先日、3月3日に、劇作家、童話作家の別役実さんが亡くなったとのこと、報道されていますが、別役実さんは、安房直子さん等とともに、僕にとっては、特に、感銘を受けた作家のひとりで、1986年3月9日の朝日新聞家庭面の「よむ」のコーナーに、別役実さんの童話作品を紹介する僕の文章が掲載されているので、今回、それを紹介しながら、別役実作品から受けた感銘を振り返ってみようと思います。
1986年3月の朝日新聞家庭面に掲載された僕の文章は、「強烈なアイロニー」というタイトルがついていますが、別役実童話集『淋しいおさかな』(三一書房)について、特に、その中の作品「機械のある街」を紹介しながら、「自己の存在意義を他者との関係によって証明しなければ安心できない人間への強烈なアイロニーである」と結んでいます。
その「機械のある街」に登場する機械の唯一の働きは、その機械を撤去しようとする人々を追い払うことだったのです。
「自己の存在意義を他者との関係によって証明しなければ安心できない」というのは、今、読むと、決して否定されるべきことではないと思いますが、それが、「何かの役に立たなければ存在価値がない」などというように変質し、社会的価値観になってしまうことは、いかに悲しいことか。それは、「効率」とか「効果」、「生産性」などが重視されがちな今、せめて、芸術の世界では、さらに強調される意味があるように感じます。
そもそも、文学も芸術も、誰かの役に立つようにと作るものではないでしょう。意味はわからないけれど、表現せずにはいられない何かに突き動かされて創作活動は行われるのです。少なくとも自分の場合はそうですし、自分が感銘を受けた文学や音楽などの作り手たちも、たぶん、そうだったのだろうと思っています。
朝日新聞家庭面(1986年3月)に掲載された北村正裕による別役実童話の紹介
創作活動でなくても、日常的な発言でも、上記のような芸術を考えるときと同じような発想は、僕の場合、自然に言葉に現れているかもしれません。
例えば、僕が数学講師をしている予備校の入学案内(パンフレット)に、「講師メッセージ」のページがあったころ、そこに掲載されいた僕のメッセージは、
「一番大切なものは、決して評価などされないもの。大切なのは、理由以前の存在、自分の生き方、夢、憧れ」
となっていました。予備校のパンフレットに掲載するメッセージには、あまり似つかわしい文章ではなかったかもしれませんが、こういうメッセージでさえ、自分の場合、少なくとも、競争を煽るようなことは書きたくありませんでした。それは、今でも同じなので、受験業界、受験産業の世界ではアウトローということになるかもしれませんが。
予備校パンフレットの講師メッセージのページより(2013年)
今回、別役実さんの訃報に接して、久しぶりに、1986年3月の朝日新聞家庭面に掲載された自分の文章を読み返していたら、そこに、「親切屋甚兵衛」の短い紹介もあることに改めて気づき、1998年に執筆して1999年にホームページで公開した僕の創作「死神とどろぼう」
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/sinigami.htm
と、それを改作、改題して2017年にshousetu.com に掲載した「帰ってきた大どろぼう」
http://ncode.syosetu.com/n0534dv/
の中の「鬼叩きショー」が、別役実の「親切屋甚兵衛」の影響を受けているということに気づきました。執筆当時、「親切屋甚兵衛」をどの程度意識していたかについては、もう、覚えていませんが、思いがけない「発見」でした。
別役実童話集としては、上記の『淋しいおさかな』のほか、『星の街のものがたり』(三一書房)も秀逸なもので、そこには、「地図の街の花嫁」や「なにもないねこ」などの傑作が収録されています。
そして、別役実さんと言えば、『不思議の国のアリス 別役実第二戯曲集』(三一書房)に収録されている「スパイものがたり」の劇中歌、「ねこの歌」、「雨が空から降れば」などの作詞者としても忘れることができません。これらの歌は、いずれも小室等さんの作曲によるものですが、六文銭のアルバム「六文銭メモリアルⅠ」に収録されています。
なお、別役実さんの死因は「肺炎」と報道されていますが、1993年に亡くなった童話作家、安房直子さんの場合も、死因は「肺炎」とされています。
日経新聞のサイトの別役実さん死去の記事
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56614030Q0A310C2CZ8000/
〔北村正裕ホームページ紹介サイト〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura
1986年3月の朝日新聞家庭面に掲載された僕の文章は、「強烈なアイロニー」というタイトルがついていますが、別役実童話集『淋しいおさかな』(三一書房)について、特に、その中の作品「機械のある街」を紹介しながら、「自己の存在意義を他者との関係によって証明しなければ安心できない人間への強烈なアイロニーである」と結んでいます。
その「機械のある街」に登場する機械の唯一の働きは、その機械を撤去しようとする人々を追い払うことだったのです。
「自己の存在意義を他者との関係によって証明しなければ安心できない」というのは、今、読むと、決して否定されるべきことではないと思いますが、それが、「何かの役に立たなければ存在価値がない」などというように変質し、社会的価値観になってしまうことは、いかに悲しいことか。それは、「効率」とか「効果」、「生産性」などが重視されがちな今、せめて、芸術の世界では、さらに強調される意味があるように感じます。
そもそも、文学も芸術も、誰かの役に立つようにと作るものではないでしょう。意味はわからないけれど、表現せずにはいられない何かに突き動かされて創作活動は行われるのです。少なくとも自分の場合はそうですし、自分が感銘を受けた文学や音楽などの作り手たちも、たぶん、そうだったのだろうと思っています。
朝日新聞家庭面(1986年3月)に掲載された北村正裕による別役実童話の紹介
創作活動でなくても、日常的な発言でも、上記のような芸術を考えるときと同じような発想は、僕の場合、自然に言葉に現れているかもしれません。
例えば、僕が数学講師をしている予備校の入学案内(パンフレット)に、「講師メッセージ」のページがあったころ、そこに掲載されいた僕のメッセージは、
「一番大切なものは、決して評価などされないもの。大切なのは、理由以前の存在、自分の生き方、夢、憧れ」
となっていました。予備校のパンフレットに掲載するメッセージには、あまり似つかわしい文章ではなかったかもしれませんが、こういうメッセージでさえ、自分の場合、少なくとも、競争を煽るようなことは書きたくありませんでした。それは、今でも同じなので、受験業界、受験産業の世界ではアウトローということになるかもしれませんが。
予備校パンフレットの講師メッセージのページより(2013年)
今回、別役実さんの訃報に接して、久しぶりに、1986年3月の朝日新聞家庭面に掲載された自分の文章を読み返していたら、そこに、「親切屋甚兵衛」の短い紹介もあることに改めて気づき、1998年に執筆して1999年にホームページで公開した僕の創作「死神とどろぼう」
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/sinigami.htm
と、それを改作、改題して2017年にshousetu.com に掲載した「帰ってきた大どろぼう」
http://ncode.syosetu.com/n0534dv/
の中の「鬼叩きショー」が、別役実の「親切屋甚兵衛」の影響を受けているということに気づきました。執筆当時、「親切屋甚兵衛」をどの程度意識していたかについては、もう、覚えていませんが、思いがけない「発見」でした。
別役実童話集としては、上記の『淋しいおさかな』のほか、『星の街のものがたり』(三一書房)も秀逸なもので、そこには、「地図の街の花嫁」や「なにもないねこ」などの傑作が収録されています。
そして、別役実さんと言えば、『不思議の国のアリス 別役実第二戯曲集』(三一書房)に収録されている「スパイものがたり」の劇中歌、「ねこの歌」、「雨が空から降れば」などの作詞者としても忘れることができません。これらの歌は、いずれも小室等さんの作曲によるものですが、六文銭のアルバム「六文銭メモリアルⅠ」に収録されています。
なお、別役実さんの死因は「肺炎」と報道されていますが、1993年に亡くなった童話作家、安房直子さんの場合も、死因は「肺炎」とされています。
日経新聞のサイトの別役実さん死去の記事
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56614030Q0A310C2CZ8000/
〔北村正裕ホームページ紹介サイト〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura