北村正裕BLOG

【北村正裕のナンセンスダイアリー】童話作家&シンガーソングライター、北村正裕のブログです。 トラックバック送信のさいには、当ブログ該当記事へのリンクをお願いします。また、コメントは投稿できない設定になっています。 執筆情報用ホームページ(童話作家・北村正裕のナンセンスの部屋) http://masahirokitamura.my.coocan.jp/ と、音楽情報用HP(北村正裕アート空間) http://masahirokitamura.art.coocan.jp/ もよろしく。 ツイッターアカウントは「@masahirokitamra」です。

絵本

NHKドラマ『戦艦武蔵』に絵本『はなのすきなうし』が登場

9月3日にNHK総合テレビで放送されたドラマ『戦艦武蔵』に、絵本『はなのすきなうし』(マンロー・リーフ作)が登場してびっくり!
「NHKスペシャル」のひとつとしての放送でしたが、先に、BSプレミアムで放送されたものを再編集したもののようです。
この絵本『はなのすきなうし』、こどものころ、今は亡き母が買ってくれた絵本のひとつで、僕よりも母が気に入っていた本なのです。あるとき、他の本をどこかに寄贈したときにも、この本だけは、母の独断で残していたくらいです。
ドラマ『戦艦武蔵』の中では、戦死直前の兵士が、この絵本の原書"The Story of Ferdinand"について語り、闘牛を目指す牛たちに対する「しかし、フェルジナンドは違った(But not Ferdinand)」が繰り返し語られていました。
少し前、このブログの7月の記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52398364.html
で紹介したように、今年の7月に、エッセイ『歌う童話作家のC型肝炎闘病二十年』
https://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B01IJTYWYI/
をKindle版で電子出版し、その中で、C型肝炎で亡くなった母に関連して、母から聞いた山の手空襲の体験談を書いたばかりだったこともあり、この絵本への母の思いが、もしかしたら、母の戦争体験と関係があるのではないかと、はじめて感じました。もちろん、この本は、いわゆる反戦文学というものとは違うように思います。むしろ、マイペースへの愛を感じさせるものですが、平和への希求の心も、その延長上にあるように感じました。
実は、僕が、こどものころに母が買ってくれた絵本の中で、僕の一番のお気に入りは、『はなのすきなうし』ではなく、『こねこのぴっち』(ハンス・フィッシャー作)でした。この『こねこのぴっち』も、他のこねこたちと一緒に元気に遊べないちょっと内気なこねのが主人公という点で、少し、『はなのすきなうし』と似ているかもしれません。しかし、ぴっちが風邪をひいて寝込んでしまったときに、他のこねこたちがお見舞いに来るラストシーンが、僕は大好きでした。マイペースではあっても、実は、友達は欲しい。多分、僕自身のそんな気持ちが、『こねこのぴっち』への愛着につながっていたのでしょう。その『こねこのぴっち』も、あるとき、母の独断でどこかに寄贈されてしまって、しばらく、僕の手元にはありませんでしたが、今では、その後、自分で買いなおして、今では、2008年の第49刷が手元にあります。一方、『はなのすきなうし』は、手元にはありません。多分、『はなのすきなうし』にあるメッセージ色が強さが、僕にとっては、抵抗になってしまったように思います。今でも、メッセージ色の強い作品には、僕は、抵抗を感じてしまいます。もちろん、平和は大切です。しかし、絵本や芸術には、そういうメッセージを伝えるための道具であるかのように感じられてしまうものであっては欲しくないのです。もちろん、「僕には説教くさく感じられてしまった」というだけで、この絵本は、きっと名作なのでしょう。しかし、『こねこのぴっち』のほうが、僕には、純粋な楽しみを与えてくれたのは確かなことです。どちらも、岩波書店から日本語版が出ているロングセラーです。お読みになってみてははいかがでしょう。
なお、NHKドラマ『戦艦武蔵』は、9月10日(9日深夜)0:15から再放送があるようです。

〔関連ツイート〕
https://twitter.com/masahirokitamra/status/772076370004279296

絵本作家、酒井駒子さんの『金曜日の砂糖ちゃん』が"大人の絵本"なら

先日、ジュンク堂書店池袋本店の児童書売り場をのぞいてみたら、僕の新刊絵本『ガラスの中のマリー』が、「大人向け絵本」というコーナーにはいっているのを見つけて、「やっぱり!」と思ってしまいました。
ネット書店のセブンアンドワイのページ
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32108766でも、
「本>文芸>詩、詩集>画文集」というカテゴリー
にはいっていて、「子ども」というカテゴリーにははいっていません。
僕は、子どもにも楽しめる文学が児童文学だと思っていて、書いている本人がおもしろくなければ話しにならないし、大人がこどもの「ために」書くなどという発想はおもしろくない、と思っているので、「こどものため」という意識の強く出ているような作品とはどうしても異質なものになり、以前から「大人の童話」と呼ばれるのも無理はないかな、と思っています。ただ、僕の作品をわざわざ「大人向け」と呼ばねばならないほど、現在の児童文学が、「こどものため」意識の強いものに偏っているのではないかと感じてしまうので、「大人向け」とか「大人の童話」とか「大人の絵本」と呼ばれることには複雑な思いもあります。
しかし、上記のセブンアンドワイの
「本>文芸>詩、詩集>画文集」というカテゴリー
について言えば、僕自身、「詩のような童話」を理想としているので、決して違和感はないし、それに、絵本作家、酒井駒子さんの傑作『金曜日の砂糖ちゃん』も同じカテゴリーにはいっているのを見つけて、むしろ、光栄とも感じました。酒井さんの傑作が「大人の絵本」なら、僕の絵本も、同じように呼ばれるのは、むしろ光栄と思うべきでしょう。
(セブンアンドワイの情報ページ=
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/31189400
この酒井駒子さんの絵本『金曜日の砂糖ちゃん』は、文字が少なく、文章よりも、あくまでも絵が中心の本だと言ってよいと思いますが、絵に添えられた短い詩のような文章が、いわゆる児童文学作家にありがちな「こどものため」意識から自由な詩になっていて、今日の「児童書」の世界の中では、貴重な一冊だと思います。おすすめの一冊と言ってもよいでしょう。
絵本でありながら、3編の短い作品を収録しているという形式もユニークですが、たとえば、その3つめの作品「夜と夜のあいだに」という作品は、「夜と夜の あいだに 目を さました 子どもは…」という書き出しもユニークなら、「扉を あけて それきり もどっては 来ないのでした」というあっけらかんとしたラストの見事さは、最近の他の本ではなかなか見つからないものです。
55ページには、「扉を あけて」という横書きの言葉が中央にあるだけで、見開きの隣のページには、少女が、鳥かごの扉を開けている絵。「扉」とは、このことかと、思って、次のページへ行くと、大人のベッドの足下をすり抜ける見開きの絵。次の見開きは、家の扉を開けて、外の絵本のような世界(本当に絵本なんですけど)を覗いている絵。そして、62ページに、鳥かごから外をうかがう小鳥。そして、隣の61ページに、上記のラストの文。
ここまで読むと、55ページの文の「扉」は、隣のページの鳥かごの扉ではなく、2つ先の見開きにある家の扉だったのかとも思える一方、最後の60ページの絵にあるのは、扉の開いた鳥かごで、少女は、確かに、これを開けたのでしょうから、文にある「扉」は、ふたつの扉の両方を指しているように感じられます。
「かごの中の鳥」のその扉を開け放した少女は、夢の世界に旅立ったのか?それとも、大人になってしまって、絵本の世界にも戻れなくなってしまったのか?そう言えば、絵の中で、家の扉を開けた少女は、夢のような外の世界には、一歩も足を踏み出してはいないのです。そして、ラストの絵の鳥も、開いた扉から外を眺めるだけなのです。
すべてが読者の想像にゆだねられるこの魅力的なラストは、絵と文とのコンビネーションによってのみ可能であったと言ってもよいでしょう。

例えば、ロマン派時代のドイツの作家ホフマンの「くるみわり人形とねずみの王様」では、主人公の少女マリーは、ラストで、人形の国へ旅立ったまま、もう、両親の元へは戻ってきません。そして、「マリーはいまでも、あのきらめくクリスマスの森や、すきとおったマジパンのお城のある国で、王妃さまとしてくらしているということです。そしてこのふしぎな国のすばらしい光景は、この世のふしぎを見る目をもっているひとならば、だれでも、いつでも、見ることができるのです。これが、くるみわり人形とねずみの王様のお話です」(山本定祐訳)と、結ばれているのですが、こういう物語は、現代においては、なかなか見あたらず、それどころか、このホフマン作品を原作とするチャイコフスキー作曲のバレエ「くるみ割り人形」では、プティパの台本ではお菓子の国のシーンで幕となるようになっていたものが、ソ連時代に、大きく改変され、マリー(ロシアではマーシャ)が自分の部屋で目を覚ますというエンディングになって、「みんな夢でした」といういわゆる夢落ちのような幕切れになってしまい、今日でも、それを踏襲しているバレエ団が多いので、いつも、それを、とても残念なことだと思っているのですが、酒井さんの「夜と夜のあいだに」では、何のためらいもなく「扉を あけて それきり もどっては 来ないのでした」と結ばれ、しかも、物語全体が、わずか一文で成り立っているので、これは驚きです。

安房直子さんの童話「銀のくじゃく」では、幻の銀のくじゃくに憧れる四人のくじゃくのお姫さまが、銀色の波へむかってとび立ち、あとに残されたくじゃくの王国が滅亡するというエンディングで、これなどは、やはり、現代の児童文学の世界では貴重な滅亡の美を描く傑作ですが、これとて、40ページも費やされておて、簡潔さという点では、酒井駒子さんの「夜と夜のあいだに」のわずか一文という短さにはかなわないないと言わざるを得ませんね。

『金曜日の砂糖ちゃん』の冒頭の表題作では、姿を消した金曜日の砂糖ちゃんを護るべく、「ただ カマキリだけは いつまでも 鎌を ふりあげ ふりあげ しておりましたが」と結ばれますが、そもそも、金曜日の砂糖ちゃんという女の子は、この世の存在のようには見えません。迎えにくるおかあさんも幽霊のよう。それを思うと、カマキリの思いの切なさが心にしみるようですが、でも、それが、「生きる」ということなのかなと、思ってしまいます。この物語の主人公はカマキリだと、僕には、思えます。

酒井さんの場合は、絵が多くを語っているので、酒井さんのような才能豊かな画家がうらやましいとも感じます。
先日、『ガラスの中のマリー』の版元の三一書房の編集者からのメールに「酒井駒子さんのポストカードを社員が持っていた」という知らせがありましたが、かなり人気があるのでしょうね。
僕の場合は、文章を中心とした創作をやっていて、今回の『ガラスの中のマリー』の場合は、下手な絵を重ねたりデジタル加工したり、そして、写真を組み合わせたりと、ビジュアル面では、かなり苦労してしまいました。

なお、酒井駒子さんの『金曜日の砂糖ちゃん』については、

「砂の上の文字群2」というブログの
http://chibinekono.blog44.fc2.com/blog-entry-778.html

「胡桃と本と。」というブログの
http://kurumi3.tea-nifty.com/library/2006/08/__bf56.html

「この本借りたよ&エトセトラ♪」というブログの
http://blogs.yahoo.co.jp/ctenohira/13506850.html
などに、いろいろな感想が出ています。

〔HP内の関連ページ〕
絵本『ガラスの中のマリー』出版情報
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/marie-e.htm

「くるみ割り人形」の基礎知識
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/nutcracker-g.htm

安房直子童話作品集と収録作品
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/awa.htm

絵本『ガラスの中のマリー』発売

絵本『ガラスの中のマリー』(北村正裕/作・絵・撮影、三一書房、08年7月発行)の一般書店への配本がようやく始まったようで、ネット書店の中には、本のカバーの画像を掲載しているところもあるようです。ネット書店のサイトの情報ページへのリンクは、HP内の、
「絵本『ガラスの中のマリー』関連情報リンク」のページ
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/marie-e-l.htm
にあります。
一部の大型書店や絵本専門店以外では、店頭で見つけるのは難しいかもしれませんが、注文は、基本的には、どこの書店でも可能です。ただし、取次店や書店によって、データベースへの登録や配本時期にばらつきが出ることが予想されるので、ご承知おきください。

絵本ナビで安房直子作品のリストを見ると

安房直子さんの童話作品は、最近も、「うさぎ座の夜」が味戸ケイコさんの絵で絵本化されるなど、これまでに色々な作品が絵本化されているようですが、「絵本ナビ」というサイトにある作品リスト
http://www.ehonnavi.net/author.asp?n=1288
を見ると、「きつねの窓」などを除けば、ほんとうに安房さんらしい名作だと思われるものは、絵本化されていないように感じます。作品の好みは、ひとそれぞれでしょうけど、僕の場合、一番好きな「夏の夢」を収録した作品集(講談社文庫版「だれにも見えないベランダ」など)が、現在、一般書店で入手不可能になっていることを考えると、この作品など、絵本化する価値が一番高いように思うのですが……。絵本作家の酒井駒子さんなどが絵を描いたらおもしろいものができるんじゃないでしょうか?それから、名作「ほたる」は、前にもこのブログで紹介したように、瑞雲社版『夢の果て』に味戸ケイコさんの絵とともに収録され、これは、上記「絵本ナビ」のリストにも「絵本」と認められて載ってはいるものの、サイト参加者の評価ランク順のリストでは、現在、20作品中20位。この本は、絵が少ないので、そもそも、絵本といえるかどうか微妙ですので、絵本ナビの参加者には関心が持たれないのかもしれませんが、なんか寂しいですね。では、もっと、ずっと絵本らしい本で、安房直子さんと味戸ケイコさんのコンビによるオリジナル絵本で味戸さんの幻想的な絵がたっぷり味わえる「白樺のテーブル」はどうだろう?と、捜してみると、なんと、これは、リストに掲載されてさえいない!つまり、対象外。もしかすると、「絵本ナビ」は、読み聞かせ用の絵本を親が捜すためのサイトという色合いが強く、したがって、それなりの本ばかりが優先されてしまうのかもしれません。ある程度の読解力を持って、じっくりと味わうとおもしろい、というような本は、「大人の絵本」とか「大人の童話」などという特別なレッテルを貼られて、メジャーな絵本情報からはじかれてしまうのかもしれません。というわけで、絵本ファンの間では、まだまだ、安房さんの作品のほんとうの魅力は充分に評価されていないんじゃないかな、と思いました。

ところで、HPの「安房直子童話作品集と収録作品」のページ
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/awa.htm
を更新し、現在比較的入手しやすい作品集と収録作品を記しました。

安房直子さんの本については、ここのブログでも
http://masahirokitamura.blog.drecom.jp/archive/43
http://masahirokitamura.blog.drecom.jp/archive/18
に関連記事を書いていますが、ここで、他のブログの中から、2004年の偕成社版「安房直子コレクション」刊行後の記事で、安房さんの作品へのコメントがある記事を、いくつか紹介しておきます。

死者の世界への想いが強く描かれる童話集「白いおうむの森」についてのコメントがある記事としては、
「Silent Box」というブログの
http://gooddays365.blog63.fc2.com/blog-entry-11.html

滅びへの憧れに満ちた童話集「銀のくじゃく」についてのコメントがある記事としては、
「古びた森小屋」というブログの
http://moony.at.webry.info/200608/article_18.html

「安房直子コレクション」についてのコメントがある記事としては、
「HELLO日記」というブログの
http://blogs.yahoo.co.jp/night_fishing1027/2670751.html

また、現在、一般書店での入手が困難な講談社文庫版「だれにも見えないベランダ」についてのコメントがある記事としては、
「Ciel Blue」というブログの
http://cafebleu.vis.ne.jp/ciel/archives/2007/07/16_1700.phpがあります。

新作絵本出版決定

三一書房より、絵本『ガラスの中のマリー』(北村正裕=作・絵・撮影)が出版されることになりました。これは、2008年1月にHPの作品公開のコーナーに掲載した創作メルヘンを絵本化するもので、絵も作者が描き、さらに、作者自身が撮影したいくつかの風景写真を使う予定です。色彩は、全編、セピア色に統一する方針ですが、完全な単色印刷ではなく、ダブルトーン(2色重ね刷り)にして、深みのある色彩を目指す方針です。
本日、編集担当者とブックデザイン担当者と僕と3人での打ち合わせを行い、今後のスケジュールなどについても話し合いをしました。今のところ、2008年夏ごろまでの発売を目指して制作を進めることになっています。
詳しい情報は、HPの中の「『絵本ガラスの中のマリー』出版情報」
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/marie-e.htm
のページに、随時、掲載していく予定です。

絵本『金の輪』(小川未明/作、吉田稔美/絵、架空社刊)原画展

先日(24日)、自宅から約5分のところにある雑司が谷旧宣教師館で開催されている絵本『金の輪』(小川未明=作、吉田稔美=絵、架空社=刊)の原画展を見に行ってきました。実は、この絵本、以前、初めて見たときには、そのはっきりした輪郭線が、この物語の幻想的な味わいに合わないように感じ、あまり、好感が持てなかったものなのです。この未明作品は、この世とあの世のつながりを感じさせるもので、世界の境界があいまいな風景をイメージしていたのですが、吉田さんの絵は、くっきりとした境界線が、動的というとりは静的なイメージで、イメージの発散を阻んでしまっているように感じたのです。今回、原画展を見ても、根本的な部分の印象は変わりませんでしたが、しかし、いくつかの収穫がありました。それは、原画そのものよりは、むしろ、会場に掲載されていた吉田さんのメッセージと、展示されていた吉田さんの過去の絵本を見ることができたことです。そのどちらからも、吉田さんの『金の輪』という未明作品への愛着が感じられました。特に、驚いたのは、1998年に架空社より出版された詩絵本『Never Girls』の中に、少女(少年?)が金の輪を回している絵があったことです。この本全体が特に印象に残ったというわけではないのですが、『金の輪』とは直接関係のない詩にこんな絵をつけるということは、吉田さんが、かなり以前から、この未明作品に特別な愛着を持っていたことを示しているように思いました。
今年4月に高岡洋介さんの原画展を見に行って、高岡さんとお話しする機会を得たということは、以前、ブログの4月12日の記事
http://masahirokitamura.blog.drecom.jp/archive/33
に書きましたが、そのときの高岡さんのお話しによると、架空社による未明作品の絵本化の企画の話が出てきたとき、吉田さんは、『金の輪』という作品を指定して作画を希望されたとか。今回、ふと、そのときの高岡さんのお話しを思い出しました。
そんな吉田さんの、『金の輪』への愛着を感じながら、改めて、絵を見てみると、今まで見逃していた絵にも目がとまりました。たった一点の絵ですが、「往来の上を二人でどこまでも走ってゆく夢を見ました」というところにつけられた絵です。ここの絵では、太郎ともうひとりの少年は、決して、往来の上を走っているのではなく、星空の中を飛んでいるのです。「いつしか二人は、赤い夕焼け空の中に入ってしまった夢を見ました」という文に対応するものでしょうが、描かれているのは夕焼け空のさらにその先の宇宙空間の中です。これでこそ、この物語が持つ幻想的な味わいにふさわしい演出ではないでしょうか?吉田さんの場合、地に足のついていない風景の方が味が出るのではないでしょうか?無理に、文が描く通りの風景にしようとしたり、また「輪廻」を表そうと記号的な絵を描いたりするより、もっと自由にイメージを展開したらおもしろい作品になるのではないか?そんなことを考えました。

この原画展は、11月25日まで開かれているとのことで、情報は、
豊島区のHP内の
http://www.city.toshima.tokyo.jp/press/200710/071003-01.html
吉田稔美さんのサイトの中の
http://www.interex.co.jp/Ngirl/kinnowa/index.html
に掲載されているほか、
イラストレーター森流一郎さんのブログの
http://moriryuichiro.at.webry.info/200709/article_15.html
にも掲載されています。

絵本『ものぐさじじいの来世』(小川未明/作、高岡洋介/絵、架空社刊)出版&原画展

架空社から絵本『ものぐさじじいの来世』(小川未明/作、高岡洋介/絵)が出版され、現在、新宿区内にある「ゑいじう」というギャラリーで、原画展が開かれています。会場内で、本の購入もできるようになっています。本日、見てきましたが、ちょうど高岡さんご本人もいらして、ご本にサインをいただいた上、お話しもきかせていただけました。原画展は、14日までとのことですが、詳しいことは、「ゑいじうBlog」の4月9日の記事
http://blog.livedoor.jp/eijiu/archives/50529224.html
に掲載されています。
さて、その絵本ですが、まず、小川未明の数ある作品の中で、あまり知られていないはずのこの作品を絵本化したということだけでも充分価値がある企画だったと思います。おそらく、これまで、文庫本などには収録されてこなかった作品でしょうし、僕も、初めて読みました。
これまで、架空社は、『電信柱と妙な男』(石井聖岳/絵、2004年刊)以来、すでに、小川未明の5作品の5人の画家による絵本を出版しており、例えば、『眠い町』(堀越千秋/絵、2006年)などは、絵の存在感が圧倒的で、未明作品の魅力を再認識させてくれるものでしたが、その『眠い町』や『電信柱と妙な男』、そして、『金の輪』の場合は、物語そのものは、どれも未明の代表作であり、文庫本などの未明作品集にはたいてい収録されているものだったのに対して、今回の『ものぐさじじいの来世』は、僕もそうでしたが、この絵本で初めて読むことになる人が多いのではないでしょうか?そして、読んでみると、これが、なかなかおもしろいのです。『眠い町』などが、先進的ではあっても、現代では普通の感じの文明批評的作品になっているのに対して、『ものぐさじじいの来世』には、有名な未明作品にはあまり感じられないナンセンステールの味があります。結末はフェードアウト的で、もし、絵がなかったら、やや印象が薄いかもしれないと思いましたが、物語全体の雰囲気には好感が持てました。そして、『眠い町』の堀越さんの絵に劣らず存在感のある高岡さんの絵が、この埋もれた物語をよみがえらせることに成功していると思いました。
まず、扉の次の最初のページの絵がすごい!ものぐさじいさんの部屋には、蜘蛛の巣などはあたりまえ、といわんばかりに、床には、なめくじやかたつむりやカエル、そして、極めつけは、ふとんの上にまで生えているキノコ!漫画家の松本零士さんが、若いころ、洗っていないパンツを押し入れに放り込んでおいたところキノコが生えた、という有名な話を思い出したので、原画展の会場にいらした高岡さんにお話ししたところ、高岡さんも松本さんのその話をご存じだったようです。
そして、この絵本を魅力的なものにしている絵のポイントのひとつは、一貫してものぐさじいさんに連れ添っている猫を登場させていることではないかと思いました。これは、文章には全くないことなのですが、まるで違和感がなく、おじいさんが死ぬときも、最後に、海の海草になるときも、猫は、おじいさんと一緒です。これが、この絵本にユーモアと暖かさを与える結果となっていると思います。
おじいさんが「風が寒いから」家から出たくないと言う場面の絵には、鳥や凧に混じって、幽霊のような浮遊物体が空に描かれているのが目に付いたので、原画展の会場で、高岡さんに「これは何ですか?」とおききしたところ、「描いた私にもわかりません」とのことでしたが、物語後半でものぐさじいさんの魂が極楽へ昇天することになるので、それへの伏線のような気がしました。
なお、最後の3点の絵は、原画と絵本との色調に微妙な違いがあり、絵本の方では原画より淡い色調になっていますが、これは、最後の場面が来世であることを考えて、現世を描く場面との色調を意図的に変えるための印刷上の工夫がほどこされているとのことで、これは、架空社の社長さんのアイデアだとのこと、やはり、原画展で、高岡さんがお話ししてくださいました。細かいところまで、ていねいに作られているということがよくわかります。
上記の通り、物語そのものも、この本以外ではなかなか読めない作品だと思うので、絵本ファンのみならず、童話ファンのみなさまにオススメの一冊です。

原画展の情報は、上記「ゑいじうBlog」のほか、
「まごしろう日記」の3月30日の記事
http://plaza.rakuten.co.jp/magoshiro/diary/200703300000/
にもあります。

絵本『やまのかいしゃ』(スズキコージ/作、片山健/絵、架空社刊)について

僕は、童話の創作活動をしている関係で、挿絵というものには、当然、関心はありますが、絵本についての知識はほとんど持っていないのが現状です。しかし、架空社から1991年に出た『やまのかいしゃ』という絵本(スズキコージ=作、片山健=絵)の存在を昨年になって知り、そのユニークさに感銘を受けました。そして、このようなナンセンス絵本を出している出版社の存在そのものにも感銘を受けました。
http://blog.drecom.jp/masahirokitamura/archive/13に書いた、先日の架空社の社長さんとの絵本の出版を視野に入れた話し合いの機会も、このことが、ひとつのきっかけでした。

さて、その『やまのかいしゃ』の物語ですが、
いかにも落ちこぼれ社員風といった感じのほげたさんが、ある日、出勤のために電車に乗ると、なぜか、電車は、会社とは反対の山の方へ向かっていきます。おまけに、かばんとめがねも忘れてきたことに気づきます。終点の山奥の駅で降りたほげたさんは、「きょうは、やまのかいしゃへいこう」と勝手に決めて、山道を登って行き、途中で、ほいさくんとも合流して、ふたりで、山の頂上にたどり着きます。そこが「やまのかいしゃ」だと決めたふたりは、「むせんでんわ」で、「まちのかいしゃ」に電話までかけ、まちの社員たちも、一度は、「やまのかいしゃ」へやってきますが、やがて、ふたりを残してまちに帰っていきます。そして、「いまでも、ほげたさんと、ほいさくんは、やまのちょうじょうで、げんきにやっています」と結ばれます。
ラストのページの絵は、星空を背景にした、山の上のふたりのシルエットですが、こうなると、単に、会社をクビになったというより、天国行きという雰囲気さえ感じられます。そういえば、白い衣装の社長さんは、なにやら、神様風です。そして、"天国"から見れば、「まちのかいしゃ」のあくせくとした営みのなんとむなしいことか!もしかして、そんな世界が普通に見えてしまうめがねを忘れたことで、ほげたさんには、やっと、本当の自分の生活が見えたのかもしれませんね。あるいは、神様風の社長さんに連れられてまちに戻って行った社員たちの方が天国行きなのでしょうか?
車窓から見える、遠ざかる町の風景も、よく見ると、ビルの上に、大きなさるのような怪獣(?)がしがみついていたりして、異様です。電車のつり広告には、「ススキーノ・コジ氏の大予言」と書かれたものもあるといった、お遊びもあります。
この絵本は、1991年に出たものですが、文章の初出は、"母の友"(福音館書店)1986年9月号とのことなので、「むせんんでんわ」なんて、斬新ですね。余談ですが、その「ダイヤルをまわす」という表現とのギャップも、今読むと時代を感じます。ところが、絵の方は、どう見てもプッシュ式です。
とにかく、インパクトのある絵本です。

なお、最近のブログ記事のうち、『やまのかいしゃ』に関する記述があるものには、
banbiblogさんの「バンビの独り言」というブログの
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/26618fe9f2ef7ab170c7eca1e336c55a

だまさんの「シネマトカピクニック」というブログの
http://picnicine.no-blog.jp/tips/2005/07/post_ef21.html
があります。
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