※途中「ネタバレ注意」の表示があるところからは、小説読み終えている方のための記事ですのでご注意を!

7月2日は、35年前に、設立直後のフリースクール、東京シューレを見学させていただいた日。
18年2月2日の記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52428451.html
にも書きましたが、その「見学記」は「東京シューレ通信」第1号に掲載されています。
東京シューレは、正式な発足の前には、「OKハウス」という名前で、元小学校教師の奥地圭子さんの私塾のような形をとりつつ、不登校(当時は登校拒否と呼ばれていましたが)のこどもたちのための居場所になっていて、「OKハウス」という名前には、学校に行けなくてもここにいて「OK」という意味と、奥地圭子さんのイニシャルの「OK」をかけたということでしたが、東十条の小さな建物の一室に開設された「OKハウス」は、当時、不動産屋さんと間違えられたことがあったという話を奥地さんから聞いたこともあります。

僕の創作物語『何もない遊園地』(Kindle版、2013年版&2017年改訂版)は、もともと、96年に執筆し、99年にホームページに掲載したもので、今も、ホームページにオリジナル版
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/yuenti.htm
を掲載していますが、その第1話「探偵の部屋」のイメージには、85年に見学させていただいたときの東京シューレのイメージが色濃く反映されていると自覚しています。そして、その頃、つまり、85年の東京シューレが設立のころには、フリースクールの先生が主要キャラとして登場する小説がベストセラーになることなど想像できませんでしたが、2017年に出版され,、ベストセラーとなった辻村深月さんの小説『かがみの孤城』には、フリースクールの先生「喜多嶋先生」が、重要なキャラクターとして登場し、様々な事情で通うはずだった中学校に通っていない中学生たちが鏡を超えて謎の城で出会う物語の中で、主人公の安西こころや、ほかの数人の心の支えとなっています。

ネタバレを徹底的に回避しようとすると、あらすじさえほとんど記すことができなくなってしまうので、ここから先、ある程度のネタバレを含む内容になります。

※ここから先、一部、ネタバレあり。特に、記事後半、「ネタバレ注意」の表示のあるところからは、小説読み終えている方のための記事です!

辻村深月さんのこの小説『かがみの孤城』の中では、様々な年代から時空を超えて城に集まってくる中学生たちの中で、一番、古い時代からやってくるスバルは、1985年からやってくる中学生なのですが、この1985年というのは、ちょうど35年前。つまり、東京シューレが設立され、設立直後に見学させていただいたあの年です。
物語は、2006年の中学生である主人公、安西こころの時間軸に沿って語られていますが、スバルの現実世界である1985年を起点とする時間軸を考えれば、それは、ほとんど、日本のフリースクールの時間軸ということになるでしょう。

この『かがみの孤城』、今年の8月に、成井豊脚本・演出、生駒里奈主演により、舞台化されることも発表されており、東京シューレ設立35周年という時期とも重なり、改めて、この小説に注目してみたいと思います。

『かがみの孤城』については、18年7月27の記事
http://masahirokitamura.dreamlog.jp/archives/52436086.html
で一度取り上げ、そこでは、グリム童話『オオカミと七ひきの子やぎ』と関係が深い小説として紹介し、グリム版の『赤ずきん』が、ペロー版の『赤ずきん』に『オオカミと七ひきの子やぎ』の結末がくっついた形になっているため、結果的に、グリム童話では、『赤ずきん』の結末が『オオカミと七ひきの子やぎ』の結末とそっくりになってしまっているということを、辻村さんの小説では、うまく利用されているといったことを書きましたが、今回は、フリースクールの先生が重要なキャラとして登場する小説として、改めて紹介記事を書いてみることにしました。

1985年からやってきたスバルの時間軸は、いわば、フリースクールの時間軸でもあるように思います。1985年の東京シューレ設立は、日本のフリースクールの出発点と言ってもよい画期的な出来事であり、その当時は、不登校の子どもたちの居場所、支援する組織など、ほとんどなかった時代です。そういうことを考えながらこの小説を読むと、2006年からやってきた中学生の安西こころの場合には、まだ若いフリースクールの喜多嶋先生(女性)とのつながりが心の支えとなっていて、また、2027年からやってきたウレシノも、現実の世界では、ベテランの先生となった喜多嶋先生とつながっていたのに対して、スバルには、そういう支えになる存在がなく、こころたちのことをうらやましく思っています。東京シューレが設立された1985年の中学生であるスバルに、まだ、フリースクールとの接点がないのは当然でしょう。こころもウレシノもフリースクールのことを知っていますが、スバルが知らないのは当然です。また、城の中でフリースクールの話題が出たとき、1992年からやってきたアキは、「そんなことあるんだ」と呟き、フリースクールの存在を知らないことがわかります(P.194)。たしかに、東京シューレ設立から7年後にあたる1992年でも、今とは状況は大違いで、まだ、フリースクールの認知度は低く、アキがフリースクールの存在を知らないのも無理はありません。ちょうど昨日(7月3日)、朝日新聞夕刊に一面トップに「フリースクール コロナ休業で経営悪化」という記事が出ましたが、このような記事が一面トップに出るというようなことは、物語の中のアキが中学生だったころには、とても考えらないことでした。一方、2020年からやってきたフウカは、ピアノのレッスンに専念してきたため、今から学校に戻っても勉強についていけないだろうという悩みを抱えていたようですが、安西こころからフリースクールの喜多嶋先生のことを聞いて「私も行ってみようかな」(P.287)と興味を持ち、実際に、物語の後半では喜多嶋先生から勉強も「手伝うよ」と言われて、ピアノも勉強もがんばってみようと考えるようになります(P.461)。

様々な年代から、様々な事情で通うはずだった中学校に通えなくなった中学生がやってきて出合いますが、みな、雪科第五中学校に通うはずだったけれど通えなくなってしまった中学生です。
2006年からやってきた主人公の安西こころは、同じ中学校の別の生徒に傷つけられて学校に行けなくなってしまった中学1年生であり、1985年からやってきたスバルは、学校よりも音楽に興味があり、昭和のアイテムともいえるウォークマンで音楽を聴いており、また、兄が学校には行かずに入手経路不明のバイクに乗っていて、その兄に付き合わなければならないという事情も抱えています(スバルの「事情」が判明するのはP.444以降)。
1992年からやってきたアキは、家庭で虐待されていて、学校でも孤立してしまいました(アキの事情が明かされるのはP.480以降)。こころと同じ2006年からやってきたリオン(水守理音、男子)は、本人の意思とは無関係に、いわば家庭の事情で海外に留学しているために雪科第五中学校には通っていませんでした。こういった具合に、抱えている問題は、様々です。
2013年からやってきた中学2年生のマサムネは、「親が一年の時に担任と盛大にも揉めちゃってるからさ。あんなレベルの低い学校、行くことないって早々に見切りつけた」という事情があり、2020年の中学生、フウカは、学校には行かずに、ピアノのレッスンに専念していました。そして、2027年からやってきたウレシノ(嬉野ハルカ、男子)は、一度、学校に戻ったものの、暴力の被害を受けて城に戻ってきています。また、この城のいわば管理人であるオオカミさまは1999年からやってきた中学生なので、スバルの1985年から始まって、ちょうど7年間隔で、7つの時代からやってきていることになります。オオカミの面をつけた謎の少女、管理人であるオオカミさまを除くと、招待されているのは7人。すべて、「七」という数字につながるようになっているのは、この「城」の中あるルールが、『オオカミと七ひきの子ヤギ』の物語に基づいて作られているからでしょう。招待されている七人の中学生たちは、物語の終盤になるまで、城の正体に気づかず、また、自分たちが、別々の年代から時空を超えてこの城にきているということに気づくのも、かなり終盤になってからのことです。
したがって、今回のこの記事で、城にやってくる中学生が、様々な年代からやってきているということを書いてしまったことは、いわゆる「ネタバレ」に相当することになりますが、2017年に出版された小説でもあり、もう、そろそろ、この程度の「ネタバレ」は「ネタバレ注意」との注意書き付きであれば、許される範囲かと思います。

物語の序盤で、春に城にやってきた中学生たちは、オオカミさまからこの城の中のルールを教わります。
城が開くのは、三月三十日まで。それまでは、鏡を通って現実の世界と行き来できる。三月三十日までに願いの鍵を見つけなければ、それ以降、このへ来ることはできない。それまでに誰かが願いの鍵を見つけて願いをかなえたら、その時点で城は閉じ、みな、城の記憶は失われる。城が開いているのは、九時から五時まで。誰かが五時までに鏡を通って家に帰らなかったら、全員、オオカミに食われる。
この城の正体、そして、管理人であるオオカミさまの正体に気づくのは、招待されていた7人の中学生ののうち、リオンだけだったようであり、オオカミさまと城の正体は、この物語の序盤から謎として登場しているわけですが、ここからは、あえて、その正体を明かして、オオカミさまの時間軸で物語を振り返ってみたいと思います。したがって、ここから先は、まだ、小説を読んでいない人は、小説を最後まで読み終わるまで見ないようにすることをおすすめします。

※ここから先、ネタバレ注意!

この物語の中に登場する謎の「城」は、1999年に病気のために中学校に行けない少女の「オオカミさま」が病床でいわば心の中に作った世界であり、彼女は、城の中でオオカミの面をつけて登場し、その城に、様々な年代から、様々な事情で中学校に通えない中学生を招待しているのです。そして、この城の創造主ともいえるオオカミさまには、当然、招待されている中学生が気づかないことも知っているわけで、例えば、現実の世界でアキがピンチに陥ったときには、現実界に臨時の「鏡」を出現させて、アキを城に避難させています(オオカミさまにとって、アキは特別な存在なのですが、そこは、ネタバレ回避します。また、オオカミさまにとっては、リオンも特別な存在ですは、その内容もここでは秘密)。また、ピアノのレッスンに専念していたフウカのために用意された部屋には、ちゃんと、ピアノが用意されていました。フウカは、オオカミさまにとっては、言わば未来の中学生ですが、オオカミさまは、フウカのことも、ちゃんと知っています。
オオカミさまは、現実の世界では、病気のため、一度も中学校に通う事ができないまま、中学1年生の三月三十日に亡くなっていて、彼女が作った城は、中学校に行けない彼女が、学校の代わりに、友だちを集めて過ごすための場所だったということが物語の終盤に明かされますが、この城が閉まるのが三月三十日であるというルールを定めたオオカミさまは、自分の命日も知っているわけです。
この城が時空を超えた存在であるように、その創造主であるオオカミさまは、他の中学生の現実を超越した存在になっているわけですが、それは、この城が、彼女の命そのものであるということを考えれば、ここでの彼女の存在が特別なものであるのも当然かもしれません。
一方、こころやウレシノが現実世界でフリースクールの喜多嶋先生とつながっているのと同じように、オオカミさまも、まだ喜多嶋姓でなく旧姓だったころの喜多嶋先生とつながっていて、オオカミさまとの出会いは、学校に行けない子どもたちの支援活動に取り組む喜多嶋先生の活動の、喜多嶋先生自身が覚えている範囲では原点になった出会いということもできそうです。ただし、このことは、物語の最後に明かされることです。
オオカミさまは、物語が好きで、この城のルールは、グリム童話の『オオカミと七ひきの子ヤギ』に基づいて定められています。
七ひきの子ヤギのうち、六匹はオオカミに食われてしまいますが、大時計の中に隠れた七匹目の子ヤギだけが助かり、猟師の力を借りて食われた六匹をオオカミの腹の中から助け出すという『オオカミと七ひきの子ヤギ』。この物語と城の謎の共通点に気づいたこころは、自分が七匹目の子ヤギになるために大時計を開き、そこに願いの鍵を見つけて、たったひとつだけ願いをかなえてくれるというその鍵で、「アキのルール違反を、なかったことにしてください」と、願う。
こころは、自殺目的でルール違反をしたアキを救ったのですが、こころは、自分が、アキから見ると未来の中学生だということに気づき、自分の支えになってもらうために、大人になったアキに会いたいという思いを抱いて、この行動に出たのでした。
「アキ、お願い。私―、未来にいるの。アキの生きた、大人になった、その先にいるの!」
と叫びながら、絶望して自殺を決意したアキの救出にこころが向かう場面は、改めて読み返すと、さらに感動的です。
そして、閉城ぎりぎりのタイミングでこころが願いをかなえたことで、全員が城の記憶を失って、現実世界に戻っていきます。
しかし、オオカミさまの正体が読者に明かされた後、さらに、大きな秘密が明かされるラストシーンは、今回のブログ記事でも、やはり、秘密にしておきましょう。意表を突くラストシーンは、この小説最大の感動シーンであり、そこで明かされる秘密を、まだ、小説を読んでいない人に教えてしまうということは、これから小説を読む人から大きな感動体験を奪ってしまうことになるように思うので、そこだけは、今回もネタバレ回避しておきます。途中で気づいてしまう人もいるかもしれませんが、僕の場合は、完全に意表を突かれました。

余談になりますが、1985年に、設立直後の東京シューレを見学させていただいたときの印象が第1話に反映されている僕の創作メルヘン『何もない遊園地』
http://masahirokitamura.my.coocan.jp/yuenti.htm
をホームページで発表したのは1999年なので、これは、辻村深月さんの『かがみの孤城』の中で、病床のオオカミさまが心の中に城を作って他の年代の中学生を招待した年そのものと一致してしまいます。
スバルがちょうど日本フリースクールの出発点と言える1985年からやってきたという設定と違って、オオカミさまの1999年という年代が僕の『何もない遊園地』の発表年と一致しているのは、もちろん、偶然ですが、自分としては、「おお!」と思ってしまう年代です。
さらに、『何もない遊園地』に木馬の姿で登場するヒロインの名はミオですが、何と、これと同じ名前が、『かがみの孤城』の中に、しかも、とても重要な人物の本名として登場しているので、自分としては、これもびっくりです。『何もない遊園地』の中のミオの名の由来は、実は、リンドグレーンの作品『ミオよ、わたしのミオ』なのですが、辻村さんの『かがみの孤城』の中に登場するミオの名の由来は、僕にはわかりません。現時点では不明です。

先に記したように、スバルの「1985年」を定めれば、後は、7年間隔ルールで、アキの1992年も、オオカミさまの1999年も、そして、こころの2006年も、自動的に決まるものです。
しかし、それぞれの年代がどんな年代だったかということを考えながら読むと、改めて、細部まで、うまく書かれた小説だと感心してしまいます。
「小説丸」のページ
https://www.shosetsu-maru.com/interviews/107
に掲載されている辻村さんのインタビューを見ると、雑誌連載時には、結末が決まっておらず、結末が決まってから、書き直したということですが、あの感度的なエピローグのアイデアは、どのあたりで決まったのでしょう?
この小説、重苦しい感じの序盤では、実は、あまり好感を持てず、特に、単なる「女の子好き」という感じのウレシノに「恋愛至上主義」などという表現が使われていることには、かなりの違和感を覚えたものです(そこは、今でも違和感あります。P.101)。しかし、中盤、そして後半に進んでいくにつれ、どんどん面白くなっていき、終盤の緊迫感はかなりの迫力でした。そして、何よりも、「エピローグ」に進んだときの感動は、圧倒的でした。
これを、舞台化したり、あるいは映画化ということになっ場合、誰が誰の役を演じるのかを全部発表してしまうと、それが、ネタバレにつながってしまうのではないかと、ちょっと気になります。
さて、2020年8月の舞台化、誰が誰の役を、そして、どんな風に演じるのでしょう?
楽しみです。


〔辻村深月さんの教育問題に関する発言を紹介したツイート〕

https://twitter.com/masahirokitamra/status/983919261847441413
(2018年4月のツイート)

https://twitter.com/masahirokitamra/status/984058996574138368
(2018年4月のツイート)

https://twitter.com/masahirokitamra/status/1000312397876281345
(2018年5月のツイート)


〔北村正裕ホームページ紹介サイト〕
https://masahirokitamura33.wixsite.com/masahirokitamura


P_20180123_140325
1985年9月発行の「東京シューレ通信第1号」(2018年1月23日、東京シューレで撮影)


【追記】関連ツイート

https://twitter.com/masahirokitamra/status/1279257798115655682
(2020年7月4日のツイート)

https://twitter.com/masahirokitamra/status/1279256399717920768
(2020年7月4日のツイート)

【2020. 7. 5追記】関連情報リンク

作家・辻村深月が最新作に込めた不登校への「共鳴」
Yahoo! ニュース(2017.7.3)
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishiishiko/20170703-00072405/

「かがみの孤城」8月の舞台で主演の生駒里奈さん
「いじめの記憶と感情消した過去」
「学校だけが居場所じゃない」
読売オンライン(2020.7.2)
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/stop01/interview/20200701-OYT1T50200/


【22. 1. 4追記】
『かがみの孤城』とアニメ『エヴァンゲリオン』『魔法少女まどか☆マギカ』について論じる作品論『夢の中の第3村:「エヴァンゲリオン」「まどかマギカ」と「かがみの孤城」の芸術論』(北村正裕著、Amazon Kindle版電子書籍、2022年1月)を電子出版しました。『かがみの孤城』については、連載版から単行本への大改作の詳細な検証も行い、連載版になかった衝撃のラストの誕生の背景、歴史的意義を探り、必要なあらすじ解説もしながらそのそれぞれの作品の特徴について論じていますが、第二章~第四章は、小説『かがみの孤城』のネタバレになってしまうため、これらの章は、小説『かがみの孤城』を読み終えてからお読みください。『かがみの孤城』は、初読時のラストでの驚きと感動の体験がかけがえのないものになるはずなので、先にネタバレ情報に触れないようにお注意ください。
『夢の中の第3村:「エヴァンゲリオン」「まどかマギカ」と「かがみの孤城」の芸術論』(北村正裕著、Amazon Kindle版電子書籍、2022年1月)商品ページ(Amazon)のURLは
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PMMW9HS/
です。
また、nite(https://note.com/ )に、「『かがみの孤城』連載版から十七年版への大改作を検証」というエッセイを掲載しました。こちらは、『かがみの孤城』の決定的なネタバレを避けながら大改作を概観するエッセイです。
https://note.com/kitamuramasahiro/n/nf18cdc4141da
(22. 1. 4追記)

【追記】
電子書籍『夢の中の第3村』の内容を再構成し加筆修正を加えた『「かがみの孤城」奇跡のラストの誕生』を彩流社から出版しました(2023年1月刊)。
彩流社の情報ページ
https://www.sairyusha.co.jp/book/b10025211.html