北村正裕BLOG

【北村正裕のナンセンスダイアリー】童話作家&シンガーソングライター、北村正裕のブログです。 執筆情報用ホームページ(童話作家・北村正裕のナンセンスの部屋) http://masahirokitamura.my.coocan.jp/ と、音楽情報用HP(北村正裕アート空間) http://masahirokitamura.art.coocan.jp/ もよろしく。 X(旧ツイッター)アカウントは「@masahirokitamra」です。

オペラ

阿部加奈子指揮、藤原歌劇団「ファウスト」公演

東京文化会館で、1月27日、28日、2日連続で、ダブルキャストによる藤原歌劇団「ファウスト」の公演を見てきました(演出=ダヴィデ・ガラッティーニ・ライモンディ、指揮=阿部加奈子、管弦楽=東京フィルハーモニー交響楽団)。
3つの動く仕切り板、ついたて、壁のようなディスプレイに様々な画像が映し出される仕組みで、他には大きな舞台装置はなく、簡素な演出。例えば、第3幕では、画像を映し出すついたてのような壁以外には、公園か駅のホームの水飲み場のような「聖水」と、花と宝石を置くための簡素なテーブルと小さな四角い椅子がある程度でした。
第1幕でメフィストフェレスがファウストにマルグリートの幻影を見せる場面では、マルグリートは登場せず、背景の壁に女性の顔(の一部)の画像が映し出されるという演出でした。このとき、ファウストは後ろを見ていないので、幻影は客席側に見えているというように考えるべきなのでしょう。
幻想のようなバレエが第1幕から登場、最初は、ファウストの机の下から妖怪のように登場し、合唱が聞こえてくる場面では、背景の壁の隙間から登場していました。
第3幕のファウストの「この清らかな住まい」の場面では、3つの壁のディスプレイに淡いグリーンと白の花が現れ、それが青に変化、そして、マルグリートの「宝石の歌」が始まると赤いバラに変わり、さらにチューリップなども現れるという具合に、場面ごとに、画像がどんどんと変化していました。
第4幕では、教会の場が街の場(兵士の合唱~決闘の場面)の後になっていました。この順番にすると、教会の場とその後のワルプルギスの場面のつながりがよくなる半面、その前のマルグリートの寝室の場の最後のマルグリートの「教会に行ってくる」という言葉と実際の教会の場面とが離れてしまうといった問題点もあり、この順番には、一長一短あると思います。
第5幕前半のワルプルギスの場面に挿入されたバレエ音楽は7曲中5曲。7曲あるバレエ音楽のうちの第5曲(トロイの踊りの曲)と第6曲(鏡の踊りの曲)は使用されませんでした(バレエ=NNIバレエアンサンブル、振付=伊藤範子)。
そのバレエ音楽の第2曲(アダージョ)では、マルグリートとファウストを表しているような男女2人の踊りが展開し、舞台左手前にマルグリートが現れてそれを見ているという演出。マルグリートは第4曲(クレオパトラの音楽)が始まると、一旦、退き、その第4曲では、第2曲でファウストとマルグリートを演じていた二人のダンサーが、今度は、剣を持って決闘。これは、ファウストとヴァランタンを表しているようで、今度は、舞台左手前にヴァランタンが現れてこの踊りを見るという演出、そして、舞台右手前では、ファウストとメフィストフェレス。第4曲の最後には、また、マルグリートが現れて、そのままバレエシーンの最後まで舞台に残り、ファウストが彼女の幻影を見る場面へつなげていました。
ラストの牢獄の場のラストでは、舞台右奥で合唱団員たちがマルグリートを囲んでの救済の合唱、ファウストとメフィストフェレスは左後方に引き下がっていました。
27日は、ファウスト役の村上敏明さんが不調でボロボロの状態でしたが、28日は、一転、ファウスト役の澤崎一了さん、マルグリート役の迫田美帆さん等が美声の競演で、素晴らしい舞台でした。
阿部加奈子さんの指揮は明解かつエネルギッシュ。例えば、第2幕のワルツが始まる部分などは、速めのテンポで軽快に演奏し、シーベルやマルグリートの登場場面ではテンポを落とし、ワルツ冒頭のメロディーの再登場とともに再びテンポアップという自然な緩急の変化を強調していました。そして、オーケストラに対してだけでなく、舞台上の歌手にも左手を高く上げて合図を送っていました。特に、歌手の歌い出しのタイミングでは、必ず、合図を出すという徹底ぶり。実に親切なオペラ指揮者だと思いました。プロンプターの役割までこなしているようでしたが、こうした指揮者の合図は歌手にはありがたかったかもしれません。振り方も大きく、さらに、全身でエネルギッシュに振り続けるので、演奏者にも歌手にもわかりやすいだろうと思います。実際、明解な音が鳴っていたと思います。こういう振り方は、よほどの体力がないとできないだろうと思います。そして、エネルギッシュと言っても、決して、大きい音量で押しまくるというわけではなく、例えば、第3幕後半のファウストとマルグリートの2重唱での「永遠に!」というハーモニーの部分など、実に繊細に微弱音を聴かせていました。
ラスト、牢獄の場の終盤では、メフィストフェレスがファウストを急がせる場面で速くなったテンポを、最後の最後で落として演奏しようという姿勢が見られ、27日の公演では、最後はかなりじっくりと聴かせるテンポになっていたのに対して、28日の公演では、27日の公演のときほどテンポが落ちなかったと思いますが、これは、28日の歌手陣が勢いづいていて、テンポを落とせなかったためではないかと感じました。というのは、指揮者がテンポを落とすはず、と思った瞬間、テンポの落ちない歌手の声と指揮者の指示通りにテンポを落とし始めたオーケストラの音が少しずれたように感じたのです。このまま指揮者が予定通りにさらにテンポを落とすと、歌手とのズレが修正できないかもしれないと感じた瞬間、指揮者がテンポを落とすのを止めて歌手の勢いに乗ることを選択したように感じました。これは、あくまでも、僕の印象ですが、前日の演奏が頭に残っていたので、そのように感じました。エネルギッシュであると同時に、指示が明解で冷静という印象なので、このようなとっさの判断もできそうな指揮者だというように聴いていて感じました。こんな完璧な仕事、いつでもできるというものでもないのではないかとも思ってしまうほど、見事な指揮ぶりだったと思います。今回、ほとんど指揮者の真後ろとも言えそうな座席が確保できたので、熱演を続ける指揮者ごしに歌手を見ていましたが、指揮者の後ろ姿を見ているだけで観客の自分が気合がはいってしまうほどだったので、演奏者と歌手は気合がはいって当然でしょう。すごい舞台を目撃してしまいました。

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〔1月28日、Xへの投稿〕
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1751583328472633375

〔ホームページのバレエ・オペラコーナー〕
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/swanlake.htm

〔日本オペラ振興会、24年藤原歌劇団「ファウスト」公式サイト〕
https://www.jof.or.jp/performance/2401-faust-tokyo

オペラ「修道女アンジェリカ」、ザルツブルク音楽祭映像と新国立劇場公演

10月1日、新国立劇場の「修道女アンジェリカ」(プッチーニ作曲、フォルツァーノ台本)と「子どもと魔法」(ラヴェル作曲、コレット台本)のオペラ2本立て上演を見たのを機に、昨年12月にNHKBSで放送された2022年ザルツブルク音楽祭の「修道女アンジェリカ」(クリストフ・ロイ演出、フランツ・ウェルザーメスト指揮、演奏はウィーン・フィル、アンジェリカ役はアスミク・グレゴリアン)の映像見返していたら、絶望に沈むアンジェリカへの修道女の台詞のところ、「長年の願いがようやくかないましたね」という不可解な字幕に気づきました(翻訳=森口いずみ、字幕=嶋田美樹)。対訳台本を入手して読んでみたら、とよしま洋さんの訳は「シスター、善良なシスター、聖母様は聞き届けられます、あなたは報われます」。原文には"sarete contenta"(満たされるでしょう)という未来形の字句がありました。放送の字幕は誤訳なのではないでしょうか?もちろん、この時点でのアンジェリカの願いは、天国で子どもに会うことだと思います。
対訳台本を入手したので、ラストの奇跡の場面のト書きも読んでみたところ、
「扉が開き、優しく、荘厳な聖母さまが現れる。彼女の前に白い衣装に包まれた金髪の子供が…」
昨年放送されたザルツブルク音楽祭の映像では聖母は登場しませんが子どもは登場してアンジェリカが抱擁する場面で幕となっていました。
一方、今月の新国立劇場での公演は聖母も子どもを登場しない演出でした。
パンフレットに「アンジェリカの死の瞬間に起こったのは、客席の私たちも共有できるような奇跡だったのでしょうか」という演出の粟国淳さんの文章が載っていますが、「それを見えるように表現するのが舞台芸術なのでは?」と反論したくなってしまいました。ザルツブルク音楽祭の映像では、子どもの登場場面が一番感動的で、これを生で見たかったので。
映像や配信音源等では、子どもの登場場面でのアンジェリカの「ああ!」という声も聴くことができますが、台本を見て、この声も台本に指示されていることがわかりました。配信音源を聴いていても、このラストのアンジェリカの「ああ!」という声を聴くと、彼女の死んだ子どもの登場が目に浮かぶようで、感動してしまいます。
今回の新国立劇場の公演で、この演目を初めて劇場で鑑賞できて、美しい音楽に感動しました。演奏もよかったと思います(沼尻竜典指揮、東京フィル、アンジェリカ役はキアーラ・イゾットン)。これまで、プッチーニのオペラというと「ラ・ボエーム」ばかり聴いていて、今年は、「ラ・ボエーム」ばかり、色々な演出、色々な指揮者、色々な歌手陣による舞台を、3月から7月にかけて5公演も見て、例えばパレルモ・マッシモ劇場日本公演のフランチェスコ・イヴァン・チャンパのゆったりしたテンポでじっくりと聴かせる指揮など(ミミ役のゲオルギューもよかった)に感動しましたが、「ラ・ボエーム」以外のプッチーニの作品も鑑賞できてよかったと思います。「ラ・ボエーム」などに比べると上演機会が少ない演目ですが、これも美しい作品だと感じました。

今回入手した「修道女アンジェリカ」対訳台本は訳=とよしま洋、発行=アラウ・マーニャ/イタリアオペラ出版です。

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〔北村正裕X〕
https://twitter.com/masahirokitamra

〔HP内のバレエ・オペラ鑑賞コーナー〕
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〔北村正裕ホームページ紹介サイト〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura

オペラ『ラ・ボエーム』原作の中のミミとロドルフ

プッチーニの名作オペラ『ラ・ボエーム』(台本=ジャコーザ、イッリカ、初演=1896年)の原作小説『ボヘミアン生活の情景』(原題="Scenes de la Vie de Boheme"、1851年)の日本語初の全訳本が、オペラと同じタイトルで、先月(2019年12月)出版され(辻村永樹訳、光文社古典新訳文庫)、ようやく、その全体を読むことができるようになり、読んで気づいたことをまとめて、1月10日にホームページに掲載しましたが、その1月10日の記事
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/boheme.htm
の一部を再構成して、要点を、こちら(このブログ)にも書いておきたいと思います。

オペラのミミ(ルチア)は原作のミミ(リュシル)+フランシーヌ
オペラの中のボエーム(放浪芸術家)4人組のひとりとしてのロドルフォの原型は原作のロドルフであり、ロドルフォの恋人としてのミミ(ルチア)の原型は原作のロドルフの恋人ミミ(リュシル)と言ってよいと思いますが、オペラの骨格をなすミミとロドルフォの出会いの物語の原型は、原作第十八話「フランシーヌのマフ」で語られるフランシーヌとジャックの物語です。つまり、オペラの中のミミ(ルチア)の原型は、原作のミミ(リュシル)とフランシーヌを合わせたキャラクターであり、同様の言い方をすれば、オペラのロドルフォの原型は、原作の中のロドルフとジャックを合わせたキャラクターであると言ってもよいと思います。特に、オペラの中での、ミミとロドルフォの出会いの場面は、原作の中でフランシーヌとジャックの出会いとして語られる物語そのものと言ってよいものです。また、オペラでは、ミミが、第1幕から咳をして、気分が悪くなるなど、ミミが結核にかかっていることが示唆されていますが、原作では、結核にかかっていると明示されているのはフランシーヌであり、原作の中のミミ(リュシル)のほうは、ポール子爵と別れてから急に体調を崩すことになっており、さらに、漂白剤を飲んでの自殺未遂で体調を悪化させて死にいたることになっていて、この点でも、オペラのミミは、原作のフランシーヌのほうに近いと言えると思います。さらに、原作の第二十二話の前半に、ミミを診察した医師とフランシーヌを看病した医師が同一人物であることが書かれていることを考えると、もともと、原作者が、ミミとフランシーヌを同じ人物と見ているようにも思えます。いわば、フランシーヌはミミ(リュシル)の分身ということなのではないでしょうか?
オペラの台本作者(ジャコーザとイッリカ)も、台本の序文で、「誰が、ミミとフランシーヌの横顔をただひとりの女性の繊細な横顔として重ね合わさずにいられようか?」(小瀬村幸子訳)と書いています。この台本序文は、小瀬村幸子訳による対訳台本(2006年、音楽之友社)に載っています。
辻村永樹訳による原作全訳本の「解説」によれば、作者のミュルジェール(1822~1861)には、リュシルという恋人がいたとのこと。1845年に友人たちとのピクニックで出会い、恋人になったものの、やがて、口論のすえに「自分と別れて別の男を探したらいいとリュシルに告げ、リュシルは去った」とのこと。さらに、「1847年の冬、リュシルはミュルジェールの許に戻ってきた。結核に侵されていた。貧しいミュルジェールは、日に日に弱っていくリュシルを見守ることしかできなかった」という。そして、1848年4月9日に病院で息をひきとったという。そういうことなら、小説の中のミミ(リュシル)とフランシーヌは、実在のリュシルの分身であり、小説のロドルフとジャックは、ミュルジェール自身の分身なのではないでしょうか?
ミュルジェールとリュシルが口論のすえに別れたことや、リュシルがミュルジェールの許に戻ってきたことは、小説のロドルフとミミに反映され、結核に倒れたリュシルは、小説のフランシーヌに反映されているのだと思います。
オペラでは、第3幕でのミミとロドルフォの別れの理由については、ロドルフォが病気のミミを自分では救えないという悩みをマルチェルロに打ち明けるところを聴いてしまったミミが別れを決断するということになっていて、これは、口論の末に別れるという原作のミミとロドルフの第十四話での別れ(そして、実在のリュシルとミュルジェールとの別れ)とは違っており、フランシーヌとジャックは、フランシーヌの死まで一緒に暮らしたことになっているので、こちらとも違います。しかし、プッチーニのセンチメンタルで美しい音楽の特徴を生かすためには、口論の末の別れとは違った別れの場面がどうしても必要だったのではないでしょうか?
プッチーニの音楽の魅力はミュルジェールの喜劇そのものとは違った特徴を持っているので、物語の「改変」は、ある程度はやむを得ないと思います。結果的に、プッチーニのオペラのおかげで、ミュルジェールの小説も、さらに読まれるようになったということは間違いないでしょう。

*GQJAPANの1月6日の記事
https://www.gqjapan.jp/culture/article/20200106-bohem
の中に、『ラ・ボエーム』の原作について、「オペラのようにドラマティックに出会ったのではない」とか「涙を誘う別れの場面もない」と書かれていますが、それは、あくまでも、原作の中の「ミミ」と「ロドルフ」の物語として書かれている部分に関することであって、原作第十九話「フランシーヌのマフ」には、フランシーヌとジャックの物語として、オペラの出会いと死別の場面の原型があります。

ショナール「オウム死ぬまで弾く」仕事の正体
オペラの第1幕では、音楽家ショナールが臨時収入を得て、それが、ボエームたちの貴重な飲食費になるわけですが、そのショナールが、臨時収入を得て、ボエームたちの部屋に戻ってきたとき、ショナールは、「レッスン」とか「オウム」とか、「死ぬまで弾く」と言った言葉で仕事を少しだけ仕事を説明しようとしましたが、ロドルフォたちは、ショナールが持ってきた食糧を食べ始めてしまって、ショナールの説明をきちんと聞こうとせず、結局、ショナールがやってきた仕事の内容は謎のままです。ところが、原作第十七話には、ショナールが引き受けた仕事の内容が詳しくかかれています。ひとりの英国人が、階下の住人のオウムがうるさいので殺してしまおうと考え、ショナールはパセリを食べさせる方法を提案したものの、英国人は、ショナールのピアノを聴かせ続ければストレスで死ぬと考え、ショナールにピアノを弾き続けるように頼み、成功したという話です。オペラでは、ショナールが、オウムにパセリを食べさせたという話をしおていますが、原作では、パセリを食べさせる提案は却下されていて、オウムは、ショナールのピアノの音のために死んだようです。これだけでも、充分、コメディのネタになりそうですが、ミュルジェールの喜劇と違って、感傷的で美しい音楽を生かすように作られたプッチーニのオペラでは、原作のコメディの要素は(あれでも)かなり削られているということがわかります。

転居を繰り返すロドルフ
プッチーニのオペラでは、4人のボエームは、最初から最後まで、同じ屋根裏部屋で共同生活をしていますが、原作では、そうではなく、例えば、ロドルフは、引っ越しを繰り返しています。ですから、彼らの大家も、原作では、複数登場しています。
原作第十九話では、マルセルの絵が売れたときの金でボエーム4人組がマルセルの部屋で盛大に飲食をする場面があり、大家がやってきてマルセルに家賃の支払いを求めるものの、ボエームたちは、大家に酒を飲ませて酔わせ、やがて、大家の浮気を聞きだし、「かような恥ずべき行いに加担することはできかねますな」と、大家を追い出してしまいます。これが、オペラ第1幕でのボエームたちと、大家ブノワとのやりとりの原型であることは明らかですが、原作では、ブノワという名前は、この場面でのマルセルの大家の名前ではなく、第十話で、ロドルフが家賃を滞納して追い出された屋根裏部屋の大家の名前がブノワです。このロドルフの住居は、第九話で、カルチェラタンのコントレスカルプ=サン=マルセル通りにあると書かれており、ロドルフが追い出された後、次に入居したのがミミということなっています。
なお、原作では、カフェ「モミュス」は、カルチェラタンではなく、サン=ジェルマン=ロクセロワ通りにあることになっていて、地図を見ると、現在、ルーブル美術館のすぐ東側にサン=ジェルマン=ロクセロワ教会があります。

*2006年に音楽之友社から出版されたオペラ『ラ・ボエーム』の対訳台本のP.35には、家主ベノワに関する註として、「原作にベノワにそのままあたる名はない」と書かれていますが、原作の全訳を読んでみると、上記の通り、第十話で、ロドルフが家賃滞納で追い出された住居の家主の名がブノワとなっています。

〔当ブログの中の関連記事等〕
プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』のCDの中でも特に気に入っているレヴァイン指揮、ナショナル・フィルによる1980年録音の音源のCDについて、2008年1月1日の記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/51606159.html
に書いてあります。
このオペラは、日本でも上演機会が多く、これまでにも、いくつもの舞台を見てきましたが、中でも、特に印象的だった舞台の一つ、2011年6月に、NHKホールで行われた、ファビオ・ルイージ指揮にメトロポリタン歌劇場日本公演について、2011年6月26日の記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52102430.html
に書いてあります。
そのメトロポリタン・オペラの日本公演でミミを歌ったバルバラ・フリットリがミミを歌っている1999年録音のズービン・メータ指揮、イスラエル・フィルによるCDも、とてもよいCDで、上記のレヴァイン盤同様に気に入っているCDです。このメータ盤のCDでは、ムゼッタをエヴァ・メイが歌っていて、第2幕の「ムゼッタのワルツ」とも呼ばれるアリア「私が街を歩けば」で、すばらしい歌唱を聴くことができます。このアリアは、一流歌手でも、高音部が叫び声になってしまいがちな難しいアリアですが、このCDで聴くことができる、エヴァ・メイの歌唱では、高音部でも美しさが保たれていて、このアリアの歌唱としても最高傑作歌唱の一つではないかと思います。
今回の記事の中で、第十話でロドルフが家賃滞納で家主のブノワにカルチェラタンのコントレスカルプ=サン=マルセル通りにあった住居から追い出され、その後に入居したのがミミであったということになっていることも紹介しましたが、2015年3月に、パリ・オペラ座(バスティーユ)で上演されたミシェル・プラッソン指揮によるオペラ『ファウスト』(グノー作曲)を見にいったときに、公演の前日に、『ラ・ボエーム』の重要な舞台のひとつになっているカルチェラタンを散策し、コントレスカルプ広場で撮った写真などを、2015年3月11日の記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52360053.html
の中に載せています。

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パリ・カルチェラタン・コントレスカルプ広場、2015年3月8日撮影。
(『ラ・ボエーム』原作では、ロドルフが、家賃滞納のため、、コントレスカルプ=サン=マルセル通りにあった住居から、家主ブノワに追い出され、その次の入居人がミミということになっている)

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パリ・カルチェラタン・ムスタール通り、2015年3月8日撮影。

*2020年1月下旬に、新国立劇場で、『ラ・ボエーム』が上演されることになっており、これも楽しみです。新国立劇場のページ
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/laboheme/
に情報が載っています。

【2020. 1.12追記】
2019年12月発行の『ラ・ボエーム』(ミュルジェール作、辻村永樹訳、光文社古典新訳文庫)は、本体価格\1,600です。
Amazonのページ
https://www.amazon.co.jp/dp/4334754163/
などをご参照ください。

【2020. 1.25追記】
光文社古典新訳文庫さんの1月24日のツイート
https://twitter.com/kotensinyaku/status/1220542493764333569
に、関連情報があります。

【2020. 1.28追記】
1月26日のツイート
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1221412596684918784
に、26日の新国立劇場での公演の感想を簡単に書いておきました。ゆったりとしたテンポでじっくり聴かせるカリニャーニの指揮、高音部まで綺麗に歌える辻井亜季穂のムゼッタが見事でした。管弦楽は東京交響楽団。他に、ニーノ・マチャイゼ(ミミ)、マッテオ・リッピ(ロドルフォ)等が出演しています。

パリのパロディ満載の英国ロイヤル・オペラ、マクヴィカー演出「ファウスト」、2019年日本上陸

英国ロイヤル・オペラの2019年9月の日本公演でマクヴィカー演出の「ファウスト」(グノー作曲)がアントニオ・パッパーノの指揮で上演される予定と発表されていますが、2010年にヨーロッパで限定発売されたライブ映像(ワーナーレーベル、指揮=パッパーノ、、出演=アラーニャ、ゲオルギュー他、収録は2004年)のDVDを見ると、この英国ロイヤル・オペラのマクヴィガー演出の「ファウスト」には、このオペラを最も多く上演しているパリ・オペラ座、そして、パリという街そのもののパロディが満載です。そして、このユニークな演出を理解するためには、それなりの予備知識が必要だと思われるので、このDVDの映像を少し紹介しながら、自分なりの解説(演出についての解釈)を書いておきます。なお、このDVDは、限定盤で、既に在庫切れの店も多いと思いますが、一部のネットショップでは、まだ、入手可能のようです。「FAUST PAPPANO DVD」で検索すると見つかると思います。英語、ドイツ語、フランス語の作品解説のブックレットがついていますが、日本語解説や字幕はついていません。

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英国ロイヤル・オペラ「ファウスト」(2010年発売)のDVDジャケット画像

まず、第1幕のファウスト博士の書斎の場で、左奥のカーテンが、パリ・オペラ座(ガルニエ宮)の緞帳と同じ特徴あるデザイン。悪魔メフィストフェレスがファウストにマルガレーテの幻影を見せるシーンでは、この緞帳が上がってその奥からマルガレーテが登場するという演出。マルガレーテが、パリ・オペラ座で上演される舞台の虚構の存在であることを強調するような演出です。

パリ・オペラ座(ガルニエ宮)の緞帳は、とても特徴があるため、ひと目見れば、それとわかるものですが、ご覧になったことがない方は、ネット上にある写真をご覧になっておくとよいと思います。
パリの旅行案内のウェブサイトなどに載っていることがあり、例えば、現在、USNewsというウェブサイトのパリ旅行のページ
https://travel.usnews.com/Paris_France/Things_To_Do/Palais_Garnier_Opera_National_de_Paris_24221/
で見ることができます。

第2幕の広場のシーンは、何と、「キャバレー・アンフェール(CABARET L`ENFER)」。台本では純朴なイメージのマルガレーテが、祭りの広場でファウストと会うことになっていますが、マクヴィガー演出では、マルガレーテは、このキャバレーで、客としてやって来たファウストに出逢うということになっています。「アンフェール(ENFER)」は、地獄という意味なので、このキャバレーの名を直訳すれば「キャバレー・地獄」ということになりますが、「アンフェール(ENFER)」は、パリの実在の地名です。オペラファンであれば、誰もが知っていると言ってもよいパリを舞台にしたプッチーニの名作「ラ・ボエーム」第3幕の舞台がアンフェールの税関((LA BARRIERA D`ENFER)という設定になっています。現在ではアンフェールの税関は、もう、なくなっていますが、ダンフェール広場(Place Denfert Rochereau)という名の広場があり、小瀬村幸子訳による「ラ・ボエーム」の対訳本(2006年、音楽の友社)P.123によると、この広場が、アンフェールの税関があった場所だとのことです。「

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NBSの宣伝パンフ「NBS News」Vol.356の第1面に掲載されたマクヴィガー演出「ファウスト」第2幕の舞台写真

第5幕前半のワルプルギスの場では、舞台上で魔女たちがバレエの衣装で踊るシーンがありますが、この場面の演出は、舞台美術も含めて、完全に、パリ生まれの代表的ロマンティック・バレエの名作「ジゼル」(初演=1841年、作曲=アダン)第2幕のパロディ。しかも、その舞台美術の紗幕が下りてくる前、舞台の奥に見えているのは、パリ・オペラ座(ガルニエ宮)の客席側を模した舞台美術。パリ・オペラ座・ガルニエ宮は、天井のシャンデリアやシャガールによる天井画など、豪華な建築作品としても有名です。
第1幕とは逆に、客席側が舞台という演出になりますが、舞台上のダンサーは、まるで、観客のように笑い声をあげる場面が何度かあります。いつのまにか、観客が虚構の世界にいるというようにも解釈できるかもしれません。そして、このことは、ラストが、ファウストの夢落ち的な演出になっていることにもつながっているようにも思えるのですが、ワルプルギスの場の演出が、バレエ「ジゼル」第2幕のパロディになっていることの説明を少し書いておかなければいけません。
バレエ「ジゼル」のヒロイン、ジゼルは、恋人のアルブレヒト(アルベルトと呼ぶプロダクションもあります)に裏切られたショックで第1幕で命を落とし、第2幕では、ウィリという、いわば、幽霊となって、墓のある森の中に登場します。ウィリたちは、みな、結婚前に命を落とした女性たちです。そして、ミルタというウィリの長の指示で、森にやってくる男を沼に落として命を奪うのです。そして、ジゼルに想いを寄せていた森番のヒラリオン(ハンスと呼ぶプロダクションもあります)がジゼルへの想いからジゼルの墓のある森にやって来たところを捕まえて、実際に沼に落としてしまいます。
ジゼルの墓は、台本(福田一雄著「バレエの情景」-1984年、音楽の友社-に収録されたもの)では、「下手の糸杉の下に白い大理石の十字架があり、ジゼルという名前がきざんであり」とあり、舞台の左手という位置や、十字架の形という設定は、今でも多くのバレエ団が引き継いでいます。

現在、INDEPENDENTのサイトのページ
https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/reviews/giselle-royal-opera-house-marianela-nu-ez-a8172791.html
で、英国ロイヤルバレエによる「ジゼル」第2幕で十字架の形の墓の前でジゼルが踊るシーンの写真を見ることができます(写真右はアルブレヒト)。

マクヴィカー演出の「ファウスト」第5幕前半では、これを模した舞台美術の前で、ウィリのパロディと思われるダンサーたちが踊ります。
ジゼルのパロディとしてのマルガレーテが、身ごもった姿で現れ、他のウィリたちが、彼女にあざけりの笑いを浴びせ、それを見るファウストは、頭をかかえて苦悩します。また、左手には、パリ・オペラ座のバルコニー席を模したと思われる客席まで設けられていて、そこの「観客」と舞台上でダンサーに鞭をふるう男が、かつて、娼婦同然の身分だったダンサーの歴史を思わせ、それが、マルガレーテの悲劇に重ねられているように見えます。

このように見ていくと、一見、過激な演出も、決して、ただ、ふざけているだけというわけではなく、第1幕から終幕まで、一貫性があり、演出家の意図が見えてきます。しかし、パリ・オペラ座(ガルニエ宮)の緞帳や客席天井の特徴、アンフェール(ENFER)という地名、そして、バレエ「ジゼル」の舞台などについての知識がないと、この演出の面白さが理解できないと思うので、今回、日本公演が行われる年の初めにあたって、このようなブログ記事を書くことにしたという次第です。9月の日本公演をご覧になる方々の参考になればさいわいです。

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-1990年にパリで購入したパリ・オペラ座(ガルニエ宮)の客席ホールの絵はがき-

ワルプルギスの場の演出に戻って、ウィリたちが捕えるのは、ヒラリオンではなく、何と、血まみれのバレンティン(マルガレーテの兄)。そして、ウィリたちは、前の幕でファウストとの決闘で刺されたバレンティンに決闘の剣を突き付けて、嘲笑のような笑い声を浴びせます。
ワルプルギスの場には、1868年にパリ・オペラ座での上演のために追加作曲されたバレエ音楽7曲が、パリ・オペラ座以外での上演でも挿入されることがありますが、このマクヴィガー演出もそのひとつ。2015年のパリ・オペラ座・バスティーユでのヴェスペリーニの新演出では、ここのバレエ音楽のうち、使用されたのは、第7曲だけでしたが、パリのパロディを全面に出すマクヴィカー演出では、7曲中5曲を使用しています。なお、1858年にパリのテアトル・リリックで初演された当時のオペラ「ファウスト」は、ワルプルギスのバレエ音楽がなかっただけでなく、今日上演されているものとは、かなりの違いがあったようです。これについては、「オペラ「ファウスト」(グノー作曲)の音楽改訂の経緯などについて」のページ
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/faust.htm
をご参照ください。

このようなパロディ満載のユニークな演出に引っ張られたためか、パッパーノの指揮が、気合ははいっているものの、彼本来の抒情性を欠いているように感じる演奏になってしまっていることろがあり、ラストのマルガレーテ、ファウスト、メフィストの三重唱は、テンポが速すぎて、作品の味を十分に出せていないように感じてしまうのですが、同じ演出で上演されたベニーニ指揮による演奏の録音がNHK-FMで放送されたときにも、同じ場面の演奏が淡泊な感じがしました。ですが、パッパーノは、2012年のドヴォルザークの交響曲「新世界より」のライブ録音などで、その抒情性豊かな演奏の実力は実証済みの指揮者ですから、2019年の日本公演では、2010年発売のDVD(2004年ライブ映像)とは違った抒情性を感じさせる演奏を期待したいと思います。会場として予定されている東京文化会館大ホールにはパイプオルガンがなく、電子オルガン、PA装置を使うことになるのでしょうし、このことが、日本でのこの演目の本格上演を阻んでいる最大の要因ではないかと思うのですが、それでも、一流指揮者による貴重な日本公演になることでしょう。

ラストで、メフィストフェレスが天使に合図をして、ゆっくり地下に沈んで去っていくというシーンは、最後に現れる書斎のファウスト以外がすべて劇中劇、ファウストの夢想であることを示唆していうるように思えます。怯えたようなファウスト。それをどう解釈するかは、観客にゆだねられているのでしょう。

日本公演の前の2019年4月には、現地、英国ロイヤルオペラハウスで、同演目が、ダン・エッティンガー指揮、ファビアーノ、ダムラウ他の出演で上演されるようで、その最新映像が、6月14日から6月20日まで、シネマ上映されるようですので、2010年発売のDVDが手に入らないという方や、日本語字幕付きの映像で「ファウスト」のマクヴィカー演出を見ておきたいという方には、こちらのシネマ上映をご覧になるのもよいかもしれません。

いずれにしても、9月には、いよいよ、日本公演です。グリゴーロ、ヨンチェヴァ他の出演が発表されています。

なお、2015年にパリ・オペラ座・バスティーユで上演されたヴェスペリーニによる新演出の「ファウスト」については、ホームページの中のページ
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/faust-paris2015.htm
と、ブログ記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52361739.html
をご参照ください。

〔ホームページ内のバレエ・オペラコーナー〕
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/swanlake.htm

〔NBSによる日本公演チケット情報のツイート〕
https://twitter.com/NBS_opera/status/1078634775672279041

〔パッパーノ関連のツイート〕
https://twitter.com/masahirokitamra/status/987551212286369792

〔英国ロイヤル・オペラ・ハウス・シネマの公式サイト〕
http://tohotowa.co.jp/roh/

〔北村正裕ホームページ紹介サイト〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura

【19.3.10追記】
英国ロイヤルオペラ日本公演「ファウスト」の配役のうち、マルガレーテ役は、当初の予定のヨンチェヴァからウィリス=ソレンセンに変更になったとのこと、NBSから発表されています。

【19. 5.12追記】
19年春のエッティンガー指揮による英国ロイヤル・オペラ「ファウスト」の公演の映像の英国でのシネマ上映の情報がロイヤル・オペラハウスのHPの中のページ
https://www.roh.org.uk/showings/faust-live-2019
に掲載され、それによると、マルグリート役には、当初予定のダムラウではなく、ルングが出演したようです。

【2019. 6.15追記】昨日(14日)、エッティンガー指揮による最新映像(4/30のロイヤルオペラハウスでの公演の映像)のシネマ上映見てきました。エッティンガーの指揮は、弱音も美しく響かせる一方、大胆な緩急で迫力も感じるものでしたが、最後の三重唱は、もっとゆっくり演奏して欲しいと感じました(これは、2010年発売(2004年収録)の映像のパッパーノの指揮についても言えることですが)。9月の日本公演でのパッパーノの指揮がどうなるか、注目したいところです。今回の映像では、「この清らかな住まい」の最高音をファビアーノが弱音で歌っていたのが印象的でした。G..Shirmer版のボーカルスコアを見ると、この部分、強弱の指定はありません。強く歌われることが多いと思いますが、弱音が得意な歌手であれば、今回のように歌うのもいいアイデアかもしれないと思いました。2010年発売(2004年収録)の映像でのアラーニャは、この部分、強く歌っています。
今回の映像上映は、13日から一週間です。6月7日のツイート
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1136918207925587968
など、ツイッター
https://twitter.com/masahirokitamra
に関連情報があります。また、9月の日本公演の情報は、NBSのページ
https://www.nbs.or.jp/stages/2019/roh/index.html
にあります。

【2019. 6.16追記】
3/10のツイート
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1104660237129138176
や6/7のツイートで、2010年発売DVDの映像を「2010年の映像」と書いてしまいましたが、収録は2004年なので、「2004年の映像」と書くべきでした。先ほど、訂正のためのツイートしました。URLは
https://twitter.com/masahirokitamra/status/1140138809163517952
です。

【19. 9.23追記】9月22日、神奈川県民ホールでの、英国ロイヤル・オペラ「ファウスト」公演見てきました。パッパーノの指揮は、2004年のライブ映像の演奏に比べて、ずっと、好感の持てるものでした。ラストの三重唱は、まだ、速いですが、それでも、2004年のライブ映像の演奏に比べると、ほんの少し、テンポを落としていて、その「少し」の違いは、聴き手にとっては大きな違いで、今回のほうが、ずっと味わえるものでした。「体調不良」のグリゴーロにかわってファウスト役で出演したワシリエフは、緊急出演ということを感じさせない健闘。第3幕終盤のマルグリート役のウィリス=ソレンセンとの二重唱はとても美しく聞こえました。また、ウィリス=ソレンセンは、歌唱だけでなく、第5幕後半の牢獄の場での演技も見事でした。正気を失い、「初めてファウストと出会った場所だ」と歌うシーンでは、感激の吐息が客席にはっきり聞こえてきていました。演出については、すでに、2004年の映像について、1月に書いた通りですが、生で見ると、ものすごい迫力でした。全体をパリオペラ座ガルニエ宮での劇でありファウストの夢想でもあるように見せる演出ですが、それが救いのようにさえ感じます。マルグリートを追い詰める教会シーンやバレエ「ジゼル」のパロディが演じられるワルプルギスのバレエシーンなど、あまりにも生々しく残酷なので。
ところで、来年2月に、パリ・オペラ座バレエ団の「ジゼル」の日本公演が予定されています。今回のマクヴィカー版「ファウスト」でパロディが演じられたパリオペラ座の「ジゼル」。本家の本物の日本公演は、今回の「ファウスト」を見た人なら、バレエファンでなくても興味深いものとなるでしょう。
その来年2月のパリ・オペラ座バレエ団の日本公演の宣伝パンフレットには、上記1月1日記事で、マクヴィカー版「ファウスト」に関連して言及した特徴あるパリオペラ座ガルニエ宮のどん帳の写真などが載っています。

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パリオペラ座バレエ20年日本公演宣伝パンフ
(マクヴィカー版「ファウスト」で登場したパリオペラ座ガルニエ宮の緞帳の写真が載っています)


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パリオペラ座バレエ20年日本公演宣伝パンフより
(バレエ「ジゼル」第2幕の舞台写真が載っています)


パリ・オペラ座、新演出「ファウスト」の舞台写真の情報

先日の記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52360053.html
で、パリ・オペラ座でのグノーの「ファウスト」の公演を見てきたことを書きましたが、
"Diapason"の3月6日の記事
http://www.diapasonmag.fr/actualites/critiques/opera-de-paris-faust-sombre-dans-l-ennui
に、先日のパリ・オペラ座のヴェスペリーニ(Vesperini)新演出「ファウスト」の舞台写真がいくつか掲載されています。

掲載されている写真の場面は、
0 ワルプルギスの夜の場でメフィストと魔女たちに囲まれるファウスト(第5幕前半)
1 街の広場で折られた剣を逆さに持って十字架を作りメフィストを退けようとするヴァレンティン(第2幕)
2 街の広場でマルガレーテの分身たちが現れて踊るシーン(第2幕)
3 去ってしまったファウストを想って沈み込むマルガレーテ(第4幕序盤)
4 ワルプルギスの夜の場で魔女たちに囲まれるファウスト(第5幕前半)
5 牢の中で倒れているマルガレーテを助け出そうとやってくるファウスト(第5幕後半)
6 黄昏色の背景の中に消えていくマルガレーテと冒頭の書斎でのファウストの回りにマルガレーテの分身たちが寄り添っている姿が現れるラストシーン(第5幕ラスト)
7 メフィストフェレスの登場シーン(第1幕)
8 メフィストの「金の子牛の歌」のシーン(第2幕)
9 街の広場のバーのカウンター前に集う群集(第2幕)

例えば、「6 (第5幕ラスト)」の写真のページのURLは
http://www.diapasonmag.fr/actualites/critiques/opera-de-paris-faust-sombre-dans-l-ennui/(offset)/6#content-anchor
です。

これらの写真は、新演出初日(3日)の舞台か、新演出2日めにあたる3月5日の舞台またはリハーサルで撮影されたものと思われます。

このほか、パリ・オペラ座公式facebookページ
https://www.facebook.com/operadeparis
でも、いくつかの舞台写真が公開されています。
また、パリ・オペラ座ホームページの中の「ファウスト(2014-2015)」のページ
http://www.operadeparis.fr/saison-2014-2015/opera/faust-gounod?genre=1
には、現在、ラストシーンの画像が使われているようですが、これは、実際の舞台と比べて左右が逆になっているので、リハーサル段階での写真ではないかと思います。

僕が見たのは新演出3日めにあたる3月9日の公演で、その観劇レポートは、HPの中のページ
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/faust-paris2015.htm
に掲載しています。


【追記】2016年2月11日移転後のホームページ新URLは
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/
15年3月パリオペラ座観劇レポートのページの新URLは
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/faust-paris2015.htmhttp://masahirokitamura.my.coocan.jp/faust-paris2015.htm
です。

パリ・オペラ座でグノーの「ファウスト」観劇

パリ・オペラ座(バスティーユ)で3月9日夜にミシェル・プラッソンの指揮により上演されたグノー作曲のオペラ「ファウスト」の公演を見てきました。

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パリ・オペラ座・バスティーユ(クリックで拡大できます)

本日、帰国したばかりなので、観劇レポートは、後日、ホームページの観劇レポートのページ
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/faust-paris2015.htm
に掲載することにして、今日のところは、観劇前日と当日朝のパリ散策について記しておきます。

パリ到着は7日夕刻。パリ・リヨン駅にあるホテルに宿泊し、8日は、徒歩で パリ・カルチェラタン(ラテン区)を散策。この地区は、プッチーニ作曲のオペラ「ラ・ボエーム」第2幕の舞台となった地域。

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3月8日、パリ・カルチェラタン・コントレスカルプ広場で、デジタルカメラで自分撮り(クリックで拡大できます)

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その名も「カルチェラタン」というカフェをバックにタブレット端末で自分撮り(クリックで拡大できます)

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パリ・リヨンからバスティーユを通り、アンリ4世通りを通ってカルチェラタンへ行く途中セーヌ川を渡る橋の上から見えるノートルダム寺院(クリックで拡大できます)

9日朝には、地下鉄を使って、 サン・トゥシュタッシュ教会の外観を見て来ました。

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3月9日、朝、サントゥスタッシュ教会をバックにタブレット端末で自分撮り(クリックで拡大できます)

この教会は、グノーが、まだ無名だったころに合唱隊の隊長をしていたという教会。グノーが隊長だったときに、後の大画家、ピエール・オーギュスト・ルノワール少年が入団し、グノーの指導を受けたということです。映画監督のジャン・ルノワールの著書『わが父 ルノワール』(粟津則雄訳、みすず書房)に、画家ルノワールから聞いた話としてこのことが書かれています。この本には、「彼(グノー)はルノワールが大歌手になることに何の疑いももたなかった」と、ある一方、(ルノワールは)「人前に出るのが嫌いだった」とも書かれています。こういうことの紹介は、旅行用のガイドブックでは見当たりません。

ホテルに戻って休憩後、夜、いよいよ、プラッソン指揮によるパリ・オペラ座(バスティーユ)でのグノー作曲「ファウスト」の公演を見に、ホテルから徒歩10分程度の劇場へ。
上記の通り、この公演の観劇レポートは、後日、ホームページの観劇レポートのページ
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/faust-paris2015.htm
に掲載する予定です。

【追記】2016年2月11日移転後のホームページ新URLは
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/
15年3月パリオペラ座観劇レポートのページの新URLは
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/faust-paris2015.htm
です。


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公演当日、会場で配布されたキャスト表。予告通りですが、改めて、すごいキャスト!(クリックで拡大できます)

ルイジ、フリットリ好演(メトの『ボエーム』)

指揮者のレヴァインが体調不良で来日できなくなってしまったメトロポリタン・オペラの『ラ・ボエーム』は、代役指揮者のファビオ・ルイジのゆったりとしたテンポの丁寧で抒情的な演奏などで、期待以上の素晴らしい舞台だったと思います。僕が見たのは6月11日(土)と19日(日)の公演ですが、歌手では、ミミ役のフリットリのやわらかい美声が、昨年のトリノ王立歌劇場日本公演の『ボエーム』のきと同様に圧巻。また、ムゼッタ役のフィリップス、マルチェルロ役のグヴィエチェン、ロドルフォ役のベチャワ(11日)、アルバレス(19日)と、主要メンバーがみな好調で、さすがメトという感じでした。今回は、原発事故の影響を懸念する歌手たちが何人も出演を取りやめたために、当初の予定とは、かなりキャストが変わり、フリットリは当初の予定では他の演目に出る予定からの変更でしたし、アルバレスなどは、直前に来日が決まったようですが、これまた昨年のトリノ王立歌劇場日本公演の『ボエーム』のときと同様に、フリットリとの名コンビで、美声を披露してくれました。
最終日の19日夜の公演終了後のカーテンコールでは、再び幕が開いた後、フリットリたちが、プロンプターボックスからプロンプターを舞台に引っ張り上げてしまうなど、達成感を発散させるカーテンコールでした。
なお、ネット上の一部で、拍手のフライングについて話題になっているようですが、今回、11日の公演では、第3幕開幕時に、「拍手は音が完全にとまってからお願いします」というアナウンスがありました。その効果もあってか、後半は、フライングの拍手はありませんでした。ルイジのような丁寧な演奏をじっくりきいていると、この曲が、細部にいたるまで、ほんとうに、よく精密に作られていることに、あらためて気付かされます。

[他のブログ記事の紹介]

「クラシック音楽、オペラの道を究める」というブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/hrs3927513/28856934.html
に、6月8日の公演の記事があります。

「ネコにオペラ」というブログ
http://kametaro07.blog.so-net.ne.jp/2011-06-23
に6月19日の公演の記事があります。

レヴァイン来日見合わせ、残念!

来月のメトロポリタン・オペラの日本公演。レヴァイン指揮の「ラ・ボエーム」(プッチーニ作曲)を楽しみにしていたのですが、昨日の朝日新聞夕刊に、「ジェームズ・レバインが療養のため来日を見合わせることになった」との小さな記事が。ああ、残念。僕は、「ボエーム」の全曲盤CDは、現在、5種類持っていますが、名盤の誉れ高いものが色々ある中で、レヴァイン指揮のものが特に気に入っていて、そのことは、かなり前に、このブログの記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/51606159.html
にも書きましたが、今回、レヴァイン指揮の「ボエーム」の生の舞台が見られることを楽しみにしていたので、来日見合わせは残念です。代役は、ファビオ・ルイジとのこと。こうなったからには、ルイージに期待しましょう。

[関連ブログ記事]
★めぐみさんが帰ってくるまで★頑張らなくちゃ
というブログの5月7日の記事
http://blogs.yahoo.co.jp/takashidoing0826/60482672.html

「杏村からからのカワセミ寅次郎」
というブログの5月7日の記事
http://blogs.yahoo.co.jp/kogarasitorazirou19751015/38326820.html

新国立劇場10/11シーズンに「トリスタンとイゾルデ」登場

「指環」(トーキョーリング)再演で、いわばお預けになっていたワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」が、2010年12月?2011年1月に、「指揮:大野和士、演出:デイヴィッド・マクヴィカー」で、ついに、新国立劇場に登場するとのこと。
日程などは、新国立劇場のHPの
http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20000882.html
などに掲載されています。
音響のよいこの劇場での「トリスタン」、今から楽しみです。
その「トリスタン」は、まだ、一年後ですが、来年は、同劇場で、今年春から始まっている「ニーベルングの指環」再演の後半2演目が2月、3月にあるので、こちらも楽しみです。再演を担当している指揮者のエッティンガーが、初演のときのメルクルに劣らず、いい音を出していて、特に、今年4月の「ワルキューレ」が、初演時以上に感動的だったので、後半2作にも期待しています。

来シーズンの「トリスタン」を振る大野和士については、僕は、かなり前の二期会公演での「ラインの黄金」と「ワルキューレ」以来で、最近の演奏を聴いていませんが、ヨーロッパでかなり活躍しているようですね。

「ちょこっと劇場へ行ってきます」
というブログの
http://miya810.blog102.fc2.com/blog-entry-767.html

「本と音楽のクロスオーバー」
というブログの
http://kkana.exblog.jp/11508330/
などに、早くも、大野指揮の「トリスタン」に期待する記事が出ています。

パリ国立オペラ、セラーズ演出「トリスタンとイゾルデ」東京公演

先日、7月31日、東京・渋谷のオーチャドホールで、パリ国立オペラ(パリオペラ座)初来日公演最終日の「トリスタンとイゾルデ」(セラーズ演出、ヴィオラ映像、インガルス照明、ビシュコフ指揮)の公演を見てきました。
この公演は、映像を使った斬新な演出ということで話題になっていて、その映像については、すでに、紹介記事がネット上にもでているようなので、ここでは、あえて、それ以外の部分で注目に値すると感じた点を中心に、いくつか、気づいたことを書いておきます。
まず、演出で、一番、注目に値すると感じたのは、第1幕のラストで、トリスタンが、「欺まんに満ちた栄光よ!」と歌う場面で、客席がうっすらと明るくなり、幕切れとともに、その明かりが、舞台の明かりとともに消えるという演出です。ここでは、一瞬、客席そのものが、舞台の一部となり、「欺まんに満ちた栄光よ!」というトリスタンの台詞が観客に向けられるという、いわば、挑戦的な演出になっていました。映像が目立ちすぎて、こういう演出があまり注目されていないもしれませんが、僕は、この演出を、映像以上に挑戦的な演出だと感じました。
次に、第2幕でブランゲーネが歌う警告の歌ですが、通常、舞台裏や物陰で歌われるこの歌を、今回、ブランゲーネ役のグバノヴァは、オーチャードホールの客席側の左の壁の上方にあるバルコニーでこれを歌っていました。このため、この美しい歌が、客席全体に響き渡り、音響の面でとてもよい効果を上げていたと思います。歌手のグバノヴァも、気品のある美しい声で、今回の歌手陣の中で、一番よい出来だったのではないかと思います。そして、この場面、舞台背景には、森の木々の上に輝く月が映し出されていましたが、舞台の上では、照明が暗くなり、横たわるトリスタンとイゾルデの左手から、ふたりの男(マルケ王とメロートか)が近づいてきて、ふたりをのぞき込むという演出になっているのですが、これは、ブランゲーネの心の中の世界なのかもしれません。オーチャードホールの客席上方のバルコニーのような造形物は、これまで、単なる飾りだと思っていたのですが、こんな使い方があったとは!パリのバスッティーユ劇場で上演するときには、どのようにしているのでしょうか?僕は、パリ・ガルニエ宮(旧オペラ座)では、バレエ公演を見たことがありますが、新オペラ座(バスティーユ劇場)での観劇経験がないので、バスティーユ劇場の客席部分の構造がわかりませんが、もしかしたら、オーチャードホールの方が、本拠地よりも、今回の演出に向いていたのではないでしょうか?その他、水夫や舵取りが2階席で歌ったり、管楽器の一部が2階席や3階席で演奏して、立体音を出していましたが、これらは、特に驚くような仕掛けではないでしょう。かつて、東京文化会館でティーレマンが「ローエングリン」を指揮したときには、第3幕での国王出陣の音楽のときに、金管楽器が、4階席で演奏していましたが、こうした客席での演奏は、珍しくはないようです。
音楽面では、ブランゲーネ役のグバノヴァがよかったということは、今、書いた通りですが、それに対して、トリスタン役のフォービスは、声量不足が否めず、余裕のない歌唱になってしまって、音楽の味を充分に出し切れていなかったと感じました。イゾルデ役のウルマーナは、特に悪いところはないと思いましたが、ラストの「愛の死」では、充分に音楽の味を出し切れていなかったと感じました。しかし、その原因は、ウルマーナの歌唱ではなく、ビシュコフの指揮にあるように感じました。というのは、この「愛の死」の場面で、ビシュコフのテンポが速くなり、また、オーケストラの音量をかなり上げてしまったのです。これでは、歌手がじっくりと歌おうとしても、無理ではないかと感じました。というわけで、ここは、昨年のバレンボイム指揮による公演でのマイヤーの歌唱などには及ばなかったというのが、僕の感想です。

なお、東京公演より先に行われた兵庫公演の感想記事が、
「無弦庵」というブログの
http://mu-gen-an.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_5152.html
や、
「オペラの夜」というブログの
http://blog.goo.ne.jp/operanoyoru/e/97b4344f36afce263b263c05dcd344bf
にあります。
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