1幕が狩りの野営地になっているというわけで、これらについては、すべては、上記の誤解に基づく演出だと言えると思います。

〔HP内の「白鳥の湖の基礎知識のページ〕
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/swanlake-g.htm

〔北村正裕ウェブサイト紹介ページ〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura

〔北村正裕ツイッター〕
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パリ・オペラ座バレエ「ジゼル」宙乗り演出排除の理由

2月29日・夜、パリ・オペラ座バレエ団日本公演「ジゼル」(1998年制作、パール&ボリャコフ演出版)を見て、原曲、原台本との比較や、マリインスキー劇場2016年年映像などとの比較の観点から気づいたことなど、観劇レポート
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/gisell-operadeparis2020.htm
を、ホームページに掲載しましたが、そこでも触れた注目点の中から、演出、編曲に関する2つの点に焦点をあて、クローズアップして、ここに記しておきたいと思います。

まずは、第2幕で多くのバレエ団が見せているジゼルの宙乗り演出が、パリ・オペラ座バレエ団の舞台では封印され、ジゼルが床の上を走り抜けるという演出に置き換えられていた点についてです。
ジゼルは、第1幕で、恋人のアルブレヒトに裏切られたショックで死んでしまい、その魂が、第2幕で、ウィリという、日本でいう幽霊のような姿で森の中に登場し、森の中のジゼルの墓を訪れたアルブレヒトが、ウィリとなったジゼルに遭遇するのですが、その場面で、アダン作曲の音楽には、ウィリとなったジゼルが空中を浮遊することを表現しているような部分があり、多くのバレエ団が、実際、宙乗りのジゼルが空を飛ぶシーンを見せていて、マリインスキー劇場2016年の映像でも、そのようになっています。ところが、今回のパリ・オペラ座バレエ団の日本公演では、上記のように、その演出が排除されており、その意味について、すぐにはわかりませんでしたが、公演プログラムの中の解説を読んでみると、その意味を考えるためのヒントがあることに気づきました。

1841年にコラーリとペローの振付によってパリ・オペラ座で初演されたバレエ「ジゼル」は、一時、パリでの上演が途絶えてしまったものの、ロシアでパリ・オペラ座バレエ団のダンサー出身の振付師、マリウス・プティパの改訂振付版が上演され続け、それが、ロシアのマリインスキー劇場からパリに里帰りするなど、ヨーロッパに広がり、今では、チャイコフスキー・バレエ以前のバレエ作品としては、おそらく、世界中でもっともよく上演されている人気バレエ演目になっている作品ですが、ジゼルの宙乗り演出は、すでに、パリ・オペラ座での初演時から行われていたようで、今回の公演プログラムには、空を飛ぶジゼルの姿を描いた当時の舞台画も載っています。一方、ロシアでのプティパによる改訂に関する解説の中に、「プテォパは機械仕掛けの飛翔を廃し」という記述があり、パリ・オペラ座での初演時から行われていた宙吊り演出を廃止したのはプティパなのだということです。そして、プログラムには、その意味にかかわる重要な記述もあることに気づきました。プティパによる改訂版の第2幕で、ウィリたちは、片脚で立ち、もう一方の脚を後方に大きく上げ、上げた脚と反対の腕を前方に伸ばす「アラベスク」と呼ばれる姿勢を何度も取りますが、プログラムには、「『アラベスク』は、ウィリの飛翔を"静止で"再生産する」という記述があり、そういう解釈に基づけば、機械仕掛けの飛翔を見せなくても、ウィリの飛翔は表現できるという考え方のようです。
プティパの改訂を生み出したロシアのマリインスキー劇場が、再び、パリ・オペラ座での初演時に行われていた機械仕掛けの飛翔を復活させているのに対して、プティパによる改訂版をいわば逆輸入したパリ・オペラ座では、プティパによる改訂の意図を尊重して、今でも、パリ・オペラ座での初演時にあった機械仕掛けの飛翔を見せないというのは興味深いことで、ここには、プティパによる改訂振付に対する尊敬の念が込められているように思います。そして、アラベスクが飛翔の表現であるという解釈は、今回の公演プログラムを読んで初めて知りました。

第2幕でのジゼルの登場前に、ウィリたちが、2組に分かれて、アラベスクの姿勢のまま、平行に交差しながら進んでいくシーンは、このバレエの見せ場の一つだと言ってもよいシーンで、例えば、1996年の東京バレエ団公演の宣伝パンフレットには、そのシーンの写真が載っていますが、あの、美しく、迫力あるシーンが、ウィリたちの飛翔のシーンの表現として生まれたということを、これまで、特に、意識したことがなかっただけに、今回、パリ・オペラ座バレエ団の宙乗り排除演出を見たのがきっかけで公演プログラムから読み取ることができたこの解釈は、自分にとっては、新たな気づきでした。

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1996年、東京バレエ団の公演宣伝パンフに掲載されている「ジゼル」第2幕の舞台写真
(ウィリたちが、アラベスクの姿勢で平行に交差しながら前進していく場面)


もう1点、幕切れの音楽の編曲についても記しておきたいと思います。
「ジゼル」のオリジナル版のラストシーンは、最後に、アルブレヒトの婚約者のバチルド姫が登場し、ジゼルがアルブレヒトをバチルド姫に託すというもので、いわば、現実に引き戻されるような結末であり、音楽もそれを想定して作られていますが、プティパによる改訂版では、バチルド姫も他の貴族もラストには登場せず、アルブレヒトひとりが残されるようになっており、音楽も、貴族たちの登場の音楽を削除することになり、ラストをどう編曲処理するかは、バレエ団によってさまざまですが、プティパによる改訂版を生み出したマリインスキー劇場の2016年映像ではオリジナル版と同様の強い音での終結になっているのに対して、今回のパリ・オペラ座バレエ団日本公演では、弱い音で静かに終わる編曲になっていました。これは、味わいのあるラストと感じました。マリインスキー劇場の音楽よりも、今回のパリ・オペラ座バレエ団日本公演のラストの音楽のほうが、バチルド姫の登場で現実に引き戻される場面を削除したプティパによる改訂を生かす編曲になっているとも言えるのではないかと感じました。
そう考えると、現在のパリ・オペラ座バレエ団の「ジゼル」は、単に、プティパによる改訂版をそのまま復元しているだけというわけではなく、その改訂の意図を尊重して、それを、さらに生かすための工夫も盛り込まれているものだといえるのではないでしょうか?

ホームページに掲載した観劇レポート
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/gisell-operadeparis2020.htm
では、原曲に忠実に演奏していると思われるボニング指揮による2種類のCDを基準に、そこに収録されているそれぞれの曲で、どのような舞台が演じられているかを全曲について記し、また、音楽的改変や削除についても書いておきましたが、今回のブログ記事では焦点を絞り込んで、パリ・オペラ座バレエ団の「ジゼル」に、いかに、ロシアでのプティパの改訂振付に対する高い評価が反映されているかについて、感じたことを書きました。

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2020年2月29日、東京文化会館大ホールロビー

バレエアムライン、原典版要素をいれたシュレップァー版「白鳥の湖」

9月20日、オーチャードホールで、バレエ・アム・ライン、シュレップァー版「白鳥の湖」日本公演初日を見てきました。観劇。音楽構成については、すでに、9月20日に速報ツイート
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1175051536822493184
に書きましたが、原総譜の4番は第1ヴァリアシオンのみ演奏し他の5曲は全て削除。5番は4曲中前半2曲を削除して後半2曲のみ演奏。6番削除。20~23番の4曲すべて削除。25番削除。原総譜付録のルスカヤを19番の直後に挿入。というわけで、かなりの削除がありましたが、編曲はなかったと思います。
詳細については、後日、ホームページのバレエコーナーの観劇レポートのページ
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/swanlake-rhein19.htm
に書く予定ですが、ここでは、公演当日の音楽構成速報のツイートに続き、速報第2弾として、音楽と演出について、気づいたことを少し書いておきます。
まず、音楽についてですが、すでに、どの曲が削除されたかについては、速報ツイートに書いた通りですが、削除は多いものの、編曲はされておらず、例えば、原総譜の13番の5曲目や17番等も、原総譜の通りに演奏されていて、これは、多くのクラシックバレエのバレエ団が、1895年のプティパ・イワノフ版上演のさいにリッカルド・ドリゴによって編曲されたバージョンを使用していることを考えると、ひとつの特徴だと言えると思います。通常、削除されることのない20~23番の民族舞踊4曲(ハンガリー、スペイン、イタリア、ポーランド)をすべて削除していながら、プティパ・イワノフ版で削除されていた19番の7曲は削除せずに、すべて演奏するなど、今日の多くのバレエ団の上演の基礎となっているプティパ・イワノフ版で削除されたり、改変されていた音楽を優先的に演奏するという意図を感じました。
公演会場で1部2,000円で販売されていた公演プログラムに載っているシュレップァーのインタビューには、
「私たちが《白鳥の湖》だと思っているものを一切合切、原理的に破壊してしまうようなことはせずにチャイコフスキーのオリジナルスコアとそれに付随するリブレットに基づいて、このメルヘンを私なりの視点から語り直したい」
と、書かれていますが、ドリゴ版ではなく、チャイコフスキーのオリジナルスコアを基に演奏するという姿勢は、それなりに理解できます。これだけ多くの曲が削除されているとなると、とてもチャイコフスキーによる原典版音楽の舞台化などとは言えないと思いますが、それを尊重しようという姿勢があることはたしかなようです。公演プログラムの「主催者一同」の「ご挨拶」のところには、「原典版の音楽と初演台本を採用」と書かれていますが、実際に舞台も見てみると、上記の通り、「原典版の音楽を採用」と言っても、全曲、削除なしに演奏するというわけではありませんでした。
次に、「原典版を採用」という点についてですが、これについても、気づいたことを記しておきます。
1985年のプティパ・イワノフ版台本(改訂台本は、作曲者の弟のモデスト・チャイコフスキー)と、チャイコフスキーが作曲するさいに使用した原台本(初演が1877年なので1877年版と呼ばれることもあります)との大きな違いは、プティパ・イワノフ版ではオデットがもともと人間の王女であり、悪魔ロットバルトの呪いで昼間は白鳥の姿でいなくてはならないという設定になっているのに対して、原台本(台本=ベギチェフ、ゲリツェル)では、オデットは妖精の娘であり、昼間の白鳥の姿は、魔女(原台本では魔女がオデット命を狙っていることになっています)の呪いによるものではなく、湖で遊ぶための妖精の力による姿です。ですから、原台本の物語では、白鳥の姿自体は、オデットたちにとって、何ら悲劇的なものではないはずなのです。しかし、今回の演出は、「原台本を採用」としながら、白鳥が登場する第2幕は、冒頭から、非常に暗い雰囲気で、本当に原台本の物語が反映されているのか、疑わしいと感じました。また、原台本では、オデットの結婚まで、オデットを護るものとして、オデットの王冠が重要なアイテムなのですが、今回の演出では、王冠は登場さえしませんでした。
一方で、原台本では、オデットを憎む魔女の正体はオデットの継母であり、ロットバルトとは別人物であり、継母に対して、オデットを守ろうとするオデットの祖父の涙で湖が出来たということになっていますが(プティパ・イワノフ版では、湖を作ったのはオデットの母の涙)、今回の演出では、原台本の邦訳を読む限り、舞台に登場することは想定されていなかったと思われるオデットの祖父が、舞台に登場します。そして、この演出を、原台本を生かす演出だと考えているようなのですが、そもそも、魔女の正体がオデットの継母であるという設定は、原台本の中の重要な要素なのかどうか、僕には、疑問に思えます。むしろ、この設定は、まるで、グリム童話決定版(第7版)の中の「白雪姫」などから借りてきたように思えて、「白鳥の湖」原台本の弱点なのではないかと思うので、オデットの継母と祖父が対峙するという構図の舞台を見て、特に素晴らしいとは思えませんでした。
ラストは、死んでしまったオデットを抱えた王子が、舞台右奥に消えて去って行き、舞台中央奥では、左側の魔女が倒れて消え、右側の祖父が立ちつくす中、白鳥たちが舞台上に姿を現すというものでした。
ここで、ひとつ注意しておかなければなららいのは、白鳥の姿をどう表現するかということです。
原台本でも、1895年版でも、白鳥の姿は、模型を使って表現し、ダンサーが演じるのは、あくまでも、夜の人間の姿になった娘たちだけだろうと思うのですが、今回の演出では、白鳥の姿の娘たちも、ダンサーが演じています。第2幕序盤の登場時の衣装の腰のまわりに着脱可能な羽毛を現すような飾りがつけられていて、この飾りの着脱によって、白鳥の姿と人間の姿を演じ分けていました。ですから、ラストシーンでは、この飾りをつけたダンサーたちが、舞台を走りまわって去って行くという演出で、白鳥の出現が表現できるわけです。ベルウィンミルズ版原総譜のラストシーンのところには、ロシア語とフランス語で「湖面に白鳥たちが出現」と書かれていますが、このスコアのト書きを、今回の演出は、チャイコフスキーの想定とは違う形であるとはいえ、きちんと、それに従ったことになると思うので、そのことは、評価したいと思います。ただし、原台本にある湖の氾濫などの具象的な表現などは一切なし。視覚的には、かなり抽象化されたモダンバレエのスタイルでした。
原総譜付録の曲のうち、ルスカヤ(ロシアの踊り)は、19番の直後に挿入され、ここで、王子とオディールが踊るのですが、このとき、舞台奥、やや右寄りの位置に、3人の白鳥の娘が現れ、このとき、王子は、この白鳥たちのほうに視線を向けることはありませんが、頭をおさえて悩む様子を見せます。これは、王子が、オディールと結婚してもよいのか、湖で出会ったオデットと同一人物なのか、などと迷う気持ちを表現しているようでした。プログラムを見ると、ここで登場する3人の役名は「ジークフリートの記憶」となっており、キャストは、第2幕の「白鳥の女性たち」16人のうちの3人です。「ジークフリートの記憶」という役名、魅力的な感じがします。

今回のシュレップァー版とは別に、1877年版の研究や、その復元を目指す動きも、ロシアなどでは、たぶん、行われているのだろうと思います。
例えば、「la dolce vita」というブログの15年10月17日の記事「『白鳥の湖』初演についての発見続き」という記事
http://dorianjesus.cocolog-nifty.com/pyon/2015/10/post-4c50.html
などに、資料発見の情報が載っています。検索すると、グラスノヤルスクでのボブロフ版など、初演当時のレイジンゲル((ライジンガー)振付による舞台の復元を目指そうという動きもあるらしいです。こうした動きについても、今後、新しい情報が出てくるかもしれません。

【追記】
シュレップァー版「白鳥の湖」については、後日、、ホームページのバレエコーナーの観劇レポートのページ
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/swanlake-rhein19.htm
に、もう少し、詳しく書く予定です。

〔ホームページの中の「白鳥の湖」の基礎知識のページ〕
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/swanlake-g.htm

〔ホームページ紹介サイト〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura

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2019年9月20日、オーチャードホール

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2019年9月20日、シュレップァー版「白鳥の湖」音楽構成速報ツイートの画面

【19. 9.28追記】
9/27に、宣伝パンフの疑問点についてツイートしました。
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1177436355485261824
情報、ご意見等いただければありがたいです。
そして、9/28、ホームページに、20日の公演について、21日のブログ記事での速報より少し詳しい観劇レポート
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/swanlake-rhein19.htm
を掲載しました。
(19. 9.28追記)

英国ロイヤルバレエ「白鳥の湖」ダウエル版映像Blu-ray&DVD発売

OPUS ARTEレーベルより、英国ロイヤル・バレエ団によって2009年3月にコヴェントガーデンロイヤルオペラハウスで行われたダウエル版「白鳥の湖」の公演の映像のブルーレイソフトが発売されました。このダウエル版の「白鳥の湖」は、すでに、99年の日本公演でも披露されていますが、物語、音楽、振付のすべての点で、1895年のプティパ・イワノフ原典版に非常に忠実なもので、バレエ・ファンなら、一度は見ておくべきものでしょうし、また、初めて「白鳥の湖」を見ようという人にとっては、2009年12月現在、「白鳥の湖」入門として、もっとも適切な映像ソフトではないかと思います。一方、このソフトに添付されているブックレットには、英仏独語による短い作品解説があるだけで、トラックごと、場面ごとの解説がまったくありません。そこで、今回のプロダクションに「プロダクション・リサーチ担当」として参加しているWileyの著書"Tchaikovsky's Ballets"に収録されている1895年版台本の英訳などの資料などを参考にしながら、今回発売になったブルーレイーディスクのトラックごとの場面"解説"を書いてみましたので、ホームページのバレエ・オペラコーナー
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/swanlake.htm
の中の
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/swanlake-royal-bd2009.htm
に掲載しました。お気づきの点などありましたらお知らせいただければさいわいです。

なお、旧規格のDVDの発売情報も含めて、ゆうさんの「Side B-allet」というブログの
http://sideballet.com/archives/2009/07/27-220849.php
http://sideballet.com/archives/2009/10/24-053000.php
の記事に、ネットショップへのリンクなど、情報が出ています。

【09/12/12追記】
「懐かしのバレエ」というブログの
http://blog.goo.ne.jp/raku-bes/e/753f0d5a1d8ecd1d3b7c781059a23395
に、DVDの感想記事が出ています。

牧阿佐美バレヱ団、三谷恭三新演出「白鳥の湖」関係記事

先月25日のゆうぽうとでの牧阿佐美バレヱ団による三谷恭三新演出「白鳥の湖」については、ホームページのバレエ・オペラコーナー
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/swanlake.htm
の中の
「三谷版、白鳥の湖」のページ
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/swanlake-ambt2009.htm
に演出についての感想を書きましたが、今のところ、僕が触れたような演出についての感想は、ネットでは、見つかりませんが、舞台美術や、ダンサーについての記事がいくつかみつかりました。

舞台美術などについては、
「In the middle somewhat…」
というブログの
http://moondream.seesaa.net/article/131090010.html
に、24日の公演についてですが、コメントが出ています。

「フィールドノート」というブログの
http://blog.goo.ne.jp/ohkubo-takaji/e/01cdac444230d97230ce8b114686ed90
には、24日公演のダンサーについて書かれています。

また、
舞踊評論家、高橋森彦さんの「ダンスの海へ?ダンス・バレエの備忘録」というブログの
http://d.hatena.ne.jp/dance300/20091007/p1
の記事も、24日のダンサーについてのコメントが中心のようです。

「白鳥の湖」幻影解釈の流行

最近、相次いで来日公演を行ったオーストラリア・バレエ団とグルジア国立バレエの「白鳥の湖」では、いずれも、白鳥や湖が、登場人物の幻影であるという解釈による演出になっていましたが、「幻影解釈」の元祖的存在のパリのヌレエフ版では幻影であったオデットが、現実の城の舞踏会に現れ、さらには、幻影を失った王子の死をも暗示するインパクトのある演出であったのに比べると、今回披露された2つの舞台では、幻影は決して現実を浸食することはなく、特に、グルジアのファジェーチェフ版は、いわゆる「夢落ち」であって、ヌレエフ版のようなインパクトのあるものではないと感じました。
グルジア国立バレエのファジェーチェフ版では、第1幕がバレエスタジオでのリハーサル。そして、第2幕以降が、練習に疲れたプリンシパルが見る夢。終曲は分断され、最後のメノモッソの部分のみ、スタジオで夢から覚めたプリンシパルのシーンに使用するというもので、好感の持てるものではありませんでした。オーストラリア・バレエ団のマーフィー版の方は、第2幕の湖と白鳥が、王子(=皇太子)の愛人問題に悩むオデット(=皇太子妃)の幻影。王子ではなく、オデットの幻想としたのはユニークですが、その契機がオデットと王子とロットバルト男爵夫人(皇太子の愛人)との三角関係であるというのは、この音楽が描く美しい幻想にそぐわないような気がしました。

このオーストラリア・バレエ団のマーフィー版について、先日、朝日新聞に掲載されたレビュー(7月27日付夕刊)の中で、第3幕ラストでのオデットについて、「彼女は病院=湖へと連れ去られる」と書かれていますが、これは間違っていると思います。男爵夫人主催の夜会の第3幕のラストで、招かれざる客のオデットを男爵夫人が再びサナトリウムに送ろうとしますが、オデットは、捕らえられることはなく、夜の闇に逃げ込んでしまいます。公演プログラムにも、「オデットは夜の闇のなかへ逃げ去っていく」と書かれています。そして、第4幕では、王子の後悔と嘆きをよそに、ついに闇の世界に消えてしまい、彼女の死が示唆されています。第2幕で現れる湖は、サナトリウムに収容されたオデットの夢想ですが、第4幕で現れる湖は、闇の中のオデットの夢想なのでしょう。第2幕のグランアダージョでドリゴの終止を採用しないなど、プティパ版にとらわれずに原曲を積極的に使うなど、見るべき点はありましたが、やはり、愛人問題とか三角関係といった設定になじめませんでした。

なお、僕が見たのは、オーストラリア・バレエ団のマーフィー版が7月14日(18:30)、グルジア国立バレエのファジェーチェフ版が7月21日、いずれも、東京文化会館での公演です。

今回の両バレエ団の「白鳥の湖」の日本公演については、すでに、色々なブログにコメントが載っているようです。
オーストラリア・バレエ団の公演については、
「散在日誌 ballet」の
http://ried.blog43.fc2.com/blog-entry-160.html
「Haskellな日々」の
http://plaza.rakuten.co.jp/MiriamHaskell/diary/200707140000
などに、
グルジア国立バレエの公演については、
「エンタメ日記」の
http://blog.goo.ne.jp/piero0323/e/8f551fb037606d3035be03d3ac6c0777
「萌映画」の
http://blog.goo.ne.jp/rukkia/e/86b967bfb813cf4aef1c36dfbb8aeda7
などにコメントがあります。

〔HPのバレエ・オペラコーナー〕
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/swanlake.htm

パリ・オペラ座/ヌレエフ版「白鳥の湖」DVD

2005年12月20日にパリ、バスティーユオペラ劇場で、オデット=ルテステュ、王子=マルティネズというキャストでライブ収録されたヌレエフ版「白鳥の湖」の舞台映像のリージョンフリーのDVDが、先月、英国Opus Arteより発売され、今月からは、日本でも、アイヴィ(ナクソスレーベルの輸入代理店)により輸入・販売されています。輸入品なので、価格は、店によって違うし、変動もすると思いますが、僕は、昨日、秋葉原の石丸電気のソフト3の店頭で、税込4280円で購入しました。字幕はフランス語ですが、メニュー画面のsubtitle項目の操作で、字幕の一部については英訳も表示できるようになっています。この、アイヴィが輸入・販売しているものには、紙一枚の「日本語解説書」なるものも添付されていますが、これには、重大な間違いがあるので、注意が必要です。もっとも重大な一点に絞って、ここで指摘させていただきます。
「日本語解説書」では、第2幕冒頭部分の解説として、「家庭教師から弓を渡された王子は、狩に出かける」とありますが、これは、パリのヌレエフ版の設定とは決定的に違っています。1895年のプティパ・イワノフ版をはじめとして、今日のほとんどの「白鳥の湖」では、たしかに、王子は森に狩に出かけるのですが、パリのヌレエフ版(初演1984年)では、森の湖やオデットたちは、すべて、王子の幻想であるという設定になっていて、それが、この演出の最大の特徴になっているのです。実際、この演出では、第1幕から第2幕への舞台転換のさい、通常の演出と違って、王子は、城から走り出したりせず、城の中で弓を持って横たわると、突然、背後の壁が、扉が開くように消失して、そこに、忽然と、絵画のような湖の風景が現れるという演出になっています。僕は、1990年5月4日にパリ・オペラ座(ガルニエ宮)で、オデット=プラテール、王子=ジュドというキャストでの舞台を見ており、その舞台と、その時に入手したプログラムをもとにした、この演出についての解説、批評、ウィーン版との比較などは、著書「オデット姫のジークフリート王子のほんとうの物語」(1990年、私家版)の中に書きましたので、詳しいことは、そちらを参照していただければさいわいですが(入手方法については、HPをご参照ください)、オデットが王子の夢想の産物であることは、椅子にすわってまどろむ王子の背後にオデットが登場するプロローグですでに示唆されており、プログラムには、第2幕のストーリーの冒頭で「思索に没頭するする王子は、頭に小さな冠を載せた、純白の、一羽の白鳥の娘が現れるのを見る」とあります。ついでに言えば、現れたのは「白鳥の娘」(une femme-cygne)であって、夜になって人間の姿になるという記述もなく、実際、第2幕でのオデットのマイムでも、「悪魔によって白鳥にされてしまった」「この湖は、私の母の涙でできた」という表現はあっても、夜の間だけ人間に戻るというこを示す動作らしきものは見あたりません。今回のDVDの映像のプロローグ部分で出てくる字幕では、フランス語、英語ともに「夢の中で、王子は、猛禽に脅かされた娘を見る」という正しい内容になっており、こちらは問題ありませんが、アイヴィが添付した「日本語解説書」は上記の通り、間違っています。なお、同解説書には、「作品データ」として、「原作=ムゼーウスの童話『奪われたヴェール』」とありますが、これは「「白鳥の湖」のストーリーの元になった作品のひとつといわれているもので、この作品のあらすじなどは、上記「オデット姫のジークフリート王子のほんとうの物語」の97?98ページに書いてあります。また、国書刊行会から2003年に発行された鈴木滿訳「リューベツァールの物語?ドイツ人の民話」に全訳が収録されています。
なお、このプロダクションは、昨年4月のパリ・オペラ座日本公演で、東京文化会館で披露されており、ご覧になった方が多いと思いますが、僕も、4月23日の、オデット=ルテステュ、王子=ルリッシュというキャストによる公演を見ました。そのさいに販売されたNBSによる日本語プログラムの内容は、おおむね妥当なものだと思います。
ところで、このプロダクションには、チャイコフスキーの音楽が表現する破滅の美、そして、第2幕のマイム、また、原曲27番の美しい「白鳥たちの踊り」など、現在のマリインスキー・バレエや新国立劇場では削除されてしまっているプティパ・イワノフ版「白鳥の湖」の本来の美しさの重要な要素が、しっかりととらえられており、僕は、貴重な映像だと思いますし、待望のDVDだと言ってよいと思います。

今回のDVDの情報は、Opus Arteのサイトの
http://www.opusarte.com/pages/product.asp?ProductID=182
に掲載されていますが、
「Yuki's Web Page」
http://eucharis.main.jp/
に、発売前から、ゆうさんが、情報記事
http://eucharis.main.jp/past/2006/12/10-195906.php
をお書きになっています。近々、レビューも掲載されるのではないでしょうか。
また「Pour passer le temps」というブログの
http://blogs.yahoo.co.jp/pourpasseletemps/44830899.html
には、早くも、感想記事が出ています。

〔HP内のバレエ・オペラコーナー〕
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/swanlake.htm

新国立劇場バレエ「白鳥の湖」牧阿佐美新演出版関係記事

HPのバレエ・オペラコーナー
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/swanlake.htm
に、先月11月19日の新国立劇場の牧阿佐美芸術監督による新演出の「白鳥の湖」の観劇レポートを掲載しましたが、すでに、今回の公演については、色々なブログに感想記事が出ているようです。
例えば、「バレエに行こう」というブログの
http://goballet.seesaa.net/article/28113024.html
には、同じ19日の公演の感想が書かれています。
また、「ミキん家」というブログの
http://mikinchi.cocolog-nifty.com/ballet/2006/11/post_1200.html
には、初日の12日の感想が書かれています。

ところで、上記HPに掲載したレポートで、91年のキーロフバレエ(現マリインスキーバレエ)日本公演のときのメモに基づいて、98年の新国立劇場での上演との差違に触れたり、グランアダージョの冒頭の編曲についても言及しましたが、その後のマリインスキー劇場ではどうなっているのでしょうか?
僕は、今月のマリインスキーバレエの来日公演を見に行く予定はないのですが、ご覧になる方は、その辺にも注目されるとおもしろいかもしれません。それから、今月16日未明、午前00:30?04:20のBS2の番組「クラシックロイヤルシート」で、今年6月にマリインスキー劇場で収録された「白鳥の湖」の映像が放映されるそうで、こちらは、僕も、録画しておく予定です。この映像の舞台は、今年1月に東京文化会館でワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」4部作の白熱の演奏を聴かせてくれた指揮者ゲルギエフの指揮によるものなので、その演奏にも注目です。

【06/12/07追記】
〔新国立劇場「白鳥の湖」関連ブログ記事(追加)〕
「背表紙ふぇちの独白」の
http://plaza.rakuten.co.jp/ayafk/diary/200611190000/
「藤田一樹の観劇レポート」の
http://white.ap.teacup.com/kazudon/441.html
「劇場の天使」の
http://blog.so-net.ne.jp/theater-angel/2006-11-18
「la dolce vita」の
http://dorianjesus.cocolog-nifty.com/pyon/2006/11/111_2f3f.html

〔マリインスキーバレエ名古屋公演関係記事〕
「気まぐれ日記」の
http://blog.pivoine.daa.jp/?eid=608800

英国ロイヤル・バレエ「くるみ割り人形」のDVD

かなり昔、レンタルビデオ店で借りて見て以来、しばらく見ていなかった英国ロイヤル・バレエの「くるみ割り人形」の舞台の映像(ピーター・ライト演出、1985年収録)が、ワーナーミュージック・ジャパンからDVDとして再発売されたので、早速、購入し、久々に、部分的に見ています。
このプロダクションのいいところは、イワーノフの原典版にかなり忠実であると思われることです。たとえば、現在、多くのバレエ団が、「コクリューシ王子」を削除して、くるみ割りの王子にコクリューシ王子の役を"兼任"させているのに対して、このプロダクションでは、兼任などさせず、コクリューシ王子という独立した役が存在しています。ちなみに、これを演じるのは、アンソニー・ダウエル、また、金平糖の精を演じるのは、レスリー・コリアです。現在、コクリューシ王子という役名をきちんとプログラムに載せているバレエ団は、日本では、東京シティ・バレエ団など、ごく少数ではないでしょうか?
もうひとつ、この1985年の映像では、冒頭で、ドロッセルマイヤーが、仕事部屋で、額にはいった彼の甥の写真を眺めながらくるみ割り人形を胸に抱き、人形の正体が、呪いによって変身させられてしまったドロッセルマイヤーの甥であることを示唆し、また、第2幕の幕切れで、元の姿に戻った彼の甥、つまり、くるみ割りの王子が、現実の彼の前に現れ、額の中に写真がくるみ割り人形に変わっている、という演出がとられて、呪いが解けたことを示しています。こうしたことは、プティパの原台本には書かれておらず、特に、観客に示さなければいけないわけではないでしょうが、この演出は、ホフマンの原作の設定そのものであり、原作に矛盾しない範囲で、原台本に補足を加えようとする場合には、当然、ひとつの選択肢になるものです。以前、この映像を見たときは、わざわざ、これを舞台で示さなくてもいいのではないか、と思いましたが、最近では、原作の設定に反して、第1幕のパーティーの場で、ドロッセルマイヤーの甥が本来の姿で登場するといった、致命的とも言える演出(たとえば、NBAバレエ団による「イワーノフ復元版」)が出現しており、そんなおかしな演出をやるくらいなら、ピーター・ライトのように、原作の設定に矛盾しないようにやってほしい、という思いを強く持ったので、1985年の映像のこの演出は、むしろ、この映像のおすすめポイントのひとつだと思えるようになりました。
唯一、残念なのは、「ジゴーニュおばさんと道化たち」が削除されていることですが、これを削除せずにやっているバレエ団は、東京シティ・バレエ団や、NBAバレエ団など、これまた、現在では、少数派になってしまっているようです。

この映像ソフトは、再発売なので、すでに色々なコメントが出ていると思いますが、例えば、「Side B-allet / Yuki's Web Page」というサイトの「バレエ映像カタログ」の
http://eucharis.main.jp/dvd/archives/200411112209.php
に、ゆうさんのコメントがあり、ここには、キャスト表も掲載されています。

なお、上記の東京シティ・バレエ団や、NBAバレエ団の「くるみ」については、HPのバレエ・オペラコーナー
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/swanlake.htm
に、観劇レポートを掲載してあります。

Kバレエカンパニーの「くるみ割り人形」(熊川哲也版)

先日(12月15日)、東京文化会館でのKバレエカンパニーの「くるみ割り人形」(熊川哲也版)の公演を見てきました。制作者たちの熱意が感じられる舞台であると感じる一方、疑問に感じる点も多々ありました。感想は、HPのバレエ・オペラコーナー
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/swanlake.htm
に掲載しました。

僕は、11月のオーチャードホールでの公演は見ていないのですが、
藤本真由さんのブログの
http://blog.eplus.co.jp/daisy/2005-11-17
や、
「放蕩主婦」さんの「勝手にチェック」というブログの
http://check-check.seesaa.net/article/9348709.html
などに、11月の公演の感想記事があります。
ただ、いずれにも、オーケストラについてのコメントはありません。
12月15日の公演のオーケストラについては、その存在感のある演奏について、僕は、HPで、「特筆に値する」と書きましたが、11月の公演ではどうだったのかはわかりません。また、12月15日の演奏についても、もちろん、聴く人によって、評価は様々でしょう。
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