北村正裕BLOG

【北村正裕のナンセンスダイアリー】童話作家&シンガーソングライター、北村正裕のブログです。 執筆情報用ホームページ(童話作家・北村正裕のナンセンスの部屋) http://masahirokitamura.my.coocan.jp/ と、音楽情報用HP(北村正裕アート空間) http://masahirokitamura.art.coocan.jp/ もよろしく。 ツイッターアカウントは「@masahirokitamra」です。

ファンタジー

Amazon KDPで童話Kindle版電子書籍を出版

1996年に執筆し、1999年にホームページに掲載した創作童話『何もない遊園地』を、2013年1月26日(米国時間では1月25日)、通販ショップAmazonのKindleダイレクトパブリッシング(KDP)のサービスを利用して、電子出版しました。現在、
Amazon Kindleストア
http://www.amazon.co.jp/dp/B00B6FTH6Q/
で、100円で購入できるようになっています。
タブレット端末(アンドロイド端末またはiPad)でもスマートホンでも、Kindleアプリを入れれば読めます。

この作品は、これまで、ホームページ(童話作家・北村正裕のナンセンスの部屋)に掲載していましたが、中~長編に属する長さの作品なので、同じサイトに掲載している他の短編と違って、パソコンでは読みにくいのに対して、電子書籍にして、タブレット端末などでの読書であればかなり読みやすくなると思うので、AmazonのKindleダイレクトパブリッシングのサービスが、2012年10月に日本でも始まったこの機会に、作品を電子書籍として出版することにしました。
これまで長編ゆえに敬遠されていた方には、この機会に、是非、お読みいただきたいと思います。
ホームページの中のページ
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/yuuenti-e.htm
にお知らせを掲載しました。

nanimonaiyuuenti-ch

表紙の画像は、文字を含めてラシャ紙と折り紙を切り張りして作ってみました。
2008年に絵本『ガラスの中のマリー』
http://www.amazon.co.jp/dp/4380082091/
を三一書房から出版したときには、絵と風景写真を重ねたり明るさを調整したりといったデジタル作業を、デザイナーさんにお願いしてやっていただきましたが、今回の『何もない遊園地』
http://www.amazon.co.jp/dp/B00B6FTH6Q/
の電子本の表紙画像は、スキャナで電子化するまでは、完全なアナログ制作です。

『ハリー・ポッター』全7巻完結

J.K.ローリングの長編ファンタジー「ハリー・ポッター」シリーズ全七巻が、第7巻「ハリー・ポッターと死の秘宝」発売で完結し、邦訳も出そろって、読者としても、およそ十年に渡る読書の旅が完結しました。
HPの雑記帳のコーナー
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/news.htm
にも、感想を少し書きましたが、スネイプの秘密が明かされる第33章で、あまりにもせつない感じに圧倒されてしまいました。訳者の松岡さんのあとがきにも、「私にとっての圧巻は三十三章だ」と書かれていますが、あそこで衝撃を受けた人は多いのではないでしょうか?第32章のラストでのスネイプの最期の言葉の意味も、第33章を読んで初めてわかるようになっているんですね。誤解を恐れずに言えば、「リリーは裏切り者ではないか?」と感じてしまいました。こんな感想を抱くのも、スネイプへの感情移入のためなのでしょう。複雑な思いで、自分の中では、気持ちの整理ができません。「一九年後」と題された終章の平和な世界の情景描写を読んでも、切なさが消えず、なんだか、空しささえ感じてしまいました。
この終章を「しあわせ」と呼ぶなら、しあわせなんて、まやかしだ!この世は裏切りそのものだ!もしかしたら、それこそが、作者のメッセージだったのではないか、とさえ思えてしまいます。そう考えれば、主要なこどもキャラの中で、最も魅力的と感じられるキャラだったルーナだけが終章に登場しないことも、初めて理解できるのです。ルーナが彼女自身の部屋の天井に描いていた絵と文字をハリーが見つけて感動する場面(第21章)で「ルーナに対して、熱いものが一気に溢れ出すのを感じた」のはハリーだけではないでしょう。
ルーナは、ジニーのともだちとして第5巻で初登場しましたが、第5巻が映画化されたときには、ルーナ登場の場面で、たしか、ハーマイオニーが他のともだちにルーナを紹介していて、その言葉が、日本語版で「不思議ちゃん」という歴史の浅い言葉になっていたと記憶していますが、ルーナには、ハーマイオニーやジニーには見えないセストラル(死に向き合った者のみに見える動物)が見えていたんですよね。
謎が明かされた「ハリー・ポッター」の世界が、これが世界というものなら、世界全体などを考えたら、あまりの空しさに、一歩も動けなくなってしまうでしょう。作者がダンブルドアの妹に与えた運命の残酷さなどは、語ることさえ避けたいほどです。

ほかの読者はどう感じているのだろうと、ネット検索をしてみたところ、
邦訳が出版される前の昨年12月に書かれていた
「少佐の記憶」というブログの中の
「『ハリー・ポッターと死の秘宝(第7巻)』ネタバレ感想」という記事
http://syousanokioku.at.webry.info/200712/article_6.html
の中に、シリーズの題名について「"Severus Snape and the Unrequited Love" (『セブルス・スネイプとその報われぬ愛』)の題名に取り替えてあげたい」と書かれているのを見つけました。本当に、この物語のポイントは、そこでしょうね。そう感じている人は、少なくないでしょう。
「迷宮ALICE」というブログの
「ハリポタ7巻ネタバレ感想??スネイプ先生について?」
http://yaplog.jp/darkflower/archive/198
の記事でも、スネイプについて、「ホント切なすぎるキャラだ・・・」とあります。ほうとうにそうですよね。「辛いなあ・・・と思います」とも書かれていますが、それも同感です。

もちろん、ルーナの存在感、ネビルの活躍など、気持ちがすっきりする場面もあったし、最後の土壇場の第36章で悪の最強魔女がジニーたちに杖を向けたときに、これまで一度も戦闘シーンに参加していなかったジニーたちの母ちゃんが突然飛び込んできて、一騎打ちで最強魔女を倒してしまうところなど、笑えるほど痛快だし、その母ちゃんを、いよいよ悪の権化たるヴォルデモートが攻撃しようとしたとき、死んだはずのハリーが透明マントを脱いで現れるという運びは、もう、ヒーローファンタジーのお約束そのものとも言えるでしょう。しかし、こういう定型的な枠組みの脇で、ひそかに、決して報われることのない"愛"に生涯をささげたスネイプの物語が語られていて、謎の奥に隠されていたその真実が、最終巻まで明かされなかったというところが、少なくとも、僕にとっては、一番、衝撃的でした。
もし、作者のメッセージが、上記のように、この世の偽りの告発であるのなら、第36章のあまりに定型的な枠組みも、ヒーローファンタジーや「正義」そのものへのアイロニーなのかもしれないし、ヴォルデモートの真の内面を描かないことの意味も、また、同様なのかもしれません。そんな風に感じるのは僕だけでしょうか?しかし、どう表現しようが、虚無感、虚脱感は払拭できません。物語が精巧にリアルに作られているため、それだけ、ショックは、大きいです。評論家的な冷静な感想記事を書かれている人もいるようですが、今の僕にはとてもできません。ほとんど悪態とも言えるような感想になってしまいすみません。しかし、こんな大作で、最後まで読もうと思えるようなものは、今後、二度と現れないでしょうから、こんなショックも、もう、味わうことはないでしょう。

なお、第7巻発売のしばらく前に、作者の発言の断片を根拠として、最終巻でハリーが死ぬのではないか、とか、ロン、ハーマイオニーのどちらかも死ぬのではないかという情報が流れ、朝日新聞にも情報が掲載されましたが、結局、3人とも死にませんでしたね。ハリーは、いわば冥途の入口まで行って、戻ってきましたね。作者も迷っていたのでしょうか?それとも、はらはらさせるための発言だったのか、あるいは、情報そのものが間違っていたのか、そのあたりは、わかりません。
その朝日新聞の記事については、
「吉岡家一同おとうさんのブログ」というブログの06年6月の記事
http://pokemon.at.webry.info/200606/article_31.html
に引用されています。

第5巻までは、すでに映画化もされていますが、今度は、第6作、第7作の映画を待ちましょう。悪態とも言える感想を書いてしまいましたが、映画は映画で、こちらも、また、見ようと思っています。
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